雅子さまと紀子さまには共通点が多い。帰国子女で教養も品格も美貌も兼ね備えた均等法世代。だが、働く女性たちの間では、紀子さまよりも雅子さまに共感するという人が多い。なぜなのか。2人の笑顔の違いにその秘密が隠されていた――。
学力も身体能力も優れた帰国子女
今年2019年5月、令和の時代が幕を開け、私たちが長い間「皇太子(プリンス)」、「皇太子妃(プリンセス)」として馴染んできた浩宮さまと雅子さまが、それぞれ新天皇、新皇后となった。
新天皇の弟、秋篠宮さまは皇位継承順位1位となる皇嗣の地位に就き、秋篠宮さまと紀子さまの長男、悠仁(ひさひと)さまが皇位継承順位2位となる。秋篠宮家は「皇嗣家」だ。
雅子さまと紀子さま、90年代に誕生した2人のプリンセスは2人とも一般家庭出身とはいえ、海外経験のある帰国子女で、学力にも身体能力にも長じ、高い教養と品格を備えた、時代に即したプリンセス像だった。だが皇室に入ってからは明暗がくっきりと分かれた。かたや「お世継ぎ問題」や「人格否定」のプレッシャーで長年「適応障害」を患い、こなた姑たる美智子上皇后と良好な関係を結んで公務も雅子さまの分までこなし、お世継ぎとなる男子が生まれないではないかと一般世間ぐるみで焦る皇室にあっと驚く見事なタイミングで男子をもたらした。
皇位継承権を持つ子を産んだかどうかという点から見るならば、「皇統」なるものに自らのDNAを残さなかった女性と、残した女性という見方もできる。そして2人は今年それぞれ、令和の皇后と、将来の天皇の母となった。
長男の不器用な嫁と次男の器用な嫁
2人は、実は54歳と52歳で共に「均等法」第一世代だということに、私たちはふと気づくのだ。
だからなのだろうか、彼女たちの結婚までのキャリアももちろん、結婚後の苦悩のあり方にも、均等法以降の世代の女性は、どこか自分自身をなぞらえていたような気がする。2人のプリンセスのキャリア観、女性観、子育て観、そしてそれが世間に賞賛されたり、ひどく安易に手のひらを返して批判されたりという姿を見ながら、私たちは「女ってなんだろう」を考えていたような気がする。
「皇室」で起こる出来事にまるで親戚かのようにアンテナを張ってあれこれと口さがない世間の(こういう皇室評論家めいた赤の他人たちを男女問わず『エア姑』と呼ぶらしい)、ロイヤルファミリーに無邪気に憧れる気持ちが裏返った、品のない意地悪さに嫌気が差しながら。
「長男の不器用な“嫁”」と「次男の器用な“嫁”」、2人の「均等法」第一世代のプリンセスは、巨大な「婚家」とも「世間」とも向き合い、30年近くもの間、それぞれのスタンスで静かに戦ってきた。だがその「戦い方」を見て、働く女性にはどこか紀子さまよりも雅子さまに共感し、応援するひとが多かったのだ。
2人の“笑顔”は何が違うか
その理由は、海外育ちでハーバードから東大、外務省、オックスフォード留学とあれほどに優秀だった彼女がキャリアと自由を失い、ここ20年間カメラに向けて虚ろに浮かべ続けた、あのぎこちない笑顔にあると思う。日本的に意味もなく曖昧に可愛らしく笑ったりなどできない、帰国子女らしい彼女の不器用さ。だが紀子さまは画面に現れた時からずっと、ミステリアスで上品な笑顔を口元に張り付かせることのできる器用さがあった。
優秀な外交官たれ、日本の外交に資する人材たれと育った、真面目さと努力の塊のような雅子さまは日本のプリンスに大いに気に入られ、皇室に嫁ぐことが日本外交のためにできる最も大きな貢献だと自分に言い聞かせて、「象徴」になることを受け入れた。
女として妻として母としての一挙手一投足を無遠慮に眺め回され、背が高すぎて身長163cmの浩宮さまとのバランスが悪いの何のと、着ているものやら何やらから下世話な憶測までされ、ゴシップ誌やワイドショーや赤の他人の「エア姑たち」の茶飲話のネタとなった。「お世継ぎが産めない」というどうしようもない事実の前には、自分の積み上げてきた努力や専門性や哲学などしょせん無価値であると「人格否定」されても、一歩玄関ドアを出れば、人々の前でぎこちなく笑うしかなかった。病んで当たり前だ。
紀子さまの器用なスマイルは、それとは対照的に自分に突きつけられた要請や役割を早くから受け入れ、こなしてみせようという気概や自信を表していたように見えた。やはり海外で育ち、語学力も高く、伝統的な世間がホッと安心する「学習院育ち、就職経験のない女性」で、「次男の“嫁”」として家庭経営も子育てもバランスよくやり遂げ、雅子さまのゴタゴタを横目に、必要とあらば、見事なタイミングで難なく男子を産める紀子さまには、良くも悪くも「プロ嫁」と評価する向きもあったのだ。
逃げ出せない、逃げ出さない
雅子さまが適応障害と診断されて世間を賑わせていた頃、あまりに長い療養に「そんなに辛いなら、さっさと離婚しちゃえばいいのに」という意見があった。私は「新鮮だなぁ」と感じ、そういうことを考える人は絶対「雅子さま」にはならないし、羨ましいとさえ思った。
雅子さまの不器用な生き様にどこか自分をなぞらえるひと、共感する女は、雅子さまが当時皇太子妃としてどんなに苦しんでもその責任と立場を放棄するなんて発想がないからこそ、共感するのだ。逃げ出せない、逃げ出さない。どんなに自分が病もうとも、その病みにさえただ真正面から取り組む。超絶優秀なのに、信じられないくらい不器用。痛みも批判も、つねに自分が一身に浴びる。だから雅子さまなのだ。そんな雅子さまだから、私たちは好きなのだ。
産みたくたって産めない。自分の価値ってそれだったっけ。あれっ、自分がこれまでの人生でやってきたことって何なんだっけ? いや、そうか、これを引き受けたんだっけ。じゃあもう一度、真正面から対峙しなきゃ。
暗黒期を経た自信の笑顔
新天皇即位に合わせて出版された『消えたお妃候補たちはいま~「均等法」第一世代の女性たちは幸せになったのか』(小田桐誠/ベスト新書)には、浩宮さまのお妃探し当時の経緯や関係者がひっそりと考えていた「お妃の条件」、そして候補となった全70名の女性の「その後」が記されており、日本社会の女性観を考える、とてもいい材料になる。
皇族・旧皇族や華族を表す「宮さま」に対し、「平民」というボキャブラリーが出現する世界。3代遡って「傷」のない「血統」、(本来の厳格な皇室の価値観にこだわる人はとくに)カトリックの聖心は神道を掲げる日本の皇室としては異端で、学習院こそ正統との考え方。そうは言いながら大学は共学だと虫がつくからと嫌がられ、名門女子大出身者、しかも「お妃に上司がいては面倒」だから「就職せず、働いた経験のない女性。OLは許されない」。そして当たり前のように「容姿端麗」。
お妃の条件には、人を構成する条件、スペック、つまり「箱」しかない。本人がどんな人格で、何を大切にする価値観や哲学の持ち主なのか、「中身」など誰も問うていないのだ。
そんな時代錯誤なお妃候補などに「なってしまった」女性たちは、候補返上の意思表示として、続々と就職したり、海外留学したり、他の男性と結婚したりして、さっさと逃げた。あるいはピアスの穴を開けて、自ら「(伝統的な価値観の人々が考える)傷モノ」となり、NOの意思表示をしたのだという。
傷モノだったなら、あるいは自ら傷モノになってしまえば、囚われなくて済んだのに。でもそんな発想のない雅子さまだからこそ、「適応障害」の暗黒期を経て皇后となった今、30年前のあの時に彼女自身が思い描いたとおりの「優れた象徴外交」を通して、不器用ではない、彼女本来の自信に溢れた笑顔を見せてくれている。
[フリーライター/コラムニスト 河崎 環 写真=時事通信フォト]