今から46年前の1975年6月20日、スティーブン・スピルバーグ監督は自身初の大ヒット作『ジョーズ』を劇場公開しました(日本公開は1975年12月6日)。この作品は、スピルバーグ監督のキャリアを一変させただけでなく、映画界に新たなジャンルを確立した作品と言えるでしょう。
大作映画はクリスマスに公開されるのが常だった時代に、夏の大ヒット作としては初名乗りを上げたわけです。また、タオルやコスチューム、ボードゲームなどをベースにしたマーチャンダイジングビジネスも、好調に推移していきました。
ですが、製作段階では醜いものでした。撮影はトラブルに見舞われ、予算は大幅に超過してしまいました。プロデューサーのデイヴィッド・ブラウン氏は「予算は400万ドルでしたが、撮影で900万ドルを費やしてしまった」と当時述べています。それは機械仕掛けのサメの問題だけではなく、特殊効果の支出自体が300万ドルにも膨れ上がったのが大きな要因かもしれません。撮影期間も55日の予定だったのが、159日もかかりました。その間に脚本家の交代もありました。さらに、一部の俳優が常に酔っぱらい状態であったなど…このような大成功など、製作側の誰一人として予想していなかったはずです。
この映画はピーター・ベンチリー氏の同題の小説を原作としています。彼は製作当時、「1964年にロング・アイランドで、およそ4550ポンド(約2064キログラム)の巨大なホホジロザメが漁師に捕らえられた事件から、リゾート地を恐怖に陥れる巨大ザメの構想を思いついた」としていましたが、ディスカバリーチャンネルの『実話!映画「ジョーズ」』では、ここで取り上げる事件…1916年の夏に起こった、ニュージャージー州でホホジロザメによる海岸や川で泳いでいた人々を襲撃した事件がジョーズの元となったとしています。
事件当時、約2週間にわたって2.7メートルのホホジロザメが、およそ100キロの海岸線に沿うように回遊しており、海水浴者を何度も襲うという恐怖をもたらしたのです。最終的に、4人が犠牲となりました。また当時は、ポリオ(急性灰白髄炎)が流行しており、人々は癒しを求めてこの州のリゾート地のビーチを埋め尽くしていたことも、被害が相次いだ原因の1つとして考えられています。
その事件について、時系列で説明すると以下のようになります。
1916年7月1日:チャールズ・バンサント氏という若い男性が、海岸近くの水深1.5メートルほどの場所で最初の被害に被害にあってしまいます。サメに襲われて重傷を負った彼は、他の海水浴客に引き上げられたものの、数時間後に失血死してしまいます。
1916年7月6日:2回目の攻撃は、前回の攻撃から70kmほど北に行ったところで発生します。被害者はエセックス・アンド・サセックス・ホテルのベルボーイ、チャールズ・ブルーダー氏です。1回目と同様に、海岸から少し離れたところで襲われ、他の海水浴客に助けられたのですが…。彼は医師の治療を受けることもできずに、砂の上で亡くなりました。
1916年7月8日:さらに8キロ北上したところでは、ライフガードがボートに乗っているときにサメに遭遇し、パドル(櫂<かい>)で追い払うことに成功します。また同じ日の午後、北に30マイル離れた別のビーチでは、水遊びをしていた子どもたちに近づいてきたサメに警官が発砲しました。殺すことはできなかったものの、なんとか追い払うことに成功しています。
1916年7月11日:海岸近くでの攻撃は、さらに3日後の約25マイル南にあるマタワン川で再び起こります。このとき12歳の少年が、サメの小歯状突起(しょしじょうとっき=歯のような鱗)に触れ、軽い擦り傷を負いました。
1916年7月12日:ある58歳の男性が上流で泳ぐサメを発見。数時間後、12歳のレスター・スティルウェル氏がサメによって水中に引きずり込まれるまで、彼は警鐘を鳴らし続けましたが誰も耳を貸しませんでした。事件が起きてから救助隊が組織され、24歳の仕立屋が遺体を発見します。しかし、少年の遺体を持って浮上したところ、再びサメに襲われ、なんとか逃げ出しすことはできたたものの、数時間後に病院で死亡してしまいます。さらに同じ日に、川でも事件がありました。ですが、このときは被害者は助かり、大事には至っていませんでした。
その後、マタワン市長はこのサメを殺すことができた人に、報奨金を出すことを発表。サメが海に戻るのを防ぐために、河口に金網を設置しました。
1916年7月14日:この日、サメが金網を破って海に戻っていたことが判明し、閑散としていた近くの海岸の人々はパニックに陥りました。しかし同日、ニューヨークの剥製師マイケル・シュライサー氏が、自分の漁網に引っかかっていた2.5メートル、160キロのホホジロザメを発見。オール(ボート用の手漕ぎ道具)で叩き殺したことで、市民は安堵を取り戻します。
果たして、シュライサー氏が仕留めたサメが、あのホホジロザメだったのか? 確かなことはわかっていません。ですが、さまざまな証拠が「イエス」を意味しています。まず、この14日以来事件が起こらなくなったのです。そして次に、物的証拠とも言えるものも発見されています。サメの胃の中から川で食い殺された子どもと思えるものや、大きさや特徴から第二の被害者であるチャールズ・ブルーダー氏のものと思われる肋骨など、まだ消化されていない人間の骨や肉が約7キロ見つかったのです。
ここで確かなことと言えるのは、この「ニュージャージーサメ襲撃事件」こそ、ピーター・ベンチリー氏が「ジョーズ」を執筆した際に題材としたものだということです。そうして後に、スピルバーグ監督による大ヒット映画を生むきっかけになったのです。
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