写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
日本のエースとして卓球界を牽引し続ける水谷隼、1月には10回目の全日本選手権優勝という偉業を成し遂げたばかりだ。「最近の調子は?」と何気ない質問を投げかけるとショッキングな言葉が返ってきた。
「実は、この1年、球が見えないんです」
一人の卓球ファンとして、にわかに信じがたい。だが、そんな冗談を言う男ではない。何より、その眼差しは真剣そのものだ。一体、水谷の目に何が起きているのか。
現役引退も考えた、深刻な目の症状
写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
「文字通りです。“見えない“んです。この1年間、かなりキツかった」。
自分の目の症状について「日常生活に支障はない。でも “特定の条件”になった時に球がまったく見えない。つまり、卓球台の周囲が暗くて、台にだけ白い光が当たっている。そして周囲が電光掲示板で囲われている場合、ほとんど球は見えていません」と明かす。Tリーグにしろ、ワールドツアーにしろ、大抵の場合、大きな試合であれば客席が暗く、卓球台はライトアップされ、周囲はLED掲示板のスポンサー表示が並んでいる。もしこの言葉が本当なら大舞台の試合はほとんど球が見えていなかったということになる。
水谷の視界に相手はどんな風に写っているのか。「まず相手がボールを構える。その時に(掲示板と)かぶって、フッっと球が“消える”んです。その後、打球の音だけが聞こえる。ボールはネットを越えたあたりから突然現れる。この1年の僕のプレーを見てもらってもいい。まったく逆をつかれて驚いていたり、ラケットの角に当たって返球してる場面が本当に多いんです」。
普段冷静な水谷が悔しさをにじませる。「正直現役引退も考えていました。卓球やっていても悲しいんですよ」。
言わずもがな、卓球は目が物を言うスポーツだ。相手のフォームを“観察”し、球の回転を瞬時に“見切り”、瞬時にコース“目がけて”打ち返す。文字通り2つの眼は卓球選手の命綱といっても過言ではない。
5年前に突如下がった視力
水谷が視力に悩み始めたのは5年前のことだ。もともと水谷の視力は両目ともに1.5ほどあったにもかかわらず「当時、なぜか左目だけ急に0.3くらいまで落ちて近視と乱視のような状態になった」と明かす。「ちょうどその頃から電光掲示板が卓球の試合に導入され始めて、なんか気になるなぁ…って思い始めました。それで左だけレーシックをしたんです」。視力を元に戻してからの5年間は“黄金期”を迎えた。ロシアリーグの活躍にリオ五輪で初のメダルを獲得、2017年には世界ランキング4位と過去最高につけた。
写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
だが、2018年1月頃、水谷の視界に再び異変が訪れる。ボールが見えにくくなっていたため、検査をしたところ、右目の視力が落ちていた。「ほんの少し右目に乱視と近視がありました。本来は手術する必要性は全くなかったのですが、少しでも良くなればと思いレーシックをしたけど改善できなかった」。
近視を改善してもなお解決されない視界不良。その原因は水谷の両目に施したレーシックとは関係ないのか。水谷はその可能性についてはっきりと否定する。「アメリカに行って専門医にも見てもらったのですが、レーシック自体の経過はまったく問題ないし、繰り返しになるけど日常生活には問題がないんです。そもそも白いボールでプレーして、後ろの電光掲示板の広告の色も白やグレーなのでボールが見づらくなるのは当然じゃないですか?」。あくまでレーシックによるものではなく、照明の問題のようだ。
では、仮に照明が原因であれば、他の選手も同様の悩みを抱えているはずだ。今年の全日本選手権で2年連続3冠を達成した伊藤美誠に話をぶつけたところ「確かに台の真上にライトがあったり、正面に照明があると見えにくくなることがあって、その場合はITTF(国際卓球連盟)に指摘する。あと、目線の先にライトが来ないようにお願いしている。コートの後ろのLED広告はラリー中に変わらなければ大丈夫。ただ白はやめて欲しい」と語るが「球が消える」ほどではなさそうだ。
「今の自分は全盛期の3割」
写真:水谷隼のサングラス/撮影:伊藤圭
この1年の調子について水谷は「正直、今の自分は全盛期の3割くらい」とまで言い切る。だが、悩んでばかりもいられない。苦肉の策として選んだのがサングラスの着用だった。「サングラスをつけると少しマシですね。5割くらいの力はなんとか出せるようになった」。
だが、ここまで水谷の話を聞いても、正直、にわかには信じがたい。水谷の「全盛期の3割」という発言と昨今の成績がまったく比例していないからだ。Tリーグでもチームを優勝に導き、全日本選手権では前人未到のV10を達成、3月のトップ12では準優勝という輝かしい成績を残しているではないか。
「全日本の決勝は相手が大島(祐哉)だったから自分が主導権握って、フォアでゆっくりラリーを展開できた。こういう試合だとコースも回転も予測できる。それでもだいぶ“勘”でしたけどね(笑)。優勝できて自分が一番驚いたくらいで。かたや、トップ12のときの決勝・張本戦は全然だめだった。あれは自分の卓球史でワースト3に残るレベル。張本みたいに台の前にはりついてガンガン打ち込まれるような相手になると途端に見えない」。
ここまで深刻な目の症状を抱えながら、水谷の戦い続ける意思は固い。そこにあるのは卓球界への危機感だ。「“3割”の僕でも優勝できてしまうようでは、日本の若手がまだまだっていうこと。もっと貪欲に勝ちに来てほしい。もっと貪欲に倒しに来てほしい。このままでは安心して任せられない。たとえ自分がどんなに弱くなっても、卓球界に、居続けるつもりです」。(続く)
文:武田鼎(ラリーズ編集部)