2022年3月、大阪府泉南市で13歳、中学1年生の男子生徒が自ら命を絶った。
彼は担任にいじめを訴えたが、「お前の話は信用できない」と言われ、不登校になっていた。
少し離れた京都市に住む同じ13歳、中学2年生の女子生徒も学校に行けなくなった。
クラスメイトのいじめを目の当たりにし、担任に相談した。返ってきた言葉は「社会で生きるためには我慢しなければならない」、だった。
不登校の中学生はいま、20人に1人。年々増え続け、過去最多を更新している。小中高生の自殺者数も去年、過去最多を記録した。
これ以上、悲劇が繰り返されないように。京都市の女子生徒は、ありったけの思いを岸田総理への手紙に託した。
2人の「13歳の声」に耳を傾けた。
少年が最期に選んだ場所は…
大阪府泉南市。ひと気がない静かな空き地。ここで当時中学1年生だった松波翔さんが、自ら命を絶った。
去年10月、母親の千栄子さん(49)は、息子が最期に選んだ場所を初めて訪れた。自宅から歩いてわずか5分。どうしても行くことができなかった場所だった。翔さんのためにも見ておかなくては、と決心した。
翔さんは母親と兄との3人暮らしだった。亡くなった日の朝、「誰も知らない遠くへ行く」と兄に告げて家を出たという。
相談しても“お前の話は信用できない”
中学1年生の夏休みが明けた頃から不登校だった。当時のままに残されている部屋にある教材には、ペンも挟まっていた。親に言われなくても自分から勉強をする子どもだった。不登校で遅れた学習を取り戻そうとしていた。
小学生の頃から正義感が強く、クラスの輪に入れない子がいると、気になって声をかける優しい少年だった。
しかし、小学3年生の頃、2つ上の兄がいじめを受けるようになり、翔さんも上級生にからかわれるように。先生に相談しても真剣に受け止めてもらえず、「お前の言うことは信用できない」と言われたという。次第に学校に居場所を失い、不登校に。小学6年生の1年間は一度も学校に行けなかった。
不登校だった過去を馬鹿にされ“少年院帰り”
母親の千栄子さんは、翔さんが小学4年生のときに離婚。愛息を家でひとりにするのが心配で、自らの職場である引きこもりの若者を支援するNPO法人へ一緒に通勤していた。
千栄子さんがいつも身につけているブレスレットは、翔さんがお年玉やお小遣いをコツコツ貯めて、プレゼントしてくれたという。母思いの少年だった。
夢は、検察官になることだった。司法試験を受けるために勉強を頑張らねばと、中学から心機一転、学校に通うことを決心した。
しかし、入学してまもなく不登校だった過去を馬鹿にされた。「少年院帰り」などという言葉まで耳にした。担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われたという。
同じ中学校に通っていた翔さんの兄は、当時の弟をこう語る。
「『先生はいじめも解決できないし信用できない』と弟は言っていました。『自分は変わろうとしたのに大人は全く変わらない。助けてくれない』と話していました」
自ら訴えても届かなかった
夏休みが明けた頃、翔さんは「自分が小学校で不登校だった理由をクラス全員に話してほしい」と担任に伝えた。しかし、できないと言われ、その後、中学も不登校になった。
翔さんと千栄子さんは学校や教育委員会に対し、転校させてほしいと求めたが、願いは受け入れられなかった。泉南市教育委員会は、「翔さんがまずは登校できる状態にならないと転校の判断ができなかった」と話し、精神疾患などの診断書があれば、転校の判断ができたとしている。
その後、翔さんは行政や民間の複数の窓口にも自ら訴えていたことがわかった。弁護士会が設けているLINE相談窓口、大阪府の相談窓口、自殺予防の活動をしている団体…。しかし、いずれも解決にはつながらなかった。
母の千栄子さんは言う。
「翔は自分の中でいろいろ考えて、いろんな大人にSOSを発信して闘っていました。生前、先生や大人のことを偽善者と呼び、次第に生きていても仕方がないと漏らすようになっていきました。母親として、守ってあげられなかったことが悔しいです」
泉南市では、全国でも珍しく「子どもの権利に関する条例」を2012年に制定し、「子どもにやさしいまち」の実現を掲げている。条例が守られているかを検証する市の第三者機関は、「建前だけの条例になっている」と指摘したうえで、学校や教育委員会が翔さんのSOSに向き合っていないと批判する。
「翔君は大人の社会に失望して自ら命を絶ちました。子ども同士のいじめの問題として終わらせてほしくない。大人に突きつけられた課題として考えなければならないのです」(泉南市子どもの権利条例委員会 吉永省三会長)
放置された“少年の死”
第三者機関が翔さんの自殺の経緯を調べるなかで、判明したことがある。教育委員会は、翔さんが亡くなって4か月もの間、その事実を審議せず放置していたのだ。中学校のクラスメイトは、亡くなった事実さえ知らされていなかった。
生徒から担任に対して、「名簿から翔君の名前がなぜ急に消えたのか」「最近見ないけど今どうしているのか」といった声が複数寄せられたという。その都度、担任は「なにも答えられない」と返答していた。
千栄子さんは去年8月、教育委員会に直接出向き、翔さんと学校のやりとりの記録や相談した内容が記された文書の開示請求を行った。しかし、教育委員会が開示した文書は、名前や日付以外は全て黒く塗られていた。理由は、「調査に支障が出る」(教育委員会)ためだという。
翔さんの「声」はここでも消されていた。
結局、学校が亡くなった事実をクラスメイトに伝えたのは、翔さんが命を絶って半年以上がすぎた去年9月末だった。そして去年10月、中学校の校長と教育委員会の担当者が訪ねてきた。亡くなってから7か月、学校側が自宅に入るのは、この日が初めてだ。
「お母さんの悲しみの深さを思いますとお言葉が出ないのが正直なところ。今回はこうしてまずはお悔やみを申し上げたい」(校長)
千栄子さんは息子の死の真相を知ろうと自らの口で質問を投げかけた。
「亡くなったことをクラスメイトに知らされなかった翔の気持ちをどう考えますか?」
「いじめはあったんですか?」
しかし、校長は同じ言葉を繰り返すだけだった。
「調査に影響が出ますので」
「答えは差し控えさせてください」
今年1月末、泉南市は第三者委員会を設置し、ようやく調査を始めた。翔さんの死から約10か月が経っていた。
“大人”に失望した中学生
翔さんは亡くなる2日前、「ママには借りがある」と言って千栄子さんの肩をもんでくれたという。母親の前では最後まで気丈に振舞っていた。
「翔の存在がまるでなかったかのようにされてきました。私がこうやって声をあげ続けて、大人に絶望して亡くなった翔の存在を世の中に知ってもらえたら、翔が少しでも報われるのではと思います」(千栄子さん)
一方で、翔さんのようにいじめられている同級生を、救おうとする子もいる。
大阪の隣、京都市に住む大里芽生さん(13)は、周囲から「死ね」などと言われていたクラスメイトを何とかしてあげてほしいと担任に進言したところ、言下に見て見ぬふりをしろと言われたという。
“大人”への失望から不登校になった彼女に対し、学校側が伝えたメッセージはおよそ信じがたいものだった。
“先生の言葉”で不登校に
大里芽生さんは、高校生の兄と両親の4人で暮らしている。中学1年生の夏休みが明けた頃から学校に行けなくなった。
自分の部屋には、集合写真や名札など小学校時代の思い出の品々を飾っている。小学生のときには先生から「芽生さんのおかげでクラスが明るくなった」とよく言われたという。特に6年生の担任の先生が大好きで、休みの日も通いたい、と思ったほどだった。
卒業後は地元の中学校に入学。しかし、入学から間もなく同級生の男の子が複数の女子生徒からいじめられているのを目の当たりにする。
芽生さんは当時の思いを日記に綴っている。
学校でいじめみたいなのがあって、そのまじめな子に『死ね』『いなくなれ』って聞こえる声で言ってる子がいる。私はまじめな子に話しかけられて話してたら『その子は嫌われてるから離れた方がいいよ』って言われる。自分はみてる人になるのか。本当にそれでいいのかわからない。本当にごめんなさい。
芽生さんは、男の子を助けたいと思い担任に相談したが、「本人は気にしていないから大丈夫」と言われた。その後、何度相談しても、いじめはなくならなかったという。
芽生さんは次第に学校に行こうとすると頭痛や吐き気を感じるようになる。2学期に入り、母親と一緒に相談に行き、教室に入ることが怖いと訴えた。
しかし、担任から返ってきたのは、あまりにすげない言葉だったという。
「社会で生きるためには我慢しないといけない」
「他の学校でもあること」
芽生さんはこの言葉をきっかけに不登校になった。
「『我慢しなくてはいけない』って言われた時に、先生に相談しても何もできない、理解されないと思って諦めたという感じ…。人が死んだらわかる。死なないとわからないんだろうなと思ってしまう」
文部科学省の調査によると、不登校のきっかけとなった理由として「先生のこと」を挙げた生徒は小中学生ともに3割前後に達し、上位を占めた。いずれも、いじめを含む「友達のこと」よりも多い割合だった。
学校に行きたくても行けない
新学期になったら学校に行こうと思っても、怖さを感じてしまう。目標を作って一歩踏み出したい気持ちと、不安が入りまじっている。
「(気持ちが)落ちたときに思うことは、自分は周りに迷惑をかけている、学校に行かないことで迷惑をかけるんだったら、自分がこの世界からいない方がよかったのかなと思います。出席日数も必要だから高校受験が不安…」
去年8月、夏休みが明けた新学期。不登校の子どもが学校に通うようになったり、逆に増えたり節目となる時期だ。
2学期が始まっても、芽生さんは学校に行けなかった。母親の肖子さん(55)は落ち込む愛娘に静かに寄り添う。
「大丈夫。大丈夫」
母に優しく見つめられた芽生さんの目からは、涙がこぼれだす。
母と娘2人だけのドライブで、芽生さんは胸の内を話し始めた。
「本当は楽しく学校に行って、楽しく過ごしているはずだったのに、なんでこんな理不尽なことで自分が苦しむの」
募る“学校への不信感”
中学校は取材に対し、「いじめがあったかもしれない。加害生徒には注意をした」と答えた。そして、芽生さんへのメッセージとしてこんな言葉を連ねた。
「まずは学校に来てほしい。少しずつやる気になって、社会で通用する生徒になってほしい」
学校からすると芽生さんは「やる気」がなく、このままでは「社会で通用」しないそうだ。
大人や学校に対する不信感は簡単には拭えない。友達と勉強したり、行事に参加したりもしたい。でも、学校は怖い場所。自分を責め、消えてしまいたい、と思ったこともある。
「学校はわかってくれない、理解されない。自分の気持ちは世の中に通用しない。車に飛び込もうとしたときもありました。そのときは、自分じゃないみたいな。もう嫌だなという感じ」
学校や先生に相談しても理解してもらえない。去年9月、芽生さんはある人物に手紙を出すことにした。届ける先は学校や教育委員会ではない。日本のトップ、総理大臣だ。
岸田文雄総理への手紙は約1600字にもなった。
たいていの先生は、そのいじめられていた子が死んでしまった後に『知らなかった』『調べたけど見つからなかった』『調査した』などと言い訳をし、死んだ子供がいても学校はまた同じことの繰り返しをする。
提案があります。いじめ、虐待などの専門家の人を学校に配置してください。
理由は担任の先生は手が空いてなく、生徒をきちんと見られないからです。いじめている子は、もちろん悪いですが、その子も事情があるかもしれない。ストレスをどこにぶつけたらいいか、わからないかもしれない。なので、いじめてる子にも向き合ってほしいです。
助けてください。他人事にしないでください。未来を照らしてください。この世界を変えてください。お願いします。
(MBS報道情報局 吉川元基)
※この記事は、MBSニュースによるLINE NEWS向け特別企画です(年齢・肩書は取材当時)。