「学校に行きたくない」という子にどう対応すればいいのか。『不登校新聞』編集長の石井志昂さんは「不登校は一番苦しい時期を脱したサイン。理由がはっきりとわからなくても、休ませてあげるのが最善だ」という――。
※本稿は、石井志昂『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
「先生がこわい」と言ったら、どう返せばいいか
学校に行きたがらない理由は、子どもから詳しく聞き出さなくても、これまでの言動、状況や背景を考えてあげることで、こういうことで悩んでいるのだろうな、と考えてあげてほしいと思います。
私がよく聞くのは、部活や学校の不満を口にしていたのに、ある日突然、その話をしなくなり、どんどん元気を失っていったというケースです。親は、子どもがその話をしなくなったので解決したのかなと思っていたら、実際にはそうではなく、まったく逆の状況だったというものです。
また、小学校1年生など小さい子は、「先生がこわい」と言うことがあります。子どもがそう言ったら、「どうしてこわいと思ったの?」というように、どんなことがあってこわいと感じたのかを聞いてみるのがいいと思います。
すると、「先生がこわい」という言葉だけでなく、怒鳴るとか、ある子にだけ執拗に怒るといった事実を聞き出せることがあります。
もちろん、小さい子の語彙力ではわかりづらいこともありますが、どんな事実があったのかを少しでも聞き出せたら、「どんなふうにこわかったの?」と、そのときに本人が感じた気持ちを聞いてみてください。
そうやって聞いていくと、「びくっとする」とか、「何も考えられなくなる」とか、「○○ちゃんがかわいそうなんだよ」といった言葉が出てくるはずなので、そこから子どもの気持ちの背景を考えていくことができます。
何があったかわかった場合は、事実関係を記録しておくことも大事です。学校を休ませたり、学校と交渉していくときに貴重な資料になります。
「本当にありがたかった」母親の判断
理由がはっきりとわからなくても、「学校に行きたくない」と子どもが言ったときは、休ませてあげてください。
保護者からの「ドクターストップ」が遅くなるほど、子どもは人生を通して苦しみます。不登校にはしたくない、という心理が働くかもしれませんが、つらいまま学校に通い続けるほうが、子どもが受ける傷は圧倒的に深くなります。
心の傷が深く、とても長い期間、療養を必要とする人もいます。だからこそ、無理に学校に戻そうとせず、まずは休ませてあげてほしいのです。
私は、中学入学当初から、学校になじめなかったのですが、それをうまく言えずにいました。でも、中学2年生のある日、急に感情が爆発して、母の前で「学校に行きたくない」と号泣してしまいました。母はすぐ学校に連絡し、「2週間休ませます」と言ってくれました。
そうするとちょうど冬休みになり、1カ月ほど休むことができたので、母の判断は本当にありがたかったです。
『不登校新聞』の仕事をするようになってから、母にどうしてそういう判断をしたのか聞いたことがありますが、母は「記憶にありません」と笑って言うだけでした。
別のタイミングで、「なんかつらそうだった」「そもそも学校は合わないと思っていた」と話していたことがあるので、おそらくよほど心配だったのだろうと思います。
子どもの気持ちにつきあう
一方で、子どもはつらそうにしているけれど、がんばって学校へ行こうとすることもあります。あるお父さんがこう言っていました。
「子どもは明らかに苦しんでいるのに、本人は『学校に行きたくない』と言えない。まわりが『行っても行かなくてもいいんだよ』と言っても、やっぱり学校へ行く。親は、つらそうにしているわが子が学校へ行くのを応援していいのだろうか」
こういう場合、保護者は子どもが納得するまで、つきあうしかありません。子どもは心の底から学校へ行きたいわけではないと思います。でも、それはつきあうしかないんですね。親ができることは、苦しんでいる子どもの気持ちにつきあうこと。子どもに向き合うこと。これはとてもつらい時間です。
つらいけれど、がんばって学校に行けば、そのつらさがなくなっていくかというと、それはほぼないと思います。もちろん、何かのきっかけで学校へ行きやすくなって、なじむこともあります。でも、つらい状況や原因がなくならない限り、変わらないことが大半です。がんばって学校へ行っても、状況が変わらなければ、いずれ休むことになります。
それでも、「そんな状況じゃ学校へ行ってもつらいだけだよ」「行くのは無理だと思うよ」などと先回りして、子どもの行動を止めてしまうのはよくありません。
数多くの不登校の人たちの話を聞くと、つらいのに学校へ行っているときが一番大変だったとみなさん振り返ります。でも、そこを越え、学校から一時的に距離をとると、必ず心と体が回復する兆しが見えてきます。だから今が一番つらいときだと思って、親は子どもに向き合うしかありません。
不登校は「一番苦しい時期を脱したサイン」
ただし、自傷や他害、いじめを受けているなど、明らかに子どもが限界を超えていそうな場合は、保護者の方が「ドクターストップ」をかけてあげてください。
毅然とした態度で「あなたが心配だから学校に行かせられません」と言って、しばらく休ませるのがいいと思います。休んでいる間に、精神科医やフリースクールなどに連絡をして、第三者の意見も聞いていただけたらと思います。
驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、学校を休み始めた瞬間から、心の回復が始まります。多くの方がイメージするのは、学校に行かなくなった日から心の状態が悪化していく様子かもしれません。でも、子どもにとっては、学校へ行かないことによって、一番の危機を脱したことになります。
動物は危険を察知すると、本能的にそれを避ける、逃げるという行動に出ます。苦しいのにその場から離れられないというのが一番危険だからです。
学校へ行っている間は、学校から離れたいのに離れられず、一番危険な状態です。だから、学校から距離をとった瞬間から、回復が始まります。
学校に行かなくなってからも、大変な日々は続きますが、心の回復は始まっているのです。
まずは心と体を休ませる
学校を休んだ直後は、眠れなかったり、いら立ちが止まらなかったりと苦しい状態になります。しかし、それは、「膿みを出す」という時期です。不登校になったから苦しいというよりは、学校を休むまでに受けた傷が苦しい、深刻であったということを意味します。
もし学校を休んで寝てばかりいるとしたら、それは極度の緊張で疲れ果てた体を休めているということです。十何時間も眠り続けることもあり、心配になるかもしれませんが、これは安心しているからこそ眠れているのです。
今まで蓋をしていた心の傷が一気に開くので、子どもの意図とは関係なく、朝は全然起きられない、だるいといったさまざまな症状が出ます。心の回復期は、子どもの体調を優先して、無理に生活リズムを立て直そうとせず、できるだけ、子どものペースを尊重してあげてほしいと思います。
感情を噴出させる時期は、そばにいてあげる
次に感情の噴出という時期に入ります。ものすごく甘える、突如として怒り出す、突然泣き出す。こんなふうに感情のコントロールができない状況になります。
まわりからすると心配になるのが、甘える、泣き出すといった行為です。小学校高学年でも、まるで赤ちゃん返りしたかのように甘える人もいます。フラッシュバックが起きたように泣くこともあり、コントロールできません。小学校6年生の男の子が、「自分でもイヤイヤ期みたいだったと思う」とこの時期について話すのを聞いたことがあります。
こんなふうに感情が噴出しているときは、そばにいて、子どもの揺れる感情につきあうしかありません。とても大変ですが、子どもの苦しんでいる気持ちにつきあうことで、愛情がしみていき、心の傷が癒されていきます。
自分に起きたことを言語化する
その次にようやく、自分に起きたことを言語化する時期がきます。最初は、インターネットで見た話だったり、以前に自分に起きたことだったり、まったく脈絡のない話をします。
たとえば、幼い頃に、スーパーでほんのちょっとはぐれたという話を、「あのとき僕は置いていかれた」と言って急に泣き出すようなこともあります。そうしてたくさん話をしたあとに、学校で起きたことを話すようになります。
その話は、とても長くて回りくどいかもしれませんが、最後まで聞くしかありません。子どもはアドバイスがほしくて話しているのではなく、ただ気持ちの整理をしたいだけなんです。
言語化が終わると親離れする
言語化の時期が終わると突然、親離れ、支援者離れします。親から離れるのをいやがっていた小学生ぐらいの子も、友だちと過ごす時間を優先するようになります。
この回復のプロセスは、必ずしもスムーズに移行するわけではなく、いったりきたりします。もちろん個人によって違いますが、こういった心理状態のプロセスを経るということが、臨床的にもわかっているそうです。
実際に、多くの経験者から話を聞いてみても、だいたい似たような経過をたどります。これは不登校だからではなく、PTSD(心の傷)において起こるものです。
このプロセスは、赤ちゃんから思春期を経て大人になっていく過程にも似ています。学校で受けた傷を、多くの人は、学びや成長の糧のひとつにしている、とも言えると思います。
「気持ちの整理」には数年かかる場合もある
私の場合は、気持ちの整理がつくのに数年かかりました。最初の1年は、非常に感情の起伏が激しかったように思います。その後、フリースクールの友だちやスタッフといろいろなことを話していくうちに、少しずつ気持ちの整理がつきました。
気持ちの整理がつくというのは、学校や不登校、いじめといった言葉を聞いても、心にさざ波が立たなくなるということです。自分と他人を比較しなくなる、焦らなくなる、学校に行っていないことに罪悪感を持たなくなる、とも言えます。
このときは「自分はこんなことで悩んでいたんだ」「これが苦しかったんだ」「自分がやりたかったことはこれだったんだ」といった論理的な考えにはまだ至っていません。
渦中にいるときは、「学校なんて許せない」「いつかぶっ壊してやる」と思ったこともありました。その一方で、自分が学校に行って苦しむ夢を見続けたりもしました。精神的に苦しいときには、そういうことが起きるのですが、まわりの人たちに支えられ、認められるなかで徐々に穏やかになっていきます。
当時の私の言葉だと「今すぐ死のうとは思わなくなった」となります。その頃の私は、「自分なんてもうどうでもいいんだ」と思っていたので、いつ死んでもいいと思っていました。それが、「今死ななくてもいいな」と思えるようになりました。心が回復して、自分と折り合いがつけられるまでに、3年は要したと思います。
その間、私は学校には行きませんでしたが、学校に行く人もいます。学校に行くかどうかはゴールではないことも覚えておいてほしいと思います。
時間が長くかかったとしても、肝心なのは心の傷が癒えるかどうかです。段階を踏みながら、本人が気持ちの整理をつけて、成長していくということなのです。
[「不登校新聞」編集長 石井 志昂]