チームの上位進出の鍵となるのが助っ人外国人選手の存在だ。近年では、メジャーリーグ経験のある選手も数多く来日し、1軍登録の上限である4枠を巡って競争も激しくなっている。今回は、各球団の歴代助っ人外国人選手をランキング形式で振り返り、活躍した選手の傾向を探っていきたい。【広島・野手編】
※成績はチーム在籍期間の通算成績、ランキングはこれを基準に作成。
投手編はこちら
第5位 アンディー・シーツ
右投右打
内野手
在籍期間 2年(2003〜2004)
成績 270試合、打率.298、315安打、48本塁打、160打点、5盗塁
ショートを守り、4番も任されたシーツ。入団時には守備力を期待されていたが、打撃でも結果を残した。
アメリカ合衆国出身、身長188センチ、体重89キロ。ルイジアナ州大から、1992年MLBドラフト4巡目(全体110位)でシアトル・マリナーズに入団。96年に同球団で、メジャーデビュー。以降、サンディエゴ・パドレス、アナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)、ボストン・レッドソックス、タンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)と渡り歩くも、打撃が課題でメジャーに定着できなかった。
広島では2003年からプレー。遊撃手としての守備力を買われての入団だったが、打撃での貢献度も高く、1年目から打率.313、25本塁打、75打点、OPS.874と日本野球に適応した。守備では、メジャー仕込みの華麗な守備を見せた一方、失策も多く記録した。
翌2004年にもショートのレギュラーとして活躍。前年を上回る85打点を挙げるなど、数多く得点に絡み、打率.284、23本塁打と2年続けて一定の打棒を発揮した。退団後は阪神で3年間プレー。一塁手として鳴らし、3年連続ゴールデングラブ賞に輝くなど、卓越した技術を披露した。
第4位 エイドリアン・ギャレット
右投左打
外野手・内野手
在籍期間 3年(1977〜1979)
成績 384試合、打率.260、338安打、102本塁打、247打点、6盗塁
持ち前の長打力を発揮し、本塁打を量産したギャレット。緊急時には捕手を務めるなど器用な一面も見せた。
アメリカ合衆国出身、身長188センチ、体重86キロ。サラソタ高から、1961年にミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ)と契約。66年に同球団からメジャーデビューし、シカゴ・カブス、オークランド・アスレチックス、カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス)などを転々としたが、メジャーに定着することはできなかった。
1977年に広島に入団。主に6番を任され、クリーンアップの後を打った。初年度から打率.279、35本塁打、91打点と打撃主要3部門で高い数値をマーク。二塁打も19本を記録するなど、高い長打率を誇った。
翌78年には打率.271、40本塁打、97打点とさらに本塁打数を増やす活躍。同年はオールスターゲームにも選出されると、第1戦で1試合3本塁打(高橋直樹から3ラン、藤田学から2ラン、柳田豊からソロ)を記録し、MVPに輝いた。79年も27本塁打をマークしたが、打率が.225と低迷し、この年限りで退団した。
また、弟のウェイン・ギャレットも中日ドラゴンズで1979、80年の2年間プレー。兄弟揃って日本球界に進出している。
第3位 ブラッド・エルドレッド
右投右打
内野手・外野手
在籍年数 7年(2012〜2018)
成績 577試合、打率.259、496安打、133本塁打、370打点、7盗塁
豪快な打撃で7年に渡り活躍したエルドレッド。現在は広島の駐米スカウトを務めている。
アメリカ合衆国出身、身長196センチ、体重126キロ。フロリダインターナショナル大から2002年MLBドラフト6巡目(全体163位)でピッツバーグ・パイレーツに指名され契約。同球団で05年にメジャーデビューを果たすと、コロラド・ロッキーズ、デトロイト・タイガースでもプレーした。MLB通算成績は、90試合で打率.203、15本塁打、34打点、OPS.674となっている。
広島には2012年途中に入団。同年は11本の本塁打を放ち、大砲の片鱗を見せた。翌2013年はけがと極度の不振が重なり66試合の出場に終わったが、1年目を超える本塁打率を記録した。
オフに残留が決まると、2014年にその打棒が爆発。37本塁打、104打点をマークし、本塁打王を獲得する活躍を見せた。2016年には、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズで、第1戦から3戦まで3試合連続本塁打をマーク。大谷翔平に土をつける活躍だった。
けがなどの影響もあったが、コンスタントに本塁打を放ち、8年間で133本塁打を積み上げたエルドレッド。規定打席に到達したのは2014年のみだったが、助っ人外国人選手として球団最長の在籍期間を誇り、印象的な活躍が光った。
第2位 ルイス・ロペス
右投右打
内野手
在籍年数 5年(1996〜1997、2000〜2002)
成績 575試合、打率.305、654安打、112本塁打、442打点、2盗塁
高水準の成績を残し続けたロペス。確実性の高い打撃が特徴で、三振も少なかった。
アメリカ合衆国出身、身長185センチ、体重90キロ。ラファイエット高から、1982年MLBドラフト2巡目(全体48位)でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。90年に同球団でメジャーデビューし、翌91年にはクリーブランド・インディアンスで自己最多の35試合に出場した。だが、以降はメジャー昇格も叶わず、MLB通算41試合の出場、打率.205にとどまっている。
活路を求めて、96年の広島入団を機に来日。初年度からファーストのレギュラーに定着すると、打率.312、25本塁打、109打点をマークし、打点王、ベストナインを獲得した。翌97年には、さらに成績を伸ばし、打率.320、170安打、30本塁打、112打点で2年連続の打点王とベストナイン、最多安打にも輝いた。浅いカウントから積極的に打って出るタイプだったために、三振は少なかった一方で、四球での出塁も少なかった。
97年オフに新天地・福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)へ移籍し、1年間活躍。その後2000年に広島に復帰し、3シーズンプレー。2001年にはキャリアハイの32本塁打を放った。退団後は、米独立リーグへと移った。
第1位 ジム・ライトル
右投左打
外野手
在籍年数 6年(1977〜1982)
成績 764試合、打率.288、853安打、155本塁打、491打点、27盗塁
強力「赤ヘル打線」の一員として、黄金期を支えたライトル。勝負強い打撃に加え、強肩を活かした外野守備にも定評があった。
アメリカ合衆国出身、身長181センチ、体重85キロ。フロリダ州大から、1966年MLBドラフト1巡目(全体10位)でニューヨーク・ヤンキースに指名され入団。69年に同球団でメジャーデビューすると、70年には規定未到達ながら打率3割をクリアした。その後、シカゴ・ホワイトソックス、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)、ロサンゼルス・ドジャースと渡り歩いたが、レギュラー定着には至らなかった。
広島には1977年に入団。初年度からライトのレギュラーに定着し、打率.301、19本塁打、65打点をマークする活躍を見せた。2年目はさらに成績を上げ、惜しくも「3割30本100打点」には届かなかったが、打率.296、33本塁打、108打点の成績を残した。
1979年、1980年の2年連続日本一にも大きく貢献。特に80年の日本シリーズでは、3本の本塁打をマークする大活躍で、シリーズMVPも獲得した。81年にはキャリアハイの数字でリーグ最多安打、ベストナインに輝いた。また「3割30本100打点」も、同年に達成している。
主に中軸として安定した成績を残し続けたライトル。一方で守備面でも在籍6年間でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)に4度輝いた。退団後は、南海ホークス(現福岡ソフトバンク)で1年間プレーしている。
その他にも球団史上初のリーグ優勝に貢献したゲイル・ホプキンスとリッチー・シェーン、本塁打王を獲得したリック・ランス、エディ・ディアス、最高出塁率を獲得したグレッグ・ラロッカらも遜色ない活躍を見せた。
広島東洋カープ、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<投手編>
12球団一覧に戻る
外部リンク