Netflixの新作『ハイウェイメン(The Highwaymen)』に登場する実在の犯罪者カップル「ボニー&クライド」は、実際にはどんな最期を迎えたのでしょうか? 彼らの真実を紐解いてみましょう。Netflixの新作『ハイウェイメン(The Highwaymen)』は、実話を元にした作品です。
大恐慌時代に犯罪を犯しながら逃避行を続けた悪名高いカップル「ボニーとクライド」…。彼と彼女の追跡に乗り出したふたりの元テキサス・レンジャーを描く作品となっています。
物語・映画は知っていても、実在のボニーとクライドについて探求心を持って調べた人でない限り、実際はどんな最期となったかは、知る由もないでしょう。
そもそもボニーとクライドの二人は、自分たちが長く生きられないことを知っていたそうです。非情な運命の日となる1934年5月23日を迎える前、ボニー・エリザベス・パーカーとクライド・チャンピオン・バロウがまだアメリカ中西部を荒らし回っていたころ、ボニーが書いた実際の詩を見ると最後の1行は次のように綴れていました。
「ボニーとクライドを待ち受けるのは、死」と…。
ですので、二人が警官の銃弾を雨あられと浴びて息絶えたときも(ボニーの手にはまだサンドウィッチが握られていました)、それは決して予想外の出来事ではなかったと言えるのです。自分の生き方を貫いた反逆者カップルにとっては当然の結末であって、それは1967年公開の映画『暴力脱獄』のルーク(ポール・ニューマン)や、1969年公開映画『イージーライダー』のワイアット(ピーター・フォンダ)がそうだったように、映画としては法と秩序を回復するため、二人の死を避けて通るわけにはいかなかったわけです。
もちろん、現実の物語というと、この神話ほど派手なものではありません…。ボニーとクライドの死について、ありのままの事実をご紹介しておきましょう。
ボニーとクライドが死んだ場所は?
6人(4人はテキサス州、2人はルイジアナ州)の警察官がボニーとクライドを待ち伏せていたのは、ルイジアナ州ビエンビル郡のとある田舎道でした。ボニーとクライドの二人が近くに住むバロウ・ギャングのメンバーと落ち合うとの情報を得て、銃を持って茂みの中に身を潜めていたのです。
二人はなかなか姿を現しませんでした。ですが、警官隊が待ち伏せを諦めようとしていた1934年5月23日の朝、ボニーとクライドを乗せた「フォードV8」がエンジン音を響かせながら走ってきたのです…。ボニーとクライドが乗った車に向けて撃たれた銃弾の数は?== 警官隊はあらかじめバロウ・ギャング・メンバーの親戚を説得して、トラックが故障したふりをして道路脇に立たせていました。そこへやってきたボニーとクライドが、彼を手助けしようとしてクルマを停車させた瞬間、警官隊のひとりが発砲。クライドはその場で射殺されます。
そしてボニーは悲鳴をあげ、クルマがゆっくり動きだすと、警官隊が一斉射撃を開始。警官の一人があとで計算してみると、発射された銃弾の数はおよそ150発にのぼっていたのです。
==ボニーとクライドを射殺する前に、警官隊はふたりの逮捕を試みていたか?==
当初、二人を待ち伏せていた6人の警官たちは、「止まれ!」と叫びながら茂みから飛び出していった、と主張していました。ですが、その後の証言によれば、若い警官の一人が警告をしないまま発砲し、ほかの警官たちもそれに続いたようなのです。
いずれにしても警官たちは、ボニーとクライドが逃げるときにはためらうことなく銃を使用することを話し合っていたようです。
つまり警官たちは、最初から二人を射殺するつもりでいたと言っていいでしょう。よってボニーとクライドは、発砲する間もなかったわけです。ふたりの体に撃ち込まれた銃弾の数は?少なくともクライドのほうは、自分の身に何が起こったかもわからなかったでしょう。ライフルの銃弾を頭に受けて、即死状態でしたので…。
ボニーのほうは、絶命する前に悲鳴を上げるだけの時間があり、その声は長い間、警官たちの記憶から消えることはなかったようです。
二人のクルマがゆっくりと動きだしたため、警官隊は銃撃を続けます。そしてクルマが停止すると、ひとりの警官が、なおもボニーを狙ってフロントガラス越しに銃を撃ちながら、クルマに近づいていったそうです。
公式記録によると、検死官が確認した銃創の数は、クライドに17、ボニーに26あって、二人の遺体はかなりの損傷を受けていたため、葬儀社は防腐処理を施すのに相当苦労したようです。
ある警察官は、後にこんなふうに述懐しています。「結局最後には、二人はただのボロ雑巾でしかなかった」と…。ボニーとクライドが射殺されたニュースを聞いた市民の反応は?
その一報が伝わるやいなや、二人が射殺された現場には大勢の野次馬が押し寄せ、記念の品を手に入れたい人々がポケットナイフを手に、周辺の木々に群がったそうです。
あわよくば、木に命中した銃弾を見つけて取り出してやろうというわけです。ボニーの髪の毛や着ていたドレスの一部なども切り取られ、中にはクライドの耳を切り取ろうとする人までいたそうです。
==ふたりが乗っていたクルマはどうなった?==
最終的に警察は、二人の遺体を乗せたまま、銃弾を浴びたクルマを近くの町まで牽引しました。これにも多くの野次馬が集まったそうです。
「悪名高いカップルを見てみたい」という人々が町の周辺をうろつきまわり、その数はおよそ1万6000人に上ったとも推定されています。
ボニーとクライドが最期を迎えたクルマはいまでも、ネバダ州プリムにあるウィスキー・ピーツ・ホテルのカジノで見ることができます。
==ふたりの葬儀の様子は?==
ボニーとクライドの遺体は、葬儀のためダラスへ運ばれました。が、二人の遺族はそれを大衆環視の中で行うという失敗を犯します。
クライドの場合、一目でいいから遺体を見たいという人々が、葬儀場の周辺に1万人も集まってきました。ボニーの葬儀に押しかけた人の数はさらに多く、ボニーの母親によれば、その数はおよそ2万人に上ったようです。ですが、取り立てて柄の悪い者たちはいなかったようです。
どちらの葬儀もたいへんな人の数で、クライドの棺を運ぶ役目の人たちは、人混みをかき分けながら墓地まで移動しなければならなかったようです。
==ボニーとクライドが埋葬された場所は?==
運命に向かって突き進む二人のことを書いた詩の中で、ボニーは「クライドと二人仲良く並んで埋葬されたい」という希望を綴っています。が、ボニーの母親がそれを許さなかったため、実現はしませんでした。
ボニーはフィッシュトラップ霊園にいったん埋葬されましたが、その後、ダラスのクラウンヒル・メモリアルパークに移されました。一方のクライドは、ダラスのウェスタン・ハイツ霊園で兄の隣に葬られ、墓碑銘には「この世を去っても忘れ去られることはない」という言葉が刻まれています。
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