野球の見方の一つに、選手個人と球場の相性というものがある。ビジターであれば、対戦球団が苦手なだけという場合もあるが、選手によっては、球場の得手不得手というものもあるようである。
ここでは、球場別の個人成績にフォーカスし、部門別にランキング形式で紹介していく。上位選手を見ることで各球場の「顔」を確認していこう。今回は大阪ドーム(京セラドーム大阪)・通算本塁打編(2021年終了時点)。
■球場情報:京セラドーム大阪
正式球場名:大阪ドーム
開場年月:1997年3月
球場の広さ:両翼100m、中堅122m(現在の広さ)
公式戦初開催:1997年4月8日 近鉄-ロッテ(1回戦)
公式戦試合数:1674試合
本塁打数:2681本
5位:アレックス・カブレラ 49本塁打(西武21本、オリックス27本、ソフトバンク1本)
5位は、驚異的なパワーで数多くのアーチを描き、パ・リーグ3球団で活躍したアレックス・カブレラだ。
カブレラは、2001年に西武へ加入。加入初年度から持ち前のパワーを遺憾無く発揮し、49本塁打を放った。さらに翌02年には、当時のNPBシーズン記録に並ぶ55本塁打をマーク。同年は打率.336、55本塁打、115打点、出塁率.467と圧巻の打撃成績でチームをリーグ優勝に導き、自身は最多本塁打と最高出塁率の打撃2冠、最優秀選手に輝いた。
その後も西武で活躍を続け、07年オフにオリックスと契約。移籍初年度は打率.315、36本塁打、104打点で一塁手部門のベストナインとゴールデン・グラブ賞を受賞し、低迷していたチームをリーグ2位へ押し上げる原動力に。翌09年はけがの影響で65試合出場にとどまったが、10年は打率.331、24本塁打、82打点、出塁率.428で最高出塁率に輝くなど復活をアピール。その後はソフトバンクでもプレーした。
NPB通算成績は、1239試合に出場し、打率.303、1368安打、357本塁打、949打点、14盗塁。うちオリックス時代の本塁打数は、73本となっている。
4位:吉岡雄二 56本塁打(近鉄54本、楽天2本)
4位は、近鉄最後のリーグ優勝にも貢献した好打者・吉岡雄二。
吉岡は、帝京高から1989年ドラフト3位で巨人に投手として入団。右肩の故障が影響し、93年からは内野手へ転向したが、一軍で結果は残せず。96年オフに近鉄へトレード移籍となった。
近鉄では、移籍2年目の98年に一塁のレギュラー格として頭角を現すと、翌99年に初めて規定打席に到達し、打率.276、13本塁打の成績を残した。さらに01年には、主に下位打線を打ったが、打率.265、いずれもキャリアハイの26本塁打、85打点をマーク。「いてまえ打線」の一角として近鉄最後のリーグ優勝に貢献した。05年には球団合併による分配ドラフトで楽天へ移籍し、4シーズンプレー。その後はメキシカンリーグで現役を続けた。
NPB通算成績は、1012試合に出場し、打率.273、883安打、131本塁打、463打点、28盗塁。うち近鉄時代に116本塁打を記録している。
3位:T-岡田 74本塁打(オリックス74本)
3位は、左の和製大砲・Tー岡田。トップ5では、現役選手唯一のランクインとなった。
Tー岡田は、履正社高から2005年高校生ドラフト1巡目でオリックスに入団した。高卒1年目から一軍デビューを飾ったが、3年間は主に二軍で経験を積み、本名の岡田貴弘からTー岡田に登録名を変更した10年に大きく飛躍。打率.284、33本塁打、96打点をマークし、22歳の若さで最多本塁打のタイトルに輝いた。
その後も活躍を続けたが、本塁打数は減少傾向に。しかし、14年に24本塁打と持ち味を取り戻すと、17年には全試合出場を果たし、10年に次ぐ31本塁打を放った。レギュラー定着後の12シーズンでは、10度の2桁本塁打を記録。昨季も17本塁打を放ち。チームのリーグ優勝に貢献した。
2021年終了時点の通算成績は、1303試合に出場し、打率.259、1172安打、203本塁打、701打点、32盗塁となっている。
2位:中村紀洋 123本塁打(近鉄119本、オリックス3本、DeNA1本)
2位は、「いてまえ打線」を牽引した“ホームランアーチスト”中村紀洋となった。
中村は、渋谷高から1991年ドラフト4位で近鉄に入団。4年目の94年に台頭すると、翌95年に三塁のレギュラーへ定着し、20本塁打を放った。
その後はクリーンアップの一角を担い、球界屈指の長距離砲へと成長。2000年には打率.277、39本塁打、110打点をマークし、最多本塁打と最多打点の打撃2冠に輝いた。さらに翌01年には打率.320、46本塁打、132打点、出塁率.434といずれもキャリアハイの打席成績を叩き出し、最多打点と最高出塁率のタイトルを受賞。タフィー・ローズとともにチームの得点源となり、近鉄最後のリーグ優勝に大きく貢献した。近鉄では、98年から5年連続30本塁打以上、レギュラーに定着した95年から10年連続2桁本塁打を記録。04年オフにはメジャー移籍を果たし、日本球界復帰後はオリックス、中日、楽天、DeNAと渡り歩いた。
NPB通算成績は、2267試合に出場し、打率.266、2101安打、404本塁打、1348打点、22盗塁。うち近鉄時代の本塁打数は、307を数えている。
1位:タフィー・ローズ 149本塁打(近鉄123本、巨人1本、オリックス25本)
トップに立ったのは、NPBで13シーズンプレーし、本塁打を量産した助っ人砲・タフィー・ローズだ。
ローズは、1996年に近鉄へ加入。加入初年度から27本塁打を放つなど持ち前の長打力を見せると、99年には打率.301、40本塁打、101打点で最多本塁打と最多打点の打撃2冠に輝いた。
さらに2001年には、当時のNPBシーズン記録に並ぶ55本塁打をマーク。打率.327、55本塁打、131打点と圧倒的な打撃成績で、近鉄最後のリーグ優勝の立役者に。自身は最多本塁打と最優秀選手を受賞した。近鉄では在籍した8シーズンすべてで20本塁打以上を記録し、うち4シーズンで40本塁打以上を記録。04、05年は巨人でプレーし、07年にオリックスで再び日本球界へ。すでにベテランの域に入っていたが、同年は打率.291、42本塁打、96打点、出塁率.403で最高出塁率のタイトルに輝き、在籍3シーズンで計104本塁打を放つなど変わらぬ存在感を示した。
NPB通算成績は、1674試合に出場し、打率.286、1792安打、464本塁打、1269打点、87盗塁。通算本塁打数では、外国人選手のNPB最多記録を誇っている。
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