スウェーデン人活動家のグレタ・トゥーンベリさんは、弱冠16歳にして気候変動問題に対する情熱的な訴えと政府に対する数々の抗議活動で、世界中の人々に大きな影響を与えています。今や彼女の顔を知らない人はほとんどいませんが、彼女が気候変動問題のための学校ストライキ「Fridays for Future」を始めたのは、2018年のことです。
毎週金曜日クラスメイトが学校に通っている時間に、トゥーンベリさんはスウェーデンの国会前に座り込みをし、気候変動の危機を訴え続けました。この活動は注目を集め、世界中の学生たちもストライキに参加するようになります。2019年9月20日(金)には、世界中で「グローバル気候マーチ2019」が行われ400万人が参加し、政府に気候変動対策の強化を訴えました。
トゥーンベリさんは世界を変える18歳未満の活動家として、ここ最近で最も注目を集めている人物です。が、歴史上には彼女のような若者たちが他にも活躍してきました。物理学者から新進気鋭の芸術家、急成長する数学者まで、世界に多大な影響を残してきた12人の若者たちをご覧ください。
エンリコ・フェルミ
「原爆の父」として知られる、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミ(1901-1954年)。彼は1938年に、ノーベル物理学賞を受賞しました。その後、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功します。
フェルミの数学と物理学への興味は、身内の不幸が発端だったそうです。仲の良かった兄を14歳のときに亡くし、悲しみにくれる彼に両親は、勉学に打ち込むようにすすめます。そして科学の才能を開花させ、実験に夢中になりました。
あるときフェルミは、10代だった友人とローマの飲料水の正確な密度を算出しました。17歳のときには、イタリアでも随一のエリート校であるピサ高等師範学校に特待生で入学。入学審査委員会を圧倒させ、そのまま大学院へと進むことになりました。
マララ・ユスフザイ
パキスタン人活動家のマララ・ユスフザイ(1997年-)さんは、発展途上国の女性と少女の教育を受ける権利を支援していることで有名です。
通っていた学校で教師をしていたユスフザイさんの父親は、恐怖政治を行うタリバン政権の定める「女性が教育を受けるのは罪である」という規則に反し、娘に教育を受けることの大切さを説いていました。
2012年、覆面姿のタリバンの兵士がユスフザイさんを見つけ出し、スクールバスを襲撃しました。彼女は左側から頭部を撃たれ、世界中が彼女の回復を見守り、その勇気を讃えました。
2014年、ユスフザイさんは17歳という史上最年少記録でノーベル平和賞を受賞。現在はオックスフォード大学で政治学、哲学、経済学を学びながら世界中の少女たちが教育を受けられる権利のために戦い続けています。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791年)は、若くして多くの分野の音楽を習得し、史上最も優れた西洋の作曲家の一人として知られています。彼のつくったオペラ、交響曲、ソナタは何百万人もの人の心を動かしてきました。
3歳のときからチェンバロを弾き始め、5歳のときには短い曲ながら最初の作曲を行います。その類稀なる才能に気づいた父親は、6歳の天才少年である息子をヨーロッパの各地に連れてまわり、影響力のある音楽家や哲学者たちに紹介しました。13歳になるまでには、ヨーロッパ中の異なる音楽スタイルを習得していたと言います。
スティーヴィー・ワンダー
スティーヴィー・ワンダー(1950年-)は、モータウンの『迷信』『マイ・シェリー・アモール』『ハイアー・グラウンド』などの名曲で知られ、音楽界のパイオニアとして確固たる地位を築いてきたミュージシャンです。
生まれてすぐ視力を失ったワンダーは、若くして音楽に情熱を見出し、生まれ持った音楽の才能を開花させました。
8歳になるまでに、ピアノ、ギター、オルガン、ハーモニカ、ドラムなど複数の楽器を習得します。12歳でレコードデビューをはたし、16歳のときに『アップタイト』をリリースし、ヒット曲『涙のクラウン』でスモーキー・ロビンソンとコラボレーションをはたしました。
ブレーズ・パスカル
ブレーズ・パスカル(1623-1662年)は、物理学・数学・哲学の功績で知られています。彼が科学に情熱を持つようになったのは、まだ若かりしころでした。子ども時代のパスカルは、特に数学の才能を示し、17歳にして『円錐曲線試論』という円錐曲線についての有名な論文を書きました。
パスカルの知的厳密さは科学者や哲学者たちを驚かせ、ルネ・デカルトは彼の面倒を見ていました。初めての機械式計算機をつくった人物でもあり、圧力と統計についての理論を展開させたことでよく知られています。
アンネ・フランク
アンネ・フランク(1929-1945年)は、その短い生涯の間で世界に消えることのない足跡を残していきました。第二次世界大戦中に隠れ家で彼女が書いた日記は、何世代にも渡り私たちの心を動かしています。
アンネとその家族は、ナチスの迫害から逃れるためにドイツからオランダに引っ越してきましたが、ユダヤ人狩りの手から逃れることはできませんでした。1940年にオランダがドイツ軍に占領され、ユダヤ人人口の制限が始まったのです。
アンネの姉マルゴットに、強制労働収容所への召集令状が届きます。そして一家は、隠れ家での潜伏生活を始めることに…。2年間、一家は他の4人とともに父親の元事務所に隠れ住んでいました。13歳の誕生日、プレゼントに日記帳をもらったアンネは、隠れ家での暮らしを綴り始めます。
そして1944年に隠れ家は発見され、住人はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に移送されました。アンネはベルゲン・ベルゼン収容所に移送されたのち、チフスに罹患して命を落としました。しかし彼女の言葉は、今も私たちの心に生き続けています。
パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ(1881-1973年)はスペインの画家であり、彫刻家であり版画家で、カラフルで鮮やかなアートが有名です。
ジョルジュ・ブラックとともにキュビスムの創始者として知られ、代表作に『アビニヨンの娘たち』(1907年)、『ゲルニカ』(1937年)、『老いたギター弾き』(1903-04年)などがあります。
ピカソは幼いころから、生まれ持った芸術の才能を開花させていました。美術教師だった父親はいち早くその才能に気づき、芸術家の道を突き進む彼の背中を押しました。
8歳で最初の作品となる『ピカドール』(1890年)を描き、14歳でバルセロナの美術学校アスコラ・ダ・ヨッジャに入学。15歳のときに『科学と慈愛』(1897年)を描き上げ、登場する医師は父親をモデルにしています。
ピカソは青年時代を勉強と絵に費やし、1904年にはパリへと引っ越します。そして、パリのアートシーンに加わります。そうして彼の才能は衰えることなく、20世紀最も有名な芸術家の一人となったのです。
ジャック・アンドレイカ
ジャック・アンドレイカ(1997年-)は、15歳で膵臓癌を発見するための安価な方法のプロトタイプを完成させました。それは少量の血液を分析するために使う紙片です。
まだまだ改善が必要なプロトタイプではありましたが、アンドレイカの創造性は科学者たちを驚嘆させました。
インテル国際学生科学フェア、スミソニアン・アメリカン・インジェニュイティー賞、ジェファーソン賞などの名だたる賞を16歳になる前に相次いで受賞しています。
シャクンタラ・デビ
シャクンタラ・デビ(1929-2013年)はインドのバンガロールに生まれ、幼いころから数字に強い興味を示し、才能を発揮しました。サーカスでパフォーマーをしていた父親がトランプで遊んでいたときに、彼女の類まれなる記憶力と計算力の才能を発見。それを数学者や学者たちに紹介し、その才能を伸ばしていきました。
「人間コンピューター」と呼ばれるようになり、父親とともにインド、そして世界中に才能を披露して回りました。デビは歴史上の重要な曜日をすべて覚えており、立方根など複雑な計算の答えを瞬時に暗算で出すことができました。
1980年には、13桁の数字同士の掛け算の答えを28秒で出し、ギネスブックにも記載されました。
ルイ・ブライユ
発明家のルイ・ブライユ(1809-1852年)は、視覚障害者のための新しいコミュニケーション方法を発明し、多くの人の生活に光をもたらしました。
3歳のとき、馬具職人だった父親の工房で事故に遭い、両目を失明してしまいます。パリの王立盲学校に入学してすぐ、より良いコミュニケーション方法を模索し始めます。
15歳のときに、シャルル・バルビエが考案した点を使ったコミュニケーションの方法にヒントを得て、6つの点の組み合わせでアルファベットを表現する点字を発明しました。のちに、この仕組みを楽譜にも当てはめられるようにし、またいくつかの重要な書物を点字に翻訳しました。
フィロ・ファーンズワース
ドラマを一気見するのが好きなら、フィロ・ファーンズワース(1906-1971年)に感謝したほうがいいでしょう。彼は現代のテレビシステムの生みの親の一人なのです。
小さいころからファーンズワースは、科学が大好きでした。特に機械工学やモーターに興味があり、まだ若いころに、電力があまり供給されていなかった田舎にある、実家の設備のほとんどを電動につくり変えたのだそうです。そして15歳のときに、彼の最も有名な発明品である電子式テレビシステムを考案します。
他にも航空交通管制システム、赤外線望遠鏡、新生児を温めておく保育器、初期の電子顕微鏡なども発明しています。
セヴァン・カリス=スズキ
1992年にブラジル・リオデジャネイロで開催された環境サミットで、「子どもの環境団体(ECO:the Environmental Children's Organization)」を代表してスピーチを行った、セヴァン・カリス=スズキ(1979年-)をご存知でしょうか。当時、わずか12歳にして環境問題に苦言を呈した少女は、「世界を5分で沈黙させた少女」として世界各国で注目を浴びました。
彼女のスピーチは「直し方のわからないものを、これ以上壊すのはやめてください」と、とてもシンプルです。そして、そこに並べられた純粋でまっすぐな言葉に対し、多くの大人が見失いかけていたことを思い出したのです。
彼女は2012年にも、再びリオデジャネイロの環境サミットでスピーチを行っています。そして、いまでも彼女を始めとした多くの人々が、環境問題に関する重要な課題について声を上げ続けていることを忘れないでください…。
From POPULAR MECAHNICS
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。
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