ついに7月23日(日本時間7月24日)開幕が決まったメジャーリーグ。60試合制や、ナショナル・リーグ初の指名打者(DH)制導入など、NPB同様2020年は異例のシーズンとなる。
一方で、今年は新たに筒香嘉智、秋山翔吾、山口俊の3人がNPBから海を渡り、メジャーの舞台に挑戦。2人の野手が同時に挑戦するのは、2012年の青木宣親と川﨑宗則以来8年ぶりとなる。筒香と秋山は、日本人野手再評価の流れを作ることができるだろうか。
本シリーズでは、年度別シーズンOPSランキングトップ10選手と、同年の日本人選手の成績を振り返り、時代背景とともに日本人野手のメジャーリーグ挑戦の軌跡を辿る。今回は2009年編。
2009年シーズンOPSランキングトップ10
2009年は、アルバート・プホルス(セントルイス・カージナルス)がランキング連覇を果たした。同年のプホルスは、打率.327、47本塁打、135打点でナショナル・リーグ本塁打王を獲得。長打率.658、OPS1.101は2年連続両リーグトップの数値を誇り、チームを地区優勝へと導いた。
2位には捕手のジョー・マウアー(ミネソタ・ツインズ)が初のランキング入りを果たした。同年は打率.365、28本塁打、96打点をマーク。出塁率.444は両リーグトップの数値となっており、アメリカン・リーグ首位打者、シーズンMVPに輝いた。
3位のプリンス・フィルダー(ミルウォーキー・ブルワーズ)は両リーグトップの141打点をマークし、ナ・リーグ打点王を獲得。4位にジョーイ・ボットー(シンシナティ・レッズ)、5位に2005年のランキング1位、デレク・リー(シカゴ・カブス)が入った。
6位には前年から4つ順位を上げたケビン・ユーキリス(ボストン・レッドソックス)、7位は巨人でプレーしたエドガー・ゴンザレス氏の兄、エイドリアン・ゴンザレス(サンディエゴ・パドレス)と日本にゆかりのある選手が続き、8位はフロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)のハンリー・ラミレスとなった。
同年のラミレスは、打率.342、197安打、出塁率.410をマークし、初の打撃タイトルとなるナ・リーグ首位打者を獲得。27盗塁を決めるなど、足でも存在感を示した。
9位は同年のワールドチャンピオン、ニューヨーク・ヤンキースからマーク・テシェイラ、10位はベン・ゾブリスト(タンパペイ・レイズ)という結果になった。
日本人野手は8年ぶりのメジャー挑戦者ゼロに
2009年はイチロー、新庄剛志が日本人野手初のメジャーデビューを果たして以来、初の挑戦者ゼロの年となった。
まずはその先駆者となったイチローの2009年シーズンを振り返っていきたい。
メジャー9年目を迎えたイチローは、WBCの疲労の影響もあり、胃の潰瘍性出血を患い、開幕前に自身初の故障者リスト入りとなった。
4月15日の復帰戦で満塁本塁打を放ち、張本勲氏が持つ3085本の日本人通算安打記録に日米通算で並ぶと、翌16日にも安打を放ち記録を樹立した。
以降も27試合連続安打を記録するなど好調を維持し、3割5分を超える高打率で前半戦を折り返した。
後半戦でも安打を量産し、9月6日にはメジャー通算2000安打を達成。9年連続200安打にも到達し、シーズンの出遅れを感じさせない成績を残した。
最終的に146試合に出場。打率.352、26盗塁、OPS.851をマークした。同年は主戦場を右翼に戻したイチロー。両リーグトップの225安打を放ち、長打率.465も過去最高の数字となった。
悔しいシーズンを送った3選手
ここでは、不本意な成績に終わった3選手を振り返っていきたい。
まずは、メジャー8年目を迎えた田口壮だ。
前年オフにカブスとマイナー契約を結んだ同年は、しばらくマイナーで過ごしたが、40歳を過ぎた9月にメジャー昇格を果たした。
しかしシーズン終盤での昇格ということもあり、出場機会に恵まれず、不完全燃焼でシーズンを終えることとなった。
最終的に打率.273、OPS.697をマークしたが、わずか6試合の出場に終わった。メジャーでは主に途中出場が多かったが、スーパーサブとしてチームに貢献し続けた田口。8年間の挑戦を終えた。
次に、メジャー4年目を迎えた城島健司。
開幕は正捕手としてスタートしたが、4月中旬に右太股裏の肉離れによって故障者リスト入り。最短復帰を果たすも、5月下旬には左足親指を骨折し、2度目の故障者リスト入りとなった。
後半戦には離脱中に台頭した選手に正捕手の座を奪われ、出場機会が減少。相次ぐけがに見舞われ、苦しい1年となった。
最終的に打率.247、9本塁打、OPS.702をマークしたが、自己最小の70 試合出場に終わった。日本人捕手唯一のメジャーデビューを果たした城島。強いインパクトと確かな足跡を残し、4年間の挑戦を終えた。
そして、メジャー3年目を迎えた岩村明憲だ。
同年は「9番・二塁」で開幕を迎えた岩村。序盤は好調を維持し、3割を超える打率を残していた。しかし、5月下旬に二塁塁上で激しいスライディングを受け、負傷退場。左膝前十字靭帯断裂と診断され、長期離脱を強いられた。
シーズン中の復帰は難しいと見られていたが、8月下旬に戦列復帰。その後はレギュラーとして出場を続けたが、チームはポストシーズン進出を逃した。
最終的に69試合に出場に留まり、打率.290、OPS.745となった。ポストシーズン中の11月には、ピッツバーグ・パイレーツへのトレード移籍が発表された。
松井稼頭央、福留孝介の2009年シーズン
ここでは松井稼頭央、福留孝介両選手の成績を振り返っていきたい。
まずは、メジャー6年目を迎えた松井稼だ。
同年も主に1、2番の上位打線を任されたが、低調なスタートを切った松井稼。5月下旬には右太腿を痛め、無念の故障者リスト入りとなった。
6月中旬に戦列復帰を果たすと、その後は出場を続け、8月15日には日米通算2000安打を達成した。
最終的に打率.250、9本塁打、19盗塁となった。打率はやや低迷したが、自己最多の132試合に出場し、規定打席にも到達した。
続いて、メジャー2年目を迎えた福留孝介。
前年と同じく開幕から好調を維持し、幸先の良いスタートを切ったが、5月からは失速し、打率も低迷した。
以降は主に相手の先発投手が右の場合はスタメン、左の場合はベンチスタートと使い分けられた福留。守備面でも右翼から中堅に主戦場を移したことで、慣れないポジションに苦労する場面が見られた。
最終的に146試合に出場し、打率.259、11本塁打、OPS.796をマーク。同年は特に左投手を苦手とする傾向が見られ、その打率は1割台中盤に沈んだ。
日本人選手初のワールドシリーズMVPに輝いた松井秀喜
最後は、ワールドチャンピオンに輝き、日本人選手初のワールドシリーズMVPを受賞した松井秀喜だ。
同年は、自身初の4番で開幕を迎え、開幕戦では本塁打を記録。この1本は恩師・長嶋茂雄氏の通算444本塁打を超える日米通算445号本塁打となった。
以降も前年負傷した膝の痛みの影響で、指名打者として出場を続けていたが、打撃の調子が上向かず、低調な成績が続いた。
満身創痍ではあったが、徐々に復調の気配を見せると、例年以上の勝負強さを発揮。チームの地区優勝にも貢献した。
ポストシーズンでも活躍を見せ、駒を進めたワールドシリーズでは、持ち前の打棒を爆発させた。第2戦では決勝本塁打、第3戦でも2試合連続となる本塁打を放った松井秀。王手をかけて迎えた第6戦では、先制本塁打を含む3安打6打点の大活躍を見せ、チームをワールドチャンピオンへと導いた。さらに、シリーズ合計13打数8安打3本塁打8打点の成績が評価され、日本人選手初のワールドシリーズMVPを獲得する快挙を成し遂げた。
レギュラーシーズンでは142試合に出場。打率.274、28本塁打、90打点、OPS.876をマークした。万全の状態ではない中で出場を続け、特にポストシーズンに入ってからは目覚ましい活躍を見せた。そしてこの2009年を最後にヤンキースはワールドチャンピオンから遠ざかっている。
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