担任から性暴力…「自分が壊れてもいい」と向き合った、30年前の悲劇。女性が実名で語り続ける理由
小学6年生の修学旅行を思い出すと、今でも目の奥が熱くなる。ブラウスとスカートを新調してくれた母が、「楽しんでおいで」と送り出してくれた。その温かな気持ちまで汚されたような気がして、ずっと苦しかった。
あれから約30年――。誰も気がついていないと思っていた。でも、違った。
「あなたが担任から被害を受けていたこと、知ってたよ。あの時、助けてあげられなくてごめんね」
三重県で2018年夏に開かれた、ある中学校の同窓会。平野利枝さんに声を掛けてきたのは、同じ小学校に通っていた女性だった。「被害」が何を指すのか、すぐに分かった。
修学旅行の大部屋で…
あの修学旅行の夜、クラスの女子16人が眠る大部屋に男性の担任教師が1人で入ってきた。「見つけた」。そんな声がして、暗がりの中で目を開けると間近に担任の顔があった。
唇を押し当てられた。パジャマをめくられて胸を触られ、耳元で言われた。「おっぱい大きいね」「これがペッティングっていうんだよ」。体は凍り付いたようで、声も出なかった。
この時、隣の布団で寝ていたのが「ごめんね」と言った女性だった。
担任からの性暴力は、修学旅行の少し前から始まっていた。初めて被害に遭ったのは夏休み。班ごとに分かれ、担任の自宅で1泊2日を過ごす「お泊まり会」でキスをされた。
もともと、膝の上に子どもを乗せるような人だった。誰もいない教室や職員室で体を触られるなど、行為はエスカレートしていった。
機嫌を損ねるのが怖く、抵抗できなかった。いつも「なぜ先生の言う通りにできないんだ」と怒鳴られてきたからだ。「気持ち悪い。やめてほしい。でも私が駄目な人間だから、こんな指導をされるのだろうか」
自分に非があるような罪悪感にさいなまれた。親や友達には絶対に知られてはいけないと思っていた。この同窓会の日まで。
衝撃は、女性の謝罪の言葉だけでは終わらなかった。別の同級生らが「自分も被害に遭っていた」と打ち明けたのだ。
今、平野さんは40代。講演などで性被害について実名で語る。年齢や居住地をあいまいにするのには、同級生の特定をできるだけ避けたいという配慮がある。
突然、体に異変
「卒業して会うことがなくなっても、私は元担任に『支配』され続けてきました」。こう半生を振り返る。
中学生活は「学校が楽しい」と思える、つかの間のひとときだった。高校2年の春、授業中に突然、喉が絞まったような感覚に襲われた。呼吸ができずパニックになり、教室を飛び出した。それが体調不良の始まりだった。
息苦しく、体のあちこちが刺されたように痛かった。県内外の病院を転々とした。自律神経失調症、神経症、起立性調節障害――さまざまな病名で、山ほど薬を処方されたが、症状は一向に改善しなかった。
呼吸困難の発作はいつ起きるか分からない。高校は不登校になり、大学は1週間も通えないまま中退した。
性暴力に起因するPTSD(心的外傷後ストレス障害)。そう診断されたのは、女性の精神科医とつながり、初めて医療の場で性被害を語ることができた30代後半になってからだった。
性暴力、なかったことにされ
同窓会の後、疑問が浮かんだ。自分以外にも被害者がいたのに、大人は誰も気が付いていなかったのだろうか。確かめたい気持ちを抑えきれなかった。
平野さんは、ある小学校を訪ねた。小学6年の時、別のクラスの担任だった大原康彦さん(67)に会うためだ。「先生は、私たちのクラスであったことを知っていますか」
予想もしない内容だったのだろう。「知らなかった」と大原さんは目を見開くばかり。話を聞き終えると「つらい思いをしたね」と受け止めてくれた。
「これからの子どもたちに同じような思いをさせてはいけない」。大原さんの提案を受け、二人は教育委員会に通報した。だが、元担任は「覚えていない」と事実を認めず、処分を受けることなく退職した。
あの性暴力は、なかったことにされてしまった――。まるで新たな被害に遭ったように、ドロドロとした感情に押しつぶされた。
30年ぶりに加害者と対面
台風に向かうように、車は走っていた。ウインドーにたたき付ける雨で視界は不良。まるで心の中と同じだった。
「大げさではなく、もう『自分が壊れてもいい』という覚悟でした」
20年秋、東海地方に台風が接近する中、平野さんは、車で三重県内の貸会議室を目指していた。元担任の男性と、約30年ぶりに会うためだ。運転するのは大原さん。共に立ち向かう同級生らの車が後ろに続いた。
教育委員会に事実を認めなかった元担任に納得がいかず、古い年賀状を頼りに手紙を送ったことがきっかけだった。「直接お目にかかり、当時の本当のことをお話しいただきたい」。すると返事が届いたのだ。
被害者が加害者に会うことはフラッシュバック(被害の追体験)などにつながる危険性をはらむ。そうだとしても、時効で司法には頼れない以上、平野さんにはこの方法しか見つからなかった。
「記憶にない」と繰り返す元担任
大雨の中、元担任は時間通りにやってきた。恐る恐る目を向けると、老いたその人から「大きくなったね」と声を掛けられた。過去を懐かしむような発言に認識のずれを感じた。
「キスをして、服を脱がして。先生も脱がれました」などと訴えても、元担任は「記憶にない」と繰り返した。
むなしいやり取りは約2時間続いた。本当は「私の人生を返せ」と怒りをぶつけたかった。同級生は悔しさのあまり泣き出した。
1カ月後に2回目の面会をしたが同じ調子で終わった。
困惑した平野さんは、被害者支援に取り組む弁護士に相談した。すると「合意書を作ってはどうか」と助言された。被害の事実と謝罪の意思を文書にして解決とする、いわゆる示談書のことだ。
気付けなかった後悔から助力
打開を図るため、大原さんが尽力した。「近くにいたのに(性被害に)気付けなかった教師として、責任がある」。その一心だったという。
改めて振り返ると、大原さんも「変だな」と感じることはあった。平野さんたちの教室は、すりガラスの窓がいつも閉まっていた。下校時間になっても、よく全員が教室に残されていた。でも性暴力なんて想像もできなかった。
最初の面会後、元担任と個人的に連絡を取り続けた。メールや電話でのやり取りは何百回にも及んだ。「あなたが話さなければ、また子どもたちが苦しむ。区切りを付けさせてやってほしい」
計13時間の話し合いの末に
再会から1年が過ぎた21年秋、元担任と3回目の面会が行われた。この場には、大原さん以外の元同僚教師や保護者らも駆け付けた。
<修学旅行の夜や自宅でのお泊まり会などで繰り返し被害を受けたとする平野らの申し立てを認め、これに対して謝罪をする>
そう記された合意書に、元担任が自らペンを握りサインをしたのは、4回目に面会した時。最初の面会から合わせて、計13時間に及ぶ話し合いの末だった。
平野さんが心境を明かす。「大原先生たちの助けがなければ、私はずっと小学校に取り残されたまま、自分を責める人生でした。30年ぶりに、ようやく卒業ができました」
ただ、割り切れなさも残った。元担任が処分に至らなかったとして、地元の教育委員会は平野さんからの訴えを記録にさえ残していなかった。ところが合意書を手にすると一転。再発防止に向けた意見交換に応じるようになり、被害についても記録のために改めて聞き取ると、対応を変えたのだ。
「小学校という公的な場所で起きた問題なのに、ここまで自力でやらなければ被害者と認めてもらえず、今後に生かしてもらうこともできない。そんな社会でいいのか」
「教師だからこそ」の被害の構図
教師を引退したばかりの大原さんと22年、市民団体「声を聴きつなぐ会」を発足させた。目指すのは、学校での性暴力の再発防止と、被害者を守る仕組み作りだ。行政に働きかけるほか、教職員と地域の人たちが一緒に学ぶ「教育交流会」を主催している。
「子どもに人気がある先生は、子どもに言うことを聞かせられる先生でもある。『教育だから』『君のためだから』と言われると、子どもは本当にそう思ってしまう」
今年6月2日に開いた5回目の交流会では、性暴力を受けた子どもの治療に携わる「総合心療センターひなが」(三重県四日市市)の児童精神科医、山田智子さん(46)が講演し、いくつかの事例を報告した。県内外から参加した約70人で、会場は満席になった。
自分の子が被害に遭ったら?
山田さんは、被害を防ぐために親などの身近な人にもできることがあると語った。
例えば、体の水着で隠れる部分などを指す「プライベートパーツ」は、人に見せたり触らせたりしてはいけないと、幼児のうちから教えること。幼い子どもほど性暴力を遊びの延長だと誤解してしまうからだ。「やめて」と言えないばかりか、被害に気付くまで時間がかかることにもつながる。
もしも被害を打ち明けられた時には、どうすればいいか。まずは「話してくれてありがとう。あなたは悪くないよ」と伝え、決して動揺を見せてはいけないという。
「親はショックでしょう。けれども親が取り乱せば、子どもは『いけないことを話してしまった』と誤解し、自分を責めてしまいます」
「いつ」「どこで」といった詳細はあえて確認せず、全国各地にある性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センターや警察などにつなぐことも重要だ。被害の聞き取りには専門性が求められる。何度も聞かれ、子どもの記憶が塗り替えられるのを防ぐためでもある。
子どもの場合、被害直後に症状がなくても、思春期以降に何らかのきっかけでトラウマ体験が想起され、PTSDなどを発症することがよくある。高校生で突然、体調不良に見舞われた平野さんもそうだった。
山田さんは「専門家だけでなく、周囲の誰もが被害にあった子どもを支えることができる。そのために、性暴力の問題について正しい知識を持ってほしい」と呼びかけた。
「あの頃の歌謡曲」で今も吐き気が
交流会の会場で、来場者を見送る平野さんは、笑顔を絶やさなかった。気遣いもあるのだろう。悲痛な体験とは裏腹によく笑みを浮かべる。だから「もう体調はいいのね」と言われることが少なくない。誤解だ。
元担任が使っていたシャンプーに似たにおい。当時流行した歌謡曲。あらゆる出来事が引き金となり、吐き気やめまいに襲われる。
薬が手放せず、体調の急変に備える日々で、仕事ができない時期がある。「人生の選択肢が狭められてきました。夢は諦めるしかなかったし、子どもを持つことも考えられない……」。性暴力による被害は、今もなお、線として続いている。
「いまだに『被害のことはもう忘れたら』と声をかけられることがあります。でも、どうしても記憶から逃れられない。だから苦しいし、向き合っていくしかないんです」
「手応えはない」 だからこそ
被害を初めて訴えた日から、6年が過ぎた。交流会は回を重ねるにつれ参加者が増え、学校だけでなく医療、福祉、市民団体など、同じ志を持つ人たちをつなぐ場となった。
県は近く、性暴力の根絶をめざす条例を制定する方針で、平野さんは大原さんとともに、条例の検討懇話会の委員にも就任した。
筆者のインタビューに応じる平野利枝さん
「手応えを感じていますか」
交流会の後、平野さんに聞いてみた。すると、面食らったような顔で答えが返ってきた。「ないですよ、手応え。だって、まだ何も変わっていないですよね」
子どもや大人になった被害者への支援はまだまだ不足している。
「私の感覚だと、今は『性暴力のない社会』という山に登り出す直前で、やっと登山の準備が整ってきたところかな」。いつか山頂の景色を見られる日が来ると信じて、平野さんは自らを奮い立たせている。
【毎日新聞くらし科学環境部・黒田阿紗子】
※この記事は、毎日新聞によるLINE NEWS向け特別企画です。
平野さんが携わる「声を聴きつなぐ会」では、子供の性被害を防ぐための勉強会や交流会などを開催している。