父と姉、幼い弟は、倒壊した家屋に挟まれ、生きたまま炎に焼かれていった。
破壊された広島の町では、熱線ではがれた皮膚をぶら下げた人たちが、まるで幽霊のように「水、水…」とさまよい歩く。
原爆投下前後の広島を舞台にした、漫画「はだしのゲン」。
原爆の悲惨さだけでなく戦争の実相を描いた作品は、連載から50周年を迎える今なお読み継がれ、世界24の言語で翻訳されている。
翻訳を手掛けたのは、ほとんどが“無名の市民”だ。
ある男性は、作品を英訳してアメリカでの「原爆肯定」という現実に抗おうとした。
父が戦時中に中国で市民を殺したという女性は、作中に描かれる「『被害側としての日本』だけではない側面」を伝えたいと、作者に中国語版を制作させてほしいと願い出た。
ゲンは当初アメリカでは売れず、中国では発売すらされなかった。一方で今年になり、日本では過去にないほどの売れ行きを記録しているという。
作者が込めた想い。それを訳した人たちの、物語。“ゲン”はいま、世界で何を語るのだろう。
原点となった作者の「怒り」とは
「はだしのゲン」は、終戦から28年が過ぎた1973年6月、「週刊少年ジャンプ」誌上で連載が始まった。
作者の中沢啓治(1939‐2012)は、自身が爆心地から1.3kmの地点で被爆。奇跡的に生き延び、原爆が投下された直後の広島の惨状を、自身の記憶をもとに描いた。
中沢にとって爆心地での記憶を呼び起こすのは苦痛だった。それでも書き続けた理由は、原爆だけでなく戦争そのものに対する「怒り」だった。
「修羅場の場面を描いていると、実際に腐って肉体がドロドロしている姿がすぐに浮かんでくるわけですよね。いつかはもう描くまいと決意するんだけど、またムラムラと怒りみたいなものが湧いてきて、また描くというね。」(1987年の中沢啓治インタビュー)
「はだしのゲン」は第一部として4巻が単行本化され、全国の学校図書館が漫画として初めて購入。1980年には販売部数が100万部を超える“ベストセラー”となった。単行本(汐文社版 全10巻)の発行部数は600万部を超える。
出版されたのは日本国内だけではない。英語、ロシア語、韓国語、フランス語、アラビア語、ウクライナ語など、これまでに24の言語に翻訳され、世界の各地で読まれている。
外国語版の先駆けとなったのが1978年にアメリカで出版された英語版だった。
当時、英語版を作ったのは、東京・武蔵野市にあったフリースペース「ミルキーウェイ」で共同生活を送っていた若者たち、いわゆる“ヒッピー”のグループだった。中心メンバーの一人、大嶋賢洋さん(73)は、英語版を作るきっかけをこう語る。
「1976年にアメリカ・ワシントンでコンチネンタル・ウォークという軍縮などを訴える平和行進に参加した時のこと。原爆投下の罪深さを同世代のアメリカ人に伝えようとしても、彼らは『日本が戦争で犯した罪に対して神が与えた罰だ』と反論をするから神学論争になってしまう。その時、ふと思い浮かんだのが、『ゲン』だった。」
大嶋さんは、急ぎ日本にいる知人に「ゲン」を送ってもらい、原爆投下を正当化するアメリカ人に見せた。
「読まなくたって絵を見ればわかりますよね。皆、真剣に見てくれた。泣く女性もいたしね。そのうち、これを読みたい、英語版を作ってほしいと。」
アメリカで「ゲン」が売れなかった理由
「ゲン」の力を確信した大嶋さんは、帰国後、英語版制作の了承を得るべく作者の中沢を訪ねた。中沢は翻訳を快諾。「はだしのゲン」の原板のコピーを無償で提供してくれた。大嶋さんは原板を「ミルキーウェイ」に持ち込み、ヒッピー仲間に協力を依頼した。アメリカ人留学生だったアラン・グリースンさん(71)も、大嶋さんから声を掛けられた一人だった。
「ある日、ミルキーウェイに帰ると、『はだしのゲン』の原画の吹き出しに、必死に英語の文字を書き入れている光景に出会いました。その場で『君は英語圏の人?』と聞かれたので、『はい』と答えると、『じゃあ、ネイティブチェックを手伝って!』とすぐに巻き込まれました。」
2年後、第1巻の英語版の原画が完成。1978年に初めてアメリカで『はだしのゲン』英語版が出版された。しかし、アメリカでの販売は振るわず、第2巻で打ち切りとなった。その理由をアランさんはこう分析する。
「アメリカは“加害者”の国。日本への原爆投下を正当化する人が少なくない。『日本も悪いことをした』と。原爆が投下された現地で、人間がどんなに苦労したか、知りたくない。日本が、かつてアジアにしたことを、『知りたくない』『嘘だ』と言うのに非常に似ている。」
その後、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけにロシア語版が作られ、外国語版制作の機運が広がっていった。
外国語版の制作に関わった人の多くは、主婦などのボランティア。英語版も出版社を変えながら2004年に10巻まで翻訳され、インターネットを通じて全世界に向けて販売されている。作者の中沢は2012年に73歳で亡くなったが、『ゲン』が多くの言語に翻訳され、世界に広がることを望んでいたと妻のミサヨさんは言う。
「夫の生前、多くの大学生やボランティアの人が『ゲン』を読んで感動し、翻訳させてほしいと頼みに来ました。夫が拒否することはなく、絵をいじっちゃいけないとか細かいことは一切言わない、若い人には、『是非やってみなさい』と激励していました。外国語版を作る人たちは、ほとんどが個人で、儲けることなんて考えていません。夫は『ゲンを描いてよかった』と言っていました。」
きっかけとなった父の”戦争加害”
名古屋市在住の坂東弘美さん(75)は、2008年に中国語版の制作を始めた。フリーアナウンサーの坂東さんは中国のラジオ局で働いた経験を持つ。中国が核兵器保有国でありながら、中国語版が作られていないことを知り、中沢に制作を申し出た。
「歴史を忘れないで、未来を平和なものにしてこうっていうのが『ゲン』の大きなテーマですよね、ただ広島は酷かった、長崎は酷かったという物語じゃないところが最大の魅力です。」と坂東さん。
中国語への翻訳作業をする坂東さん
「はだしのゲン」で中沢が描いたのは、戦争の実相。被爆という日本の“被害の側面”にとどまらない。物語の序盤では、原爆投下に至るまでの日本社会の世相が描かれている。
主人公・中岡元の父親が、戦争に反対する意思を示したことで、周囲の住民から「非国民」と罵られ、特高警察によって投獄、拷問を受けるシーンなどだ。また、日本の侵略行為や天皇の戦争責任についても描いている。
「私は中国の方に読んでほしい。絶対読んでほしい。『ゲン』が伝えようとしているのは、決して被爆者の被害者意識だけではない。」
坂東さんが中国語版にこだわる大きな理由が、身内の従軍体験だった。坂東さんの父親は1937年の南京攻略戦に参加。戦後、現地で体験したことをほとんど口にしなかったが、手記を残していた。
「占領した集落には
残敵がいるかも知れぬので
掃討を隅々まで行う。
家の角に一団になって隠れていた
婦女子を見つけ始末に困った。
やむを得ず銃剣で刺殺せねばならぬ」
一番可哀想であったのは
一団の中で若い母親が子供を抱き、
泣きながら助けを求め
機関銃の犠牲になった光景である。
これも今も脳裏に焼き付いている」
坂東さんは初めて読んだとき、絶句したという。
「中国で父が無垢の人を殺したのは間違いがない。これは私のトラウマになっています。夢に出るんですよね。だから、『ゲン』に出てくる言葉の中には、翻訳していて胸が苦しくなる部分があるんです。」
最も「胸が苦しくなる」のが、主人公の元が中学の卒業式で“君が代”の斉唱を拒否する時に語る言葉だという。
『ゲン』を読めば、日本人の中にも、戦争そのものを否定し、加害責任を自覚する人がいることを理解してもらえるはず――。
そんな期待を込めて坂東さんは6年かけて中国語版の翻訳を終え、2016年に台湾で中国語版(繁体字)の出版に漕ぎつけた。しかし、中国当局は「時期尚早」との理由で出版の許可を出さず、中国本土での出版は今も実現していない。
2023年「ゲン」に起きた異変
「週刊少年ジャンプ」での連載開始から50周年となった今年、「はだしのゲン」を巡って様々な異変が起きている。一般書店で扱われる「コミック版」(中公新社)が、近年にないほど売れているという。
「店頭、ネット販売ともに伸びて、3月は例年比で15倍になりました。新刊ではないため地味に売れている商品ですが、ここまで伸びた例は稀です。」と販売元である中央公論新社の東山健営業推進部長も驚きを隠さない。
東山部長は、販売が急伸した理由の一つとして、広島市の教材から「はだしのゲン」が削除された件を挙げる。
広島市教育委員会は、平和教育の教材「ひろしまへいわノート」(小学3年向け)に掲載してきた「はだしのゲン」の記述を今年度から削除。別の被爆者の内容に差し替えた。「ゲン」の内容が今と合わず、授業で時代背景を説明するのに時間を要する、などの理由からだ。
このことが今年に入ってニュースで報じられたことで、広島市民に“危機感”が生まれたのではないかと推察する。
「『はだしのゲン』は世代を超えて読み継がれてきた作品です。削除の報道をきっかけに、平和というものがいかに大切かを、改めて若い世代に伝え、平和というものを日本から発信しようという流れが出てきているのではないでしょうか。」
G7広島サミットで広がる“危機感”
販売数は4月に一旦落ち着いたが、5月になって再び伸びた。広島でG7サミットが開催された月だ。
G7広島サミットで、議長国日本はウクライナのゼレンスキー大統領を極秘で招請。岸田総理は会見で、ロシアのウクライナ侵攻に対抗する“G7の連帯”を強調するとともに、中国をけん制する姿勢を改めて示した。
中国語版を作った坂東弘美さんは、憤りを隠さない。被爆地で開催されたG7サミットで、核軍縮に関する声明には「核兵器が存在する以上、核兵器によって侵略や戦争を抑止すべき」という“核抑止”を肯定する内容が盛り込まれたからだ。
「“良い核兵器”と“悪い核兵器”に分けるなんてできるはずがない。広島出身の総理が広島でサミットを開くのであれば、もっとはっきりと、もっと力強く、核の廃止を訴えてほしかった」
G7広島サミットの一週間後、坂東さんはYouTube上に新しいチャンネルを開設した。チャンネル名は『ゲンの翼』。「はだしのゲン」の外国語版に関わった人たちに、坂東さんが直接インタビューし、「ゲン」の魅力や、外国語版に掛ける思いなどを動画で発信する試みだ。
翻訳仲間と連載50周年を記念した取り組みを検討していた時に「平和ノート」の問題が発覚。被爆地の教育現場から「ゲン」が消されるのであれば、対照的に「ゲン」を世界に向けて伝えようとする人たちがいることを知ってもらおうと、動画配信を決心した。
動画制作のペースは月に2~3本。これまでに英語、モンゴル語、韓国語、ポーランド語、ロシア語の翻訳者を紹介している。モンゴル語で翻訳を始めたアリウン・ヤスガランさん(18)は、小学3年生の時、暮らしていた広島で「ゲン」を読み、物語の内容に引き込まれたという。
「『ゲン』の魅力は、戦争中の普通の国民の生活や考え方が描かれていることです。歴史の本に普通の人の人生は書かれていません。日本人が戦争中にどんな人生を送り、戦争についてどんな考えを持っていたか、モンゴルの人に伝えたい。」とアリウンさん。
坂東さんは、「彼女はゲンを読み、『平和ノート』で教育を受けた世代。是非とも10巻まで翻訳をやり遂げてほしい。『ゲンの翼』を見て、世界の若い世代に「ゲン」のことを知ってほしい。」と期待を掛ける。
『ゲンの翼』を見て分かるのは、国や地域によって「はだしのゲン」の受け止め方が大きく異なるということだ。韓国語に翻訳した金松伊さんのコメントが印象深い。
「韓国は悲しいかな、解放後に“北”と“南”で戦争しているじゃないですか。戦争の犠牲者はいつも国民。一般庶民が苦労して、身内を亡くす。そういう思いと『ゲン』は重なる。韓国人は、『戦争は絶対にだめ』という感覚を平和な国に比べて強く持っています。だから韓国で『ゲン』はよく売れています。」
「はだしのゲン」への関心は、韓国や中東など戦争当事国や紛争地域でより高いという。その「ゲン」が、なぜ今、日本で売れているのか。「ゲン」が世界に羽ばたく一方で、日本国内で「ゲン」への関心が高まっていることに、坂東さんは複雑な思いを抱いている。
「戦争が近づいている、ということ。沖縄でも着々と新たな戦争への備えが進められているでしょ。ああいうことに不安を感じ、今一度、ゲンから人間としてどうあるべきか、ということを学び、あの悲劇は繰り返しちゃいけないんだ、ということを、読み取ろうとしているんでしょうかね。私もここまで部数が伸びるとは信じられないです。」
核兵器とは何か。戦争とは何か。中沢啓治が「はだしのゲン」の中に描きこんだ記憶が、連載50年という年に、呼び覚まされようとしている。
(メ~テレ報道センター・村瀬史憲)
ゲンの翼プロジェクト
この記事は、メ~テレによるLINE NEWS向け特別企画です。