今年1月、長崎県・川棚町の成人式。
真新しいスーツや華やかな振り袖の新成人に交じり、真っ赤なコスチュームの「ヒーロー」が居心地悪そうにたたずんでいた。
サクラ模様の仮面をかぶり、作り物の立派な大胸筋には「S」のマークが輝く。背中にはなぜか、風呂敷のような唐草模様のマント-。完全に浮いていた。
その様子を、学校教諭の野本晃希(51)は遠くからニヤニヤと眺めていた。
「ヒーロー」の名は「さくらンダー」。町内にある県立桜が丘特別支援学校のイメージキャラクターだ。
野本が同校に勤めていた1999年に生徒たちが発案し、現在も同校の文化祭や体育祭で活躍している。
"生誕20年"を記念して、さくらンダーは特別に川棚町の成人式に招待されていた。
「なんか不思議な気持ちやなあ…」
奇妙な感慨とともに、野本は20年前の教え子たちを思い出していた。
「右脳クラブ」の4人
童謡「だんご3兄弟」が大はやりした99年春、桜が丘特別支援学校(当時は養護学校)は、授業に「クラブ」の時間を設けた。
同校の生徒は隣接する病院の入院患者が多かった。野本は、体を動かすのが苦手な生徒が頭を使って幅広い表現活動に挑戦できるように、「右脳クラブ」を創設した。
集まった生徒4人は、いずれも車いすの利用者だった。
中学3年生のタツヤはお調子者で、いつも周囲を笑わせる。高校3年生のケイシは最年長で頭の回転が速い。高校2年生のノブユキはパソコンを扱うのが得意だ。
3人とも筋ジストロフィーなど神経難病の専門病棟から通学している。体の不自由はあるが好奇心旺盛で発想力豊かだ。
ひとり「無言」のメンバー
「なかなか面白くなりそうだ」と期待する半面、野本は4人目の生徒、高校3年生のワタルが気掛かりだった。
脳に重い障害があり、体はほとんど動かせず、意思の疎通も難しい。
しっかり者のケイシが心配そうに聞いてきた。
「先生、ワタル君って何するの」
内心困惑していたが、努めて平静に答えた。
「それを考えるのも右脳クラブの仕事さ」
夏休み前に「右脳クラブ」では、2学期の文化祭を盛り上げるキャラクターを考案することになった。
「強そうな見た目に」「ちょっと笑えるキャラがいい」。タツヤ、ケイシ、ノブユキの3人が口々にアイデアを出し合う中、ワタルは無言で座っていた。
笑わない。目の焦点が合わない。
ワタル(本名・宮﨑渉)の母、繁子(63)は「ウノウクラブ」と聞いて、カードゲームの「UNO」を思い浮かべた。
他のメンバーと比べて、「ワタルだけ浮いてませんか」と心配する繁子に、担当教諭の野本は、「体を動かすのが苦手な生徒が、頭を働かせて表現活動に取り組む」とクラブの目的を説明してくれた。
「UNOじゃなくて右脳かー」と納得しながら繁子は思った。
「やっぱりワタルだけ浮いてない?」
ワタルは出産時の低酸素脳症が原因で、生まれつき脳に障害がある。
当初、繁子は「リハビリをすれば歩いたり、しゃべったりできる」と考えていたが、「笑わない。目の焦点が合わない。手で物をつかめない。立てない。成長するにつれて、少しずつ障害の重さを理解した」と言う。
浮かぶ疑問「どうしたら笑う?」
父、栄(63)は、幼いワタルを積極的に連れ出し、地域のイベントや集まりに参加した。
バリアフリーの施設や宿を入念に下調べし、家族旅行にも出掛けた。「障害を理由に社会の仲間外れにしたくない」と考えたからだ。
小学校は自宅に近い養護学校(当時)で、繁子が一緒に授業を受けた。
中学部に上がると、ワタルの体格に合わせた特注品の学生服を贈った。「できるだけみんなと同じに」という親心だった。
同じ町内にある桜が丘の高等部を希望したが、生徒は当時、川棚病院の入院患者が大半。肢体不自由で知的障害もあるワタルは1次募集で不合格になった。
知的障害の生徒を受け入れる町外の養護学校を勧められたが、送迎の負担が大きい。「地元の学校に通わせてほしい」と粘り強く交渉し、2次募集で入学することができた。
ワタルは、修学旅行に参加するなど充実した高校生活を送ったが、「右脳クラブ」では寝てばかりいた。
同じ学年のケイシは、ワタルが気になった。描いた絵を見せたり、作った歌を聞かせたりするが反応はない。
「ワタル君ってどうやったら笑うんやろうか」
大きな口を開けてあくびをするワタルを見ながら、そんな疑問が浮かんだ。
「ネットでは俺は障害者じゃない」
さくらンダーの制作会議では、ノブユキのパソコンスキルが大いに役立った。
細い指でマウスを操作し、みんなで出したアイデアをディスプレー上に描いていく。漫画のキャラクターに似せたマッチョな肉体に、学校のシンボルであるサクラの仮面。
ケイシが「風呂敷みたいなマントを付けよう」と提案すると、ノブユキがすぐに書き足した。
「ワタルさん、どうですかね」。たとえ無反応でも、新しいものができればワタルに見せるのが、いつの間にか「右脳クラブ」のお約束になっていた。
ノブユキ(本名・田代伸之)は国境の島・対馬で、稔(63)、夏江(61)夫妻の長男として生まれた。
1歳を過ぎたころ、筋力が徐々に低下する脊髄性筋萎縮症と診断され、稔は「目の前が真っ暗になった」と振り返る。
高名な専門医を頼って遠くの病院に出掛けたり、健康祈願で有名な神社を訪ねたり、「すがれるものには全てすがりたい気持ちだった」。
当人は明るく育った。
中学まで地元の普通校に通い、高校から県立桜が丘養護学校(当時)に進学。故郷を離れ、併設する病院に入院した。このころから、自立した生活に強い憧れを持っていた。
当時普及し始めたインターネットにも精通し、チャット通信で外部の人とも交流した。「ネットでは俺は障害者じゃない」と得意げに話すのを、クラブ担当教諭だった野本は覚えている。
パソコンやネットはノブユキにとって、ハンディキャップを超えて、人と対等に渡り合える大事なツールだった。
「笑った!」驚きと喜び
「右脳クラブ」がデザインしたキャラクターは「さくらンダー」と命名され、文化祭のポスターやパンフレットに登場した。
「せっかくだからスーツも作って文化祭のステージでデビューさせよう」
クラブ担当教諭の野本が提案すると、ケイシは「いいですね」と身を乗り出した。右脳クラブの指示でさくらンダーがとぼけた動きをして、みんなを笑わせる。テレビで見たコントを思い出して、ケイシは胸を躍らせた。
野本は夏休みを使い、ノブユキが手掛けたデザイン画を、同僚教諭の体格に合わせて再現したスーツを完成させた。
2学期に入り、さくらンダーが「右脳クラブ」の前に初めて姿を現した。その時だった。
これまで黙って座っていたワタルが突然反応した。興奮した様子で手足をピンと張り、丸く見開いた目でしっかりとさくらンダーを見つめていた。全員が驚きと喜びで息をのんだ。
「ワタルが笑った!」
うちは別に不幸じゃない
「笑うのよ。ニタアっていい顔で」とワタルの母、繁子は目を細める。
目の前に置いた救急車のおもちゃを目で追ったり、抱っこして揺らすと顔がほころんだり、ささいなしぐさや表情から息子の「心」を読み取り、育ててきた。
ワタルは現在38歳。川棚町で両親と兄夫婦、その子どもたちに囲まれて暮らしている。
「この20年、人々の障害者への意識は格段に変わった」
ベッドに横たわったワタルのおむつを手際よく交換しながら父の栄は言う。社会のバリアフリー化が進み、教育環境や福祉サービスも充実した。町中で差別的な言動を受けることもなくなった。
「『かわいそう』って言われることは今もある。うちは別に不幸ではないんだけど」と苦笑する。
2016年7月、相模原市の障害者施設が襲われ、入所者19人が殺害される事件が起きた。
逮捕された植松聖被告は、重度障害者を「心失者」と自らつくり出した言葉で呼び、「心失者は人を不幸にする」と差別意識に満ちた発言を繰り返した。
インターネット上にはこうした異様な思考に同調する意見もあった。すさんだバリアーを心に築く人は、今もいる。
2月のある日。ごちそうが並ぶ宮﨑家の食卓で、ワタルもいつも通り席に着いた。
にぎやかな家族の会話に加わったのか、それとも口に運ばれたカツ丼が気に入ったからか。ピンと手足を張るワタルを見て、繁子と栄はほほ笑んだ。ささやかで確かな幸福があった。
ヒーロー誕生と、友との別れと
さくらンダーの登場に会場はおおさわぎ。大歓声は窓ガラスをブルブルとふるわせるほどです-。
1999年秋、桜が丘養護学校(当時)の文化祭にさくらンダーが登場した。当時の教員がまとめた絵本に、鮮烈な“デビュー”の様子が描かれている。
「右脳クラブ」のケイシ、ノブユキ、タツヤは、その様子を見て、満足そうに笑っていた。自分たちのヒーローがみんなを楽しませていたからではない。
ワタルが笑っていたから-と絵本は締めくくる。
「実際は結構スベってたけど」と現在38歳のケイシ(本名・石山恵志)は照れたように笑う。筋ジストロフィーで現在も入院している。
「人を笑わせたいと思っていた。雑談から生まれたヒーローが20年も続くとは…」
車いすの少年たちが、ユーモアとアイデアを羽ばたかせた教室を、懐かしく思い返す。
文化祭後、「さくらンダーの塗り絵を作ろう」と喜んでいたタツヤ(本名・橋本竜弥)は高等部を卒業した後、18歳で亡くなった。
ノブユキ、自由を求めた人生
ノブユキは高校卒業後、通信制大学でプログラミングを学び、福岡市のNPOに就職した。
自治体の制度を活用し、切れ目のない介助を受ける手続きを済ませ、自立生活を実現した。
自ら契約したアパートの1室で、大好きなブルーハーツのCDを流す。ささやかだが、自分の力でつかみ取った確かな「自由」を謳歌していた。「うれしそうでしたね。『俺の城』って感じで」と母の夏江は懐かしがる。
同じころ国会では、障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)の施行に向けた動きが活発化した。
同法は、福祉サービスの自己負担や障害者認定の要件などに多くの問題があり、ノブユキも支援を打ち切られる恐れがあった。「自由」を守るため、ノブユキは国会前の座り込みに参加。当事者の思いを訴えた。
2007年4月、ノブユキは突然体調を崩し、24歳の生涯を閉じた。障害者の自立を支援する会社を立ち上げた直後だった。
死後、ノブユキを慕う福岡の仲間が「25歳生誕祭」を催し、家族を招いてくれた。
「世話になりっぱなし」
「頼りにしていた」
「いつも勇気をもらっていた」
稔と夏江は、亡き息子への感謝の言葉を聞かされた。
「将来は対馬で民宿をやりたい。俺が福岡からお客さんを紹介して、お父さんが釣った魚を、お母さんが料理してお客さんをもてなす」。生前のノブユキが、友人にそんな夢を語っていたことも聞いた。
車いすでも、四六時中の介助が必要でも、ノブユキは確かに自分の力で立ち、多くの人を助けていた。
2人はそう確信している。
時は流れ…新たな「役割」
今年2月、県立桜が丘特別支援学校で卒業を控えた高校3年生の前にさくらンダーが現れた。
全員と握手をすると手持ち無沙汰になり、すごすごと着席して笑いを誘う。
たくましい体と裏腹に武器や必殺技を持たず、人を笑わせることを喜びとするヒーローは、20年たっても変わらない。
20年前に同校の教諭だった村川佳恵(57)は昨年4月、校長として十数年ぶりに戻った。当時のさくらンダーは、体が不自由な生徒に代わって動く「分身」と見ていたが、心の疾患を抱える生徒が増えた今は、「別の役割もある」と言う。
昨年の文化祭の演劇。絶望にとらわれた仲間に「君が必要だ」と声を掛けるさくらンダーを、生徒自身が演じた。普段は内気でしゃべれないが、さくらンダーに似たヒーローの仮面を身に着けることで、積極的になれる生徒もいる。
「学校には、いじめや虐待を受けて、心に傷を負った生徒もいる。表に出せない心の声や、自らが必要とする言葉を、さくらンダーに託しているのかもしれない」
村川はそう思っている。
「ヒーロー」はどこにいる?
「意思の疎通ができないなら、いなくても一緒? そうじゃない。ワタルがいたからさくらンダーがいる」
「右脳クラブ」担当教諭だった野本は語る。
20年前、「ワタル君って何するの」とケイシに問われた時、はっきり答えられなかった。だが友達を笑わせようという素朴な願いが、ヒーローを生み、今も生徒たちの背中を押している。
成し遂げたのは、ワタルを含めた「右脳クラブ」の4人だ。
昨年の参院選で、難病や重度障害を抱える国会議員が誕生した。
ニュースを見て野本は、十数年前、桜が丘の修学旅行で、生徒を国会に連れて行ったことを思い出した。
真っ赤なじゅうたんが敷かれた立派で、格調高い建物で、車いすの生徒たちは何度も立ち往生した。
国会議員の誕生で、ようやく「壁」が破られようとしている。少しずつでも着実に社会は変えられる、と野本は信じる。
強くなくていい。
誰かを笑顔にしたい時、見えない壁を打ち破る勇気を持った時、きっとあなたの心の中にも、ヒーローはいる。
=文中敬称略=
=年齢など取材当時の情報=