『ビバリーヒルズ高校/青春白書(通称:ビバヒル)』で、ディラン・マッケイを演じたルーク・ペリーが米現地時間3月4日の早朝、重篤な発作に襲われ52歳でこの世を去った。ルーク・ペリーを偲び、ローリングストーン誌の1992年2月に掲載された、当時の出演者たちによるインタビュー記事を掲載する。熱狂したファンによるショッピングモールでの襲撃など、『ビバリーヒルズ高校/青春白書』のスターがいかにして当時の人気現象に対処したかを語っている。
「たとえ友におだてられたとしても、地に足をつけておくべし」。ルーク・ペリーのフォーチュンクッキーに入っていたおみくじの言葉だ。ペリーの写真付きハート形クッションがアメリカ中でバカ売れし、アヤトラ・ホメイニ師の葬儀が教会の会合レベルにかすむほど姿を現すごとに人々を熱狂させてきた男になんともふさわしいアドバイスだ。「前に(コロラド州)デンバーで出くわした女の子の呼吸が止まったことがあった」とペリーは言った。「俺の目の前で気絶したんだ。あの時はさすがに『おいおい、マジかよ、息をしてくれよ、頼むよ』って思った」
「そういうのは好きじゃない」とペリーは語った。「俺がザ・キング・オブ・ロックンロールならわかるけど」とエルヴィス・プレスリーのような形をしたデカンターを指しながら言った。「でも俺は違う」。ペリーは比較的落ち着いたハリウッドの中華料理店にいる。キッチュなセレブグッズやかつてお茶の間を賑わせ、今では忘れられてしまったフランキー・アヴァロンなどのスターの写真が飾られている。もう公の場には姿を現さないようにしている、とペリーは言った。「安全が確保できないから」と強い口調で発する言葉にいらだちがにじむ。「洗濯物みたいに輸送されるのはもうこりごりだ」。1991年の5月、ワシントン州シアトルのショッピングモールでティーンエイジャーの女性ファンがタビネズミの大群のようにバリケードに殺到したせいで、ペリーは洗濯物入れに隠れて脱走しなければならなかった。8月には何千人もの熱狂的なファンがペリーの登場のために設置された仮設ステージに押し寄せ、互いをもみくちゃにした。十数人が病院に緊急搬送され、アメリカ中のニュースキャスターが「ティーンの片思いが大混乱に発展」とクラッシュをかけたおどけたヘッドラインを読み上げる結果となった。「傷つけ合うなんて、本当に最低だ」とペリーは言った。
こうした熱狂的な人気の原因はすべて米FOXテレビのドラマ『ビバリーヒルズ高校/青春白書(通称:ビバヒル)』にある。ドラマでペリーは超クールな一匹狼の秀才、ディラン・マッケイを演じた。ペリー曰く、ディランは「圧倒的な知性の持ち主」でもあるらしい。ジェイソン・プリーストリーやシャナン・ドハーティーと共演した同作は、門限からAIDSにいたるまで、様々な問題を取り上げた。1990年の秋に『Babes』という導入部とともにドラマ『チアーズ』と同じ時間帯で初めて放送されたものの、視聴率も評価も散々だった。誰もが打ち切りを予想した。それでも、アメリカ中の若者の間でフィーバーが巻き起こると、数週間程度の仕事を想定していた俳優たちは瞬く間にスーパースターになった。
その結果、ペリーはドアノブ工場での重労働を辞め(「クソみたいにベタベタしたでっかい物体を磨いてきれいにする仕事だった」とタバコの灰を落としながらペリーは言った。「汚い物体から酸性廃棄物を除去してた。マジでサイテーだった」)、『ルーク・マニア!』や『大好きルーク』のようなタイトルの本(シックスティーン誌はペリーの「『強烈な存在感』が彼を『世界一の人気者』という果てしない高みへと押し上げた」とまで表現した)の主人公へと生まれ変わった。タブロイド誌にマドンナとの関係が報じられると、ペリーは正式に色男の仲間入りを果たした(「ドラマの人気俳優ルーク・ペリーが男殺しのマドンナの餌食になる」とザ・グローブ誌は報じた)。
もみあげを生やしたセックスシンボルという新たなステータスに圧倒されたペリーは経験者に相談した。「ジェイソン(プリーストリー)(注:ブランドン役)を誘ってトム・ジョーンズと飲みに行った。酒を数杯飲みながら、一緒にディナーをした」とペリーは言った。「わかるだろ? 『なあ、トム、なんだかクソみたいなことが物凄いスピードで俺たちの身に起きてる。どうしたらいい?』って相談した」。夜が終わる頃、ペリーとプリーストリーはトム・ジョーンズのバックコーラスに合わせていくらか調子外れの「I Want You, I Need You」や「Love Me」などのエルヴィスの楽曲を合唱した。「本当に最高の人だ」とジェイソン・プリーストリーは言った。「そもそも、トム・ジョーンズみたいな人物とテーブルを囲む資格が俺たちにあったのかな?」
プリーストリーが疑問を抱くのも当然だ。奇跡のようなスターのサミット会議は、いくつかの運命のいたずらなしに実現することはなかったのだから。そんな運命のいたずらのひとつとして、ビバヒルがFOXテレビで初オンエアされたことが挙げられる。他のテレビ局で放送されていたら、ヒットする前に間違いなく打ち切られていただろう。そうなっていたら、T.J.(仲良くなったプリーストリーとペリーがつけたトム・ジョーンズの愛称)が2人の若手俳優と飲みに行く可能性なんてゼロに近かったに違いない。FOXテレビは、ビバヒルに低迷する視聴率から這い上がるチャンスを与えた。当時FOXテレビは夜へと番組を拡大させ、ビバヒルに取って代わる別の番組を持ち合わせていなかったのも理由のひとつだった。
『ビバリーヒルズ高校/青春白書』に出演したイアン・ジーリング、ジェイソン・プリーストリー、マーク・D・ エスピノザ、トリ・スペリング、ガブリエル・カーテリス、ジェニー・ガース、ルーク・ペリー、ティファニー=アンバー・ティッセン、ブライアン・オースティン・グリーン
ビバヒルのキャスティングも同じくらい気まぐれによるものだった。「その年の最初のクールではティーン向け番組が4本あった」とビバヒルの生みの親で当時30歳だったダーレン・スター氏は言った。「ビバヒルのキャスティングが一番遅かったから、どうせイマイチな奴らしか残ってないだろう、と思っていたよ」
ティーンエイジャーにまつわる何か、というアイデアを持って1990年にFOXテレビに入社した時、スター氏はシナリオライターだった。当時局長を務めていたバリー・ディラー氏は、ビバリーヒルズ高校を舞台としたシリーズ物をすでに思い描いていた。そしてビバヒルの権利は当時怒涛の勢いで『ラブ・ボート』や『ダイナスティ』などのゴールデンタイム向け番組を制作していたプロデューサーのアーロン・スペリング氏に売却された。スペリング氏は当初、あまり気が進まないようだった。「最初のリアクションは『なんで俺なんだよ?』だった」と白髪のスペリング氏は言った。「若者向けの番組なんて『モッズ特捜隊』以来やってなかったのに」
しかし、スペリング氏は直ちにこの計画を温めはじめ、18歳の娘トリがドナ役に配役されると、ビバヒルは家族ぐるみのプロジェクトとなった(トリはトリア・ミッチェルという偽名を使ってビバヒルのパイロット版『双子の兄妹は転校生』のオーディションを受け、監督本人も「まったくの無名俳優だと思っていた」そうだ)。『Nightingales』や『チャーリーズ・エンジェル』の生みの親でもあるスペリング氏は娘が露出の高い衣装でテレビ画面に登場するたび、見えないように椅子の位置をずらした。「世界最小かってくらい小さいビキニをいつも着けていた」とスペリング氏は言った。「プロデューサーとしては構わないが、父親としてはちょっと……人魚の衣装には本当にヒヤッとさせられたよ」
パイロット版では、ミネソタ州出身の健全なウォルシュ家が父親の転職によってビバリーヒルズに引っ越してくる。堕落の象徴のような南カリフォルニアの文化は魅惑的であると同時に双子のブレンダとブランドン(ドハーティーとプリーストリー)には馴染みのないものだった。架空のウエスト・ビバリーヒルズ高校での初登校の後、2人は豪邸で開催された淫らだけど最高のケータリングを手配したハイスクールパーティーに参加する。ブランドンとブリュネット(ダークブラウンの髪)のわがまま女が危うくジャグジーのなかでことに及びそうになる場面で、ブランドンのアメリカ中西部的な気質が彼を平常心に戻す。一方、ブレンダは魅力的だけどやたらごまをする弁護士と関係を持ちそうになる。そんな2人を前に両親は混乱を隠せない。「ミネソタではこんな厚化粧じゃなかったのに」とウォルシュ母は言った。
「(90210というビバリーヒルズの)ジップコードにありがちなステレオタイプとお決まりのキャラクター」とロサンゼルス・タイムズ紙のテレビ番組評論家ハワード・ローゼンバーグ氏は記した。バイロット版放送の翌年にはビバヒルがAIDS、デートレイプ、コンドーム、癌、ティーンエイジャーの妊娠、身体障害者、さらにはホロコーストなどの主題を扱い、ジハード級の絶大なフォロワーを獲得するなんて誰が想像しただろう。パイロット版の話題になると、ジェニー・ガースは「そんなのもう忘れてよ」と言った。ガースは裕福でわがままなブロンドのケリー・テイラーを演じた。ケリーと言えば、受けたばかりの鼻の整形手術を自慢しながら登場し、ブレンダに「いつもどこかでプールパーティーがあるから、暴飲暴食なんてできないわよ」と警告する人物だ。「ケリーが大嫌いだった」とガースは言った。「あまりに薄っぺらい人物だったから。でもそれ以来、ドラマは飛躍的に変わった」
パイロット版が放送されると、米CBSの『たどりつけばアラスカ』を手がけ、実際にも1970年にビバリーヒルズ高校を卒業したチャールズ・ロージン氏がビバヒルのエグゼクティブ・プロデューサーに就任した。ロージン氏はドラマを「人間のありように対してもう少し共感できるもの」にできると思ったのだ。こうして脚本はますますテーマの幅を広げていった。ビバリーヒルズという場所に不釣り合いなウォルシュ家のストーリーだけでは限界があったし(『じゃじゃ馬億万長者』から『ベルエアのフレッシュ・プリンス』にいたるまで、スイミングプールにまつわるジョークはあまりに使い古されてきたのも事実だ)、今までどのティーン向け番組も扱ってこなかったテーマがたくさんあった。「問題、という言葉は一切使わなかった」とアーロン・スペリング氏は言った。「でも、他のティーン向け番組のようにティーンエイジャーであることの楽しさだけを描くのではなく、ティーンの問題に目を向けようとした」
こうしてビバヒルのストーリーはブレンダがデートレイプ犯を追跡したり、乳房にしこりを感じたり、あるいは同じくらい悲惨な週の出来事や(Mad誌はパロディ作品を『ビバリーヒルズ911』と命名した)、運転免許を取得しようとしたブレンダのとんでもないジンクスなど、バラエティ豊かな内容となった。それでいて、ビバヒルのストーリーには一貫した平等さとメロドラマ性があった。それは、強い絆で結ばれた少数のライターたちのおかげだった。実際、脚本のほとんどはロージン氏、妻のカレン氏、そしてスター氏が担当していたのだ。
1991年に放送されたシーズン1のエピソード、『恋の始まり』の脚本を手がけたのはカレン・ロージン氏だった。「重要なエピソードだ」とチャールズ・ロージン氏は言った。「なぜなら、ここで私たちがどのようにして性の問題を取り扱うかが明確になったから」。さらに、このエピソードは事実上初めて未来のスター、ルーク・ペリーにスポットを当てたものでもあった。
「パイロット版がオンエアされた後、誰かしらちょっと危ない奴、少しあやうい奴がいたほうがいいと思ってディランというキャラクターを思いついた」とアーロン・スペリング氏は言った。スター氏はこのように振り返った。「ルーク(ペリー)がオーディション会場に足を踏み入れた瞬間『すごいぞ、アイツは何者だ?』って思った。俺にはジェームズ・ディーンに見えた。もちろん、意図して真似ていたわけではないだろうけど。ルークはそれほど自然体だった」
ビバヒルのオーディションはオハイオ州フレデリックタウンで育ったペリーが苦労して勝ち取ったチャンスでもあった。ペリーはこの小さな町をある時は偏屈な白人労働者の田舎町、別の時は田舎風の楽園と表現した。「どっちも本当のことさ」とペリーは言った。「あの町から出たくてたまらなかった。でも、今でも役に立つような多くのことを教えてくれた場所でもあるんだ。フレデリックタウンで使えそうなことはハリウッドでは学ばなかったけどね」。12歳の頃、ペリーは自分の夢が俳優になることだと気づいた。しかし、実際にレッスンなどを受けるようになったのは高校を卒業してロサンゼルスに引っ越してからだ。ペリーはニューヨークでも訓練を続け、そこで俳優としての初仕事を手に入れた。『Loving』のネッド・ベイツ役や『Another World』のケニー役など、昼のメロドラマがそうだった。
怒鳴り合いの喧嘩の後のディランとブレンダのファーストキスは、ペリーにとって炎のような洗礼だった。「すごく大変だった」とペリーは言った。「バカみたいにイライラしてた。俺にとって初めてのデカイ仕事だったから、本当にナーバスになってた。銃を突きつけられてるような気分だったよ。ちょうどロングコートを着てたから、道端にしゃがみこんで準備ができるまでずっとコートを頭から被ってた。心の準備ができるまで、カメラが回っていない場所ではシャナンに向かって怒鳴り散らしてた。泣いたり叫んだりした挙句キューまで間違えた。でもなんとか踏ん張ってたんだ」
大事なキスの後、ブレンダはケリーに「次はどうしたらいいの? 押さえつけられたりするのかしら?」と相談した。そんなブレンダにケリーは「そうよ、できればマットレスに」と答えた。その後、ケリーは「ルール1:男には頼らない」に従ってブレンダにコンドームを持ち歩くことを勧める。さらにブレンダは父親に「私がコソコソ隠れて何かしてるほうがいいの? それとも私のことを信じて見守ってくれるの?」と詰め寄る。最後にヘテロセクシャルのゲスト講師がウエスト・ビバリーヒルズ高校を訪れ、AIDS感染者としての実情を語ると、以前コンドームを使用せずにセックスした経験があるディランは、心配するブレンダに検査を受けることを約束した。
ブレンダとディランは1991年5月に放送されたかの有名な「スプリング・ダンス・パーティー」のエピソードまでセックスを延期していた。「初めは少し慎重だった」とドハーティーは言った。「でもドラマのなかでセックスを黙認するようなことはしない、って制作側が受け合ってくれたの。私たちはある場面を視聴者のために表現するのであって、良し悪しの判断はするべきではないと思う。家族の絆を深めてくれることなんじゃないかしら? だってドラマの登場人物が処女を失うのを観た親は、子どもに『どう思う?』って訊きたいはずよ」。ディランとブレンダはホテルの一室で水平の状態で腕立て伏せをしていた、という提案に対する視聴者の激しい怒りは、制作側に路線変更を突きつけた。
「あまりに激しい抗議に本当に驚いた」とスター氏は言った。「視聴者が怒っていた一番の理由は、ブレンダが処女を失った後もハッピーだったからだ。だから、夏に予定していた最初のエピソードでは、ブレンダが妊娠の可能性に気づき、ディランと別れなければいけないというストーリーを書く必要があった。これは正直かなりキツかった。『ルーク・ペリーとセックスした女の子がそれが原因で別れるなんて、どうやったら納得のいくストーリーになるんだ?』って思った。でも、どちらかと言うとテレビネットワークや広告主に対する反応だったと思うんだ。それもテレビ業界の一部だから」。それ以来、ディランとブレンダのロマンスは二の次にされてしまった。それでもなお、ペリーはこのように言った。「2人は今でもセックスしてるさ。現実を見ないと。ただ、話題にしてないだけだ。だって高校で何かが起きたら、後戻りなんてできないから。後戻りなんて絶対無理だ」
やがてFOXテレビは、自分たちが何かしら特別なものを持っていることに気づいた。気づいたきっかけは「視聴率ではなく、騒動だった」とFOXテレビの幹部のひとりは言った。ショッピングモールでペリーがもみくちゃにされた春以来、FOXテレビネットワークの番組制作者たちはこの熱狂的な人気を活用する方法を模索した。夏が訪れると、番組制作者たちは果敢にも新しいエピソードを世に送り出し続け、新たに30話を発注した。前例のない注文(1時間ドラマの場合、1クールにつき22話が一般的)は良い結果をもたらした。ライバル社がビバヒルを再放送するなか、ビバヒルは情報調査会社ニールセン社のトップ20にランクインしたのだ。
夏に放送された新しいエピソードでも引き続きティーンの苦悩が描かれた。「スプリング・ダンス・パーティー」の一件のおかげで描写はより慎重になった。ジェニー・ガースはこのように表現した。「私はケリーが誰かとヤったり、万引きしたりしてほしかったけど、賛同してもらえなかった。もう一生悪いことなんてできないじゃない、って思ったわ。悪いことなんて誰もが経験するのにね」
「誰もが『もしみんなのお手本のブランドンがドラッグをしている場面を放送したら、視聴者はどんな風に受け止めるだろう?』みたいなことでナーバスになっていた」とスター氏は言った。
その結果、優等生ブランドンは2度にわたって精神安定剤を盛られることになった。2回目に投与された危険薬物は架空の「U4EA」(実在するドラッグを使用した場合、やってみたいと思う視聴者が出てくるのを恐れるあまり、プロデューサーは架空のドラッグを考案した)というもので、ブランドンのおっかないブロンドのガールフレンドのエミリーがソーダ水に入れた。『リーファー・マッドネス』にオマージュを捧げた描写では、U4EAを投与されたブランドンは「生きてるって実感できる最高の気分」になり「ねえ、舌についてるブツブツって何て言うの?」などのぶっ飛んだことを口走ったり、シャツのボタンを外して朦朧とする意識のなか、車のボンネットで関係を持とうとしたりした。不注意でドラッグを摂取したからといって恐ろしい報いが避けられるわけではない。翌日、ブランドンはひどい頭痛に悩まされ(いわゆる酸性ハングオーバー)、前夜の行動にひどく恥じる。やっとのことで見つけた車はボコボコにされている。ここでの教訓は以下の通りだ。ドラッグとおっかないブロンド娘のソーダ水には手を出さないこと。
薬物混入によるお楽しみは、ブランドンのダイキリにラムが入れられた1月のエピソードにさかのぼることができる。それが原因でブランドンの日常はテキーラとバラの日々と化し、挙げ句の果てには飲酒事故まで起こしてしまう。ブランドンは刑務所送りになるが、そこでもヘアスタイルはキマっていた。「あのエピソードは楽しかった」とジェイソン・プリーストリーは振り返った。「初めてブランドンが羽目を外したエピソードだったから、本当に大好きだった」と語るプリーストリーは、ウエストハリウッドのバーでイギリス産ビールのお代わりを楽しんでいた。これがビバヒルだったら、気が触れたアルコール中毒者にさせられていたかもしれない。
プリーストリーといえば、緊迫したセットでもジョークを飛ばしたり、ズボンを下ろしたりしてその場のムードを瞬く間に明るくできる人物だ。「これだけ最高な奴らと一緒に仕事ができるなんて、神様に感謝だよ」とプリーストリーは言った。「出演者にひとりでも嫌な奴がいたら台無しだ。そうだろう?」。プリーストリーを見ていると、彼がいつどこでも楽しむことができる人物なのがわかる。『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演したとき、司会者のデイヴィッド・レターマンはお決まりのようにプリーストリーをからかい、プリーストリーは笑顔で受け止めた。「すごく楽しかった」とプリーストリーは言った。「とにかくステージに上がらないといけなかった。『ベイビー、どうか俺をぶっ殺してくれ』って気分だった。踵を返してその場から逃げ去ったとしても、問題なかったと思うけどね。みんな理解してくれたはずだ」
カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーに生まれたプリーストリーは4歳で演技を始めた。初期の仕事の多くはコマーシャルだったが(プリーストリーを困らせたいなら「ハムもね!」と歌う加工食品のCMについて訊くといい)、1989年にシスター(ステファニー・ビーチャム)に育てられる孤児をテーマにしたドラマ『Sister Kate』のキャストに抜擢されたことでチャンスが訪れた。実際、ドラマは「神よ、お許しください、私は罪を犯しました」と言うよりもはやく打ち切られたのだが。
プリーストリーは突如として訪れたスターの座のことは気にしていないようだった。それは、プリーストリーがビバヒルに関する公の場での露出に関わらなかったからかもしれない。「俺は何がなんでも何千人の女の子たちにキャーキャー言われたいからこの仕事をしてるわけじゃない」と語った。「ルークだってそうだ」。番組もまた、成功に対して同じくらい鈍感だった、とプリーストリーは主張した。「番組制作者が『たくさんの人が観るようになったから、少しは控えめにして、あまり物議を醸さないようにしないといけない』って言いださなくて本当によかった」
1991年の11月、ビバヒルはすべてのティーン問題に終止符を打つため、究極のティーン問題を取り上げた——それが死だ。史上最高の視聴率を叩き出したエピソードのひとつでは、スコット(ダグラス・エマーソン)という登場人物が父親の机の引き出しからピストルを引っ張り出し、指に引っかけてクルクルと回す。「見ろよ」と友人のデビッド・シルバーに言うと、銃声が響く。デビッドの表情が恐怖に固まる。天使のような声が「私たちを待っている場所がある」と響く全校集会の場面に切り替わる。
ダグラス・エマーソンを待っている場所がどこであれ、誰もがお悔やみの言葉を述べた。「お決まりのように『お前は死んだ、死んだんだよ。でもどうして死んだの? 何が起きたの?』ってね」とブロンドの俳優は少年っぽく言った。当然ながら、スコットの死はエマーソンを複雑な気分にした。「一番つらいのは、殺されるようなことは何もしてないって自分に思い込ませないといけないことだった」とエマーソンは言った。1992年3月にビバヒルが再開すると、エマーソンは番組と自身の将来を信じた。サーブのイケてる新車を購入したのだ。それは、制作側が「今後のキャラクター展開」に関するミーティングにエマーソンを招集しようと電話をかけてくる前のことだった。ニュースはエマーソンにとってショックだった。それも当然だ。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の後でバンドから切り離されたピート・ベストの気持ちを想像してほしい。
こうした状況の末期症状によく見られるように、エマーソンは夏の間中ずっと救済措置を期待した。でもうなぎのぼりの視聴率を誇るビバヒルは俳優に猶予なんてくれない。ましてや、銃で遊ぶようなイメージが定着したキャラクターを再度起用することはない。「あのエピソードのおかげで何人かの命が救われていたらいいな」とプリーストリーは言った。「だって銃が人を殺すわけじゃないから」。その通り。殺すのはプロデューサーだ。
「その頃にはドラマも注目されてるだろう、という確信があったから、このエピソードを3月に計画した」とロージン氏は言った。「自殺でも病気でもなく事故にしたかった。ピストル事故が一番しっくりきたんだ」
スペリング氏曰く、ぞっとするような広告キャンペーンの責任はFOXテレビにあったそうだ。「今夜、彼らは仲間のひとりを失う」というキャッチコピーとともにレギュラーキャストたちの写真が張り出された。そこにはエマーソンの姿もあった。
生と死というテーマの成功にも関わらず、ビバヒルが取り扱わないテーマもいくつかあった。たとえば、カリフォルニア州の公立学校の残念な実情にまつわるエピソードは存在しない。「娯楽メディアだから」とロージン氏は言った。「最終的な目標は視聴者を楽しませることだ。ビバリーヒルズ高校で教員のストライキに関するエピソードを放送したりはしない」
「私たちの願いは、まずは娯楽としてある程度のインパクトを与えること。そしてそれが終わったら、内容ついて視聴者に考えてもらうこと。考える時間はそうだな、5秒くらいかな。この5秒が私たちのゴールなんだ。実際、私たちの番組のインパクトは5秒より少し長いみたいだ」
「番組に対する主な反応はドラマのリアルさだった」とデビッド・シルバー役のブライアン・オースティン・グリーンは語った。「人々はストーリー展開がものすごくリアルだと思っているの」とドナ役のトリ・スペリングも言った。廊下にDJブースがある高校、BMWを運転し、デザイナーブランドの服に身を包む若者、ジェイソン・プリーストリーやシャナン・ドハーティーのようなルックスの高校生……果たしてこれがリアリズムなのだろうか? しかし、テレビにおけるリアリティとは相対概念に過ぎない。アーロン・スペリング氏が言ったように「失敗に終わったデート、あるいはデートのない毎日、どちらも悲劇だ」
「若者たちにとってはすべてが生と死の問題なんだ」とペリーは言った。それは親たちにはわからない。神経質すぎるからじゃない。裕福すぎるからだ。アメリカ中西部の出身でもない限り、自分の家族は電子レンジに入れたプードルみたいに爆発する運命だと思うようになる。ビバヒルに登場するほとんどの家族には、機能していない家族の一員がいた。コカイン中毒やイカれた(ケリーとディランの)母親、ものすごく怖くて子どもを骨抜きにしようとする(スコットの)母親、自己中心的で愛することができない(スティーブの)母親、さらには不在、あるいは法から逃れようとする(ディラン、ケリー、スティーブの)父親などだ。
作中でティーンを善の中心に据えたことで——ママやパパの小言で埋め尽くされるのを待っている真っ白な紙ではなく——ビバヒルはファンから熱烈な支持を得る結果となった。もちろん、スター俳優たちが美男美女で、いい服を着て、イケてる車を運転してビバリーヒルズに住んでいるのはマイナスにはならない。
「イメージと精神生活の問題なんだ。ドラマとコメディは必ず両方のギャップを扱っている」とロージン氏は言った。「ビバリーヒルズはあまりにイメージを重視する街だ。できることなら、ステレオタイプを推奨するのではなく、打ちこわしたいと思った」
そうした試みは髪の色においても功を呈してきた。「あるレセプショニストに言われたの『あなたはブルネットの女性にとってすばらしいことをしてくれた。意中の男性をゲットして、いい人生を送って、一番の美人だって言われるのはいつもブロンドだから。あなたはそれを覆してくれたの』って」シャナン・ドハーティーは言った。
あらゆる欠点がかすんでしまうほど美しいブルネットのドハーティーは、ビバリーウィルシャーホテルのティールームでコーラを飲んでいた。ぴったりとした黒いボディースーツにスキニーデニムという格好はブレンダに似つかわしくない。「ブレンダよりも体型を重視した服を着るの」とドハーティーは言った。「ブレンダなら、体型を隠すためにこのボディースーツのうえからワンピースを着るでしょうね。ブレンダはどちらかと言うと、アップルパイみたいにキュートなご近所の女の子だから。アメリカの恋人ね。(以前にドハーティーが出演し、最も記憶に残っている映画『ヘザース/ベロニカの熱い日』で演じた高校生ビッチのリーダーとはかけ離れている)」
リアルなブルネット像を打ち立てただけでなく、当時20歳だったドハーティーはアメリカの恋人であることの責任を非常に重く受け止めていた。ドハーティーはこう言った。「あるエピソードで、制作側がブレンダをダイエットさせようとしたの。3、4キロだったかしら。私はわりと痩せてるけど、過食症や拒食症のような大きな問題を抱えていたから、私を観た女の子たちが間違った方向に解釈したらまずいと思った。チャック(チャールズの愛称)・ロージンに相談したら、ダイエットの件はなくなったわ」
ドハーティーが再びコーラを口にすると、ペア型のダイヤモンドの指輪が左手で輝いた。クリス・フーファス(結婚しても苗字は変えていない)という名前のビジネスマンの婚約者からの贈り物だ。「婚約者がEnquirer誌のページを開いて言ったの。『なんだよ! 6カラット半のダイヤの指輪をプレゼントしたのに、記事には3カラットって書いてあるじゃないか!』って。だからマネージャーのマイク(ガーシー)に電話して『お詫びと訂正の文章を入れさせて。私の指輪は3カラットじゃないのよ』って電話の向こうで大騒ぎしてたら、マイクが爆笑しだしたの」
ダイヤの大きさはさておき、ドハーティーは「とんでもないビッチ」というイメージを払拭したいと思っていた。それ以外にも「甘やかされたクソガキ」や、ある時はシンプルに「気難し屋」と言われ続けてきた(ビバヒルのプレスリリースはドハーティーに対して「努力家で強い意志の持ち主」と角の立たない表現を使っている)。
「自分の主張を通そうとする強い女性が『気難し屋』なら、それでもいい」とドハーティーは言った。「私は色々なアイデアに対してオープンなの。でも私を的に回して、私の話に耳を傾けないで、男性と同じくらいの敬意を持って接してくれないなら、私は一筋縄にはいかないわよ」
ドハーティーは南カリフォルニア育ちだ。プリーストリー同様、彼女も初めてオーディションを受ける際に両親を説得しなければならなかった。初めてテレビに出演したのは『Father Murphy』2部作で、11歳の頃に『大草原の小さな家』で主役を務めた。『大草原の小さな家』の共演者マイケル・ランドンからファイティングスピリットを学んだそうだ。「ランドンはこう言ったの『本能に従い、誰にも踏みつけられるな。必ず自分の信念を貫け』って」
「シャナン(ドハーティー)はプロなんだ」とロージン氏は言った。「10歳から演技をしている。誰だって自分の人生のどこかで怒りを感じる時期はある」ドハーティーや共演者たちと私たちの違いは、彼らがそれをセットで経験していたことだ。
1991年を通し、出演者にとっては荒れ果てたセットが家だった。魅力に欠けるサンフェルナンド・バレーの崩れ落ちそうな学生寮と老朽化した飛行機の格納庫を行ったり来たりしたビバヒルのクールな登場人物たちにとってはそんな場所を家と呼ぶくらいなら、死んだほうがマシだっただろう。たかがテレビ——クルーのひとりが番組の仕事に対する取り組み方をまとめたバッジを身につけている。裏口から出演者がメイク室になっているトレーラーに向かう時、彼らは洗濯機が販売されている薄汚い路地を通らなければならなかった。
「お金をもらって仕事をしてる気がしない」。プリーストリーは言った。「だって仕事が楽しいから。お金をもらうのはスタンバイのためだ」撮影の合間の長いスタンバイ期間中、俳優たちはタバコを吸ったり、ふざけあったり、箱ほどの大きさしかない小さな楽屋で音楽を大音量で流したりした。すごく親しくなったり、ものすごくイライラしたりするには十分な時間があった。「みんなが仲良しだった、なんて嘘をつくつもりはないわ」とドハーティーは言った。「口論もするけど、最終的には仲直りをした。きょうだいみたいな関係ね」
この”ファミリー”にはちょっとした男同士の絆もあった。「ジェイソン、ルーク、イアン(ジーリング)の3人はほんとうに仲良しだった」。ドハーティーは言った。
「女の子たちはみんな彼氏がいたし、それぞれの人生があった」とペリーは言った。「でも俺たちには仲間がいた。俺たちみんなでやってるんだって思ってた」
「今でも集まって現実かどうかをチェックするんだ」とスター俳優の養子スティーブ・サンダースを演じたイアン・ジーリングは言った。「俺たちの身に起きていることや、それがどれくらいとんでもないかを語り合うんだ」。仲良し俳優たちは一緒に射撃にも出かけた。子どもじみたイタズラによるピストルのせいで”仲間のひとりを失った”にも関わらず、キャストの若い男性たちはみんな射撃に夢中だった。ペリー、ジーリング、プリーストリーはオリンピックのアメリカ代表射撃チームのチャリティとしてCharlton Heston Skeet Shootで射撃を楽しんだばかりだ。「モーゼズもいた。あいつはかなりの要注意人物だ」とペリーは言った。「拳銃を持ったモーゼズ。俺は俳優のチャック・ノリスやロバート・スタックと同じチームだった」。残念ながら、スケジュールの都合でジーリングはフロリダ州で開催されたノーマン・シュワルツコフ陸軍大将を記念した射撃大会をキャンセルしなければならなかったそうだ。
射撃に興じていない、あるいは番組に出演していない時間を除くと、俳優たちにはわずかな自由時間しかなかった。いつも『サタデー・ナイト・ライブ』の司会者アーセニオ・ホールとのおしゃべりに忙しかったり、『Circus of the Stars』で綱渡りを披露したりしていたから。「彼らへのプレッシャーはすさまじいものだった」とウォルシュ父を演じたジェームズ・エックハウスは言った。ジーリングもこのように述べた。「ヒット作に参加している以上、みんなに求められる」
数え切れないほどのビバヒルTシャツ、ポスター、ビーチタオルがあるにも関わらず、マーチャンダイジングは始まったばかりだ。キャストはクレイアニメのガンビーみたいに引っ張られたり、引きずられたりせずにすみっこの店までいけないというのに、マテル社はドラマのスターをモデルにしたバービーサイズの人形シリーズを発売する予定だ。「ショッピングモールで声をかけられる」とドハーティーは言った。「事実上、すべての日常生活を奪われるの」
「街でもいつも誰かが私のところに来て『あなたのことを好きにならないなんて、ブランドンはバカね』って言うの」と秀才アンドレア・ザッカーマン役を演じた、ティーンの出演者のなかでは30歳という最年長のガブリエル・カーテリスは言った。「ある夜空港にいると、ブルック・シールズが来て言ったの『あなたのドラマ大好き。いつも泣いちゃうの。それに、あなたと付き合おうとしないなんて、あの男は大バカね』って」
「ビバヒルのファンはただのファンじゃない」。プリーストリーは言った。「マジで重すぎるくらいだ。俺たちみんなに共感してくれるんだ」。でもこれは控えめな表現に過ぎない。18歳だったブライアン・オースティン・グリーンは、公の場に現れた時に何百人ものティーンが彼の人生にまつわるささいなクイズに大声で答えたことを振り返った。「俺の兄弟や姉妹の名前と年とか、飼い犬の名前とか、持ってる車の色とか、その車のバンパーの大きさやタイヤのサイズまで知ってるんだ」
1991年5月、ファンの前に姿を現したグリーンは装甲車に乗せられてショッピングモールを後にした。使えそうな洗濯物入れはなかったのだろうか? 「だってルークがバラしたせいで雑誌の記事に書かれちゃったから。その手口を使える見込みはなかったよ」とグリーンは言った。
1991年の夏以来、グリーンや他の出演者の特集を組んでいないティーン向けの雑誌を見つけるのはかなり難しくなっている。表紙には必ずと言っていいほど、笑顔や悩める表情を浮かべたペリーとプリーストリーの写真と「ジェイソンが秘密の恋愛事情を告白!」(ペリーとプリーストリーはバンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック以降のティーン産業を不況から救ったと評価されることが多々ある)のような見出しが踊っていた。プリーストリーとペリーの日常生活はすべてさらされたが、とうにティーンを越えた女性たち——リンダ・ハミルトン、ジェーン・パウリー、ステファニー・ビーチャムなど——のあいだでのペリー人気はうまい具合に控えめに報じられた。ビバヒルのあるエピソードでディランのぶっ飛んだ母親を演じたビーチャムはペリーを気に入っていたようだ「1週間ずっとエディプスコンプレックスと戦い続けなければいけなかった」とペリーは言った。
ペリーとプリーストリーの年齢は?(両者とも「20代半ば」と答えたそうだ、実際にはペリーは20代の終わりに近かったが)最初にクールなもみあげを披露したのはどっち?(「もみあげがあんなに話題になるなんて、本当にバカげてる」とペリーは言った。「俺が先に決まってるじゃないか」)ペリーとプリーストリーとの間にライバル関係はあるのか?(「そんなものはない」とペリーは言った。「俺はアイツと週4か5で顔を合わせてる。アイツにキスでもしたら仲良しだって納得してくれるのか?」)ペリーとプリーストリーは誰と寝てるのか?(「ルークの添い寝相手は間違いなく豚よ」とドハーティーは言った。ここでの豚とは、ペリーがメディアから隠し続けてきたジェリー・リーという名前の中国産のミニブタだ。「ジェリー・リーは俺の毎日にとってヨーダのフォースのようなもんだ」とペリーが言うと、「実際、ルークの家に行くと豚のいいにおいがする。それがけっこう好きなんだ」とプリーストリーも口を揃えた)このように、メディアは聖杯のごとく手の届かない情報を求めてきた。
「『俺なんかいなくてもいいのでは?』って思うこともあった」とダーレン・スター氏は言った。「ジェイソンとのシーンを監督してたんだけど、彼はあるセリフか何かを言いたがらなかった。だから言ってやった『ジェイソン、君が何を言おうと関係ないんじゃないかな?』って」
「俺たちはみんな必死に努力してきた」。ペリーは言った。「誰もが俺たちのことを外見しか気にしない女々しい連中だってバカにしてたから」。そう言いながらタバコをもみ消した。「これからのことを考えると、多くの人が俺に対してとてもシニカルな意見を持っているのはわかってる。俺は大スターになろうとは思ってない。でも、俺がすでに大スターであるかのような話し方をされると不安になる」。その不安は理解できる。ビバヒルのキャストは、どの世代も独自のフランキー・アヴァロンを必要としていることも理解している。ハリウッドのどの中華料理店にも知らないスターの写真が飾られていることも。
「今は私生活を大事にしてるの」。ドハーティーは言った。「だって落ち目になって人気を失っても、支えてくれる人が必要だから」
「私たちは地に足をつけていないといけない」。カーテリスは言った。「この作り物の世界に飲みこまれないように。たしかにドラマは今、人気絶頂かもしれない。でも明日終わったとしても私たちは生きていかないといけない」
ダグラス・エマーソンはこんなことに気づいた。「殺されたことに対して誰にも怒っていない、って説明するのはすごく難しい」。エマーソンは言った。「この業界はとめどなく変化するし、今ブレイクしてても、次の瞬間には忘れられるかもしれない」。押し寄せたファンに攻撃されようとも、人気テレビドラマの犠牲者となろうとも、フォーチュンクッキーのようにやがてすべては崩れ去る。