「いい居酒屋知らない?」
都内のある駅で、同世代の若者からいきなり声をかけられた。東京に赴任したばかりの記者は、「都会ではこれが当たり前なのかな」と思った。
その後も、何度も声をかけられた。若者たちは手当たり次第にアタックしているようだった。
何者なんだ…
正体を突き止めたい。記者の使命感から、30代男性の「N」についていった。
「潜入取材」でわかったのは、彼らの正体と、法の穴をくぐり抜ける巧妙な罠だった。そして関係者の糸を手繰り続け、ついにコンタクトに成功した、首謀者が語ったこととは――。
話の始まりは、2021年春だった。
取材であることを謝ろうとしたが…
連絡先を交換した翌日、Nから早速、高田馬場駅近くの貸会議室での飲み会に誘われた。「コロナ禍で飲む機会がなくてさみしいよな。俺は顔が広い。仲間呼んであるから」。
20~30代の男女10人が集まっていた。カードゲームをしたり、たわいのない話をしたりして、約3時間過ごしたが、楽しい飲み会だった。本当に、ただの友達作りなのかもしれない。疑ったことが申し訳なく、取材のつもりだったことを謝ろうと思った。
帰り道、Nから「いまの仕事にやりがいを感じているか」「生活に満足しているか」と尋ねられた。言葉を濁すと、Nはバッグから不意に1冊の本を差し出した。
「この本、すごい有名でさ。ぜひ読んで、感想聞かせてよ」
すぐに本のタイトルをネット検索すると、「マルチ商法で勧誘者がよく使う」との注意喚起が目に付いた。謝罪の言葉を飲み込んでよかった。
熱弁された「年収2000万」
Nからは週に2、3回連絡があった。飲み会、フットサル、バーベキュー……毎週、何かしらのイベントに誘われた。
Nと新宿駅近くの喫茶店で、将来設計に向けた「願望マップ」を作ったのは、2021年5月末だった。Nは具体的な目標を細かく設定する重要性を説き、「なりたい自分」「行きたい場所」「欲しい物」について、「何歳までに、どうなりたいか」を聞いてきた。
「思いついたものをどんどん言って。何でもいいから」とNから促された。すぐには思いつかず、インスタグラムでよく目にする「リア充」投稿をイメージし、「軽井沢の別荘」「宇宙旅行」とでたらめを言い連ねた。
ただ、高級外車の「ハマー」は本当に欲しかった。
Nはうなずきながら書き込み、A4用紙は記者の「願望」でいっぱいになった。Nによると、これをかなえるためには、30歳までに年収2000万円が必要という。
「2年後に年収2000万円、7年後に年収1億円だ。今の仕事で実現可能か」。Nは記者の目をじっと見据え、迫った。言うまでもなく、それは不可能な額だった。
Nは「俺も初めて書いた時、自分のリアルを知ることができた。1回きりの人生、20代後半だからこそ、理想を描いて、それに向けて一生懸命に動ける。それで実現したら最高だと思う」と熱弁を振るった。
いきなり訪れた「熱めの飲み会」
連絡先を交換してから2カ月がたった2021年6月4日、いつものようにNからイベントに誘われた。指定されたのは、新宿の貸会議室。ビルの前に着くと、既にNが待っていた。エレベーターのボタンを押しながらNが言った。
「今日はだいぶ熱めの飲み会。いろいろ立ち上げてやっている人や、これからがんばろうとしている人たちが集まっている。いろんな人紹介するから」
いつもの愛想笑いは影を潜めていた。
部屋の中は大音量で洋楽が流れ、若い男女約50人があちこちで談笑していた。程よくエアコンが利いていたが、室内を占める人の熱気で、じわりと汗がにじみ出た。
「密」が気になり、なるべくマスクを外さないように心掛けた。参加費として2000円を払うと、Nが紙コップにビールをついでくれ、乾杯した。Nに連れられ、参加者に一人一人、あいさつに回った。
参加者は20代が中心だった。
「会社員としてお金を稼ぐ世界と、もっとお金を稼いで、時間もあって、やりたいことも何でもできて、家族も養えて、親にも恩返しできる。どっちが楽しい?」
「フィリピンやインドネシアといった発展途上国を見てきた。恵まれない子どもたちがいっぱいいた。日本で餓死することはない。こんなにいい環境にいるのにチャレンジしないのはもったいない」と自らの夢や目標を恥じらいもせずに語った。
「人を殺してこいなんて言わない」
2時間後の午後10時、会はお開きとなった。Nは「自分と向き合うのは厳しい作業だ。でも自らの意志で前に進むのはかっこいいし、俺もエネルギッシュでありたい。ただ意識を高く持つだけではだめだ。行動することで、自分の人生が変わる」と説いた。
Nからの誘い文句には、ある人気漫画が頻繁に登場した。ばらばらだった一人一人が「一つの夢」をかなえるために団結するストーリーは、組織への勧誘に使いやすいのだろう。
2021年6月中旬、初めて記者からNを誘い、新橋の居酒屋でNと向き合った。生ビールでささやかに乾杯をすると早速、Nが切り出した。「どうなの? ビジネスオーナーになるために動いちゃえばいいじゃん」。たびたびの誘いにも煮え切らない記者に対し、「人として間違ったことはしない。人を殺してこいなんて言わない」と冗談交じりに言った。
Nの夢は「銅像が建てられる人物」
酔いも手伝ったのか、Nはこの日、初めて自らの身の上を語り出した。
Nは西日本の離島出身。関西の超難関国立大学を卒業後、東京で大手企業に就職。ビジネスオーナーを目指して活動する時間を得るために転職したという。故郷の特産物を一つ一つ、どこがすごいのかを教えてくれた。
「夢は死んだ後、地元に銅像が建てられるような人物になること」と真っすぐ前を見据えた。
活動の理由について「俺は一度きりの人生を最大限チャレンジして、より多くの人に貢献していく生き方をするために動いている」と言い切った。本心からの言葉に聞こえた。
故郷にいつか戻る予定は? 記者の問いかけに、Nは「わからない」とさみしげに声を落とし、「大好きな地元に、胸を張れるくらいがんばれる自分でありたい。地元出身で、東京で働いているのは俺ぐらいだから」。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
Nは「次の予定がある」と言い、店の前で別れた。「じゃあ、またな」。いつものように慌ただしく立ち去った。
ただ、記者はNと会うのはこれが最後と決めていた。Nの所属する組織が、違法の疑いがある活動をしていると確信を持ったからだ。
Nの背中を見送りながら、この3カ月間、Nと交わした言葉を思い浮かべた。Nも夢を抱いて上京してきたごく普通の若者だったはずだ。彼のような「被害者」をこれ以上生まないよう、組織の実態に迫ることを決意した。
「仕事は辞めた」…母の苦悩
Nと過ごした3カ月間で会った組織の関係者は、全員が若者だった。違法の疑いがある活動をしている彼らにも、親がいる。ある母親の苦悩を聞いた。
1人暮らしをしている息子の変化に気づいたのは、新型コロナウイルスの感染が国内でも広がり始めたころだった。
落ち着きなく誰かと電話したり、スマートフォンをいじったりする時間が長くなった。息子はよく実家に顔を出したが、会うたびに様子はおかしくなっていた。「仕事、そんなに忙しいの?」。心配になって尋ねると、驚きの返事があった。
「会社は辞めた。事業を起こすため、仲間たちとがんばっている」
どんな事業なのか、どうがんばっているのか――。つい問いただしてしまうと、あからさまに機嫌が悪くなり、「うるさいな。もう大人なんだから、ほっといてくれ」。部屋に逃げ込んでしまった。
不安を抑えきれず、インターネットで検索してみた。転職、睡眠不足、時間に追われる……。息子の変化を検索サイトに打ち込むと、あるツイートを発見した。マルチ商法の疑いがある組織の元構成員が注意を促すために作成したアカウントだった。
息子から金の無心続く
ある日、息子からLINEのメッセージが届いた。「事業のため資金が必要だから、お金を貸してほしい」という。思い切って、尋ねてみた。「違法なマルチ商法に関わっているんでしょう。いますぐやめなさい」。息子は否定せず、金銭の要求を続けた。
元構成員にダイレクトメッセージを送り、助言を願った。元構成員は「一度お金を渡すと、歯止めが利かなくなる。やめたほうが息子さんのためだ」とアドバイスしてくれた。ただ、息子がヤミ金業者から借りたり、犯罪に手を染めたりすることだけは避けたかった。
「今回だけだよ」
数十万円を手渡した。しかしその後も、息子からの金の無心は続いている。
息子は今でも、たびたび実家を訪れる。食事をすると、わずかな睡眠の後にまた出ていく。「無理やり引き留めると、二度と戻ってこないのでは」と心配し、見守ることしかできない。昔と同じように熟睡する子どもの寝顔を見つめ、帰る場所を守ってやろうと思う。
「親として何もしてやれないのは歯がゆいが、冷めるのを待つしかない」。成人が自らの意思で参加している限り、連れ戻す手段は何もない。親は無力感にさいなまれ、眠れぬ夜を過ごす。
「どれだけアンチのクソ野郎が言おうと」
記者はこの組織の目的を明らかにするために、別のルートで関係者と接触することができた。
関係者によると、組織は特定の名称を持たず、「事業家集団」「環境」「アカデミー」「チーム」などと呼び名を次々と変遷させている。構成員は東京、大阪を中心に数千人いるとみられる。
毎日新聞は、組織の全構成員が集まる「全国会議」の映像と音声を入手した。「成功者」が次々と壇上に立ち、構成員に呼びかけた。
「商業施設に出店し、さまざまな事業に関わっている。会社員時代の年収に比べると5倍ぐらいになった」
「月収400万円を達成した。年収4000万円とすると、国税庁調べで、日本全国の就業労働人口6000万人中、女性では0・002%。この会場に、女性で何千万円稼いでいる人、めちゃくちゃいる。どれだけアンチのクソ野郎が言おうと」
発言のたびに参加者の拍手と歓声が響き、会場は異様な雰囲気に包まれていた。
組織に搾取される時間、金、心
末端構成員は、全国会議で壇上に立つことができる成功者を目指して、活動にのめり込む。「経営の『師匠』の下、50人の友達を作ると自分も店舗オーナーである『師匠』になることができ、年収が飛躍的に上がる」とされる。
師匠からは、1日の行動を毎日、報告するようにと指示される。構成員になってしばらくすると、師匠から仲間と共同生活するシェアハウスへの入居と、転職を勧められる。
集団生活は、マインドコントロールに適した手段だ。毎日新聞は東京都内で複数のシェアハウスを確認。建物の規模に比べて、出入りする人の数が明らかに多かった。JR山手線沿線や、大阪市福島区にシェアハウスが点在している。
集団生活の中で、時間もお金もあらゆる形で組織に搾取され、正常な判断ができなくなっていく。活動費捻出のため消費者金融にまで手を出し、それすら底を突いても、なおその覚悟を問われて罵倒されるという。少しネットで調べれば、元構成員たちの心痛な経験談に行き着く。
組織トップ「これから財閥作る」
組織の「友達作り」とは、ある会社の美容用品を毎月15万円分、購入する人を増やすことを指す。師匠になるためには、購入する友達を「子と孫」を合わせて50人ほど確保する必要があるとされる。
この仕組みは、事業家集団トップとされる男性Yが、20年にわたってマルチ商法に関わった末に生み出したものだ。Yが長年の活動で学んだことは、マルチ商法の難しさだ。
Yは過去に化粧品や健康商品などを扱うマルチ商法の企業で活動し、最盛期には5000人以上が所属する組織を率いた。
消費者庁から指摘を受けたことをきっかけに、Yは2018年初めに除名処分に。直後、周囲に「身内の金は身内で回す。これから財閥を作る」と宣言した。
契約を巡ってトラブルになりやすい販売方法から消費者を守る「特定商取引法」は、マルチ商法を「連鎖販売取引」として規制対象としている。マルチ商法そのものは合法だが、特商法でさまざまな禁止行為が定められている。
Yをよく知る組織関係者は「マルチは結局、特商法の制約があり、いろいろめんどくさい。法的にはマルチじゃない仕組みにしようと考えた」と明かす。
「最強のマルチ」完成
構成員が15万円の美容用品を求める購入先は、小売店を装う師匠の店だ。「外から見れば、一般客が店で購入しているのと区別できない」という。
組織の根幹は、かつてとまったく変わっていない。実質はマルチ商法にほかならず、取り扱っている商品も同様に美容用品のままだ。ただ、それぞれの師匠が店を営んでいるため、マルチ商法と指摘を受けることはない。ある会社の美容用品は市販もする。各店舗では一般の商品も取り扱い、表向きは小売店と変わらない――。
2018年3月、Yはマルチ商法企業からの移行について、幹部をホテルに集めて説明した。組織関係者は「実態はこれまでやってきたマルチと変わらない。なのに、特商法の制約を受けない。『最強のマルチが完成した』と驚いた」と振り返る。
組織トップ「私に対する殺害予告も」
Yの表の顔は経営者だ。2021年6月に設立した会社のウェブサイトによると、「社会の課題解決や、人材育成支援」を目指し、各種プロジェクトに携わっている。
複数の組織関係者によると、Yは1973年生まれ。関西出身で、10代で起業した。阪神大震災(1995年)時には既に一定の資産を築いていたものの、被災からの復興で大部分を失ったという。
毎日新聞はYに取材を申し込んだ。「時間的な調整が難しい」として、メールで回答があった。
「私は、かつて関わっていたマルチ商法の仕事を辞めた後、弁護士などの専門家にも相談して、コンプライアンスを重視しながらビジネスをしております。この間、消費者庁から『脱法マルチ』という指摘を受けたことも、脱法行為を行っているとの指摘を受けたこともございません」と断言した。
その上で「ツイッターなどオンライン上では、私に対する事実に反する悪質な中傷も散見されます。中には私に対する殺害予告などもあります。残念ながら、愉快犯的なものや、組織的な対立から私に対する悪質な中傷をする方もあるようです」とむしろ被害者であると訴えた。
「『事業家集団、環境、アカデミー』は、私が直接関係している組織ではなく、その勧誘等の手法に関与はしていません」と関わりを明確に否定した。
組織との関わり否定も違法性に反論
一方で、「ご指摘の組織には私の友人・知人もおり、その中には私と同様にマルチ商法からの脱却を図ろうとしている方もいらっしゃいますので、そのような観点から助言を求められた際には、コンプライアンスを徹底するように申し上げています。私の認識している限りでは、営業目的で勧誘する場合に営業目的を告げずに連絡先を交換するようなことは禁じられているはずですし、特定企業の商品を月15万円分購入させるような強要もしないようにご注意いただいているはずです」と、なぜか組織の違法性については反論した。
脱法マルチではないかとの質問に対しては、「当該組織のビジネスは、法的にいわゆるマルチ商法に該当しないものと認識しています。もっとも、コンプライアンスの徹底を図る必要があるとの立場から、当該組織の方々は、特商法におけるマルチ商法に対する法規制と同様の基準で不当な勧誘等をしないように自主規制していると聞いております」と回答した。
あなたは、ついていきますか?
その他にも、組織の概要を尋ねた問いには、「私が当該組織の運営に直接関わっているわけではなく、詳細はわかりません」とかわした上で、悪質さや違法行為については明確な否定を繰り返した。
規制当局関係者は毎日新聞の取材に対し、「現状では、マルチ商法として特商法違反に問うことは難しい。組織の実態を注視したい」と話す。
宣言通り、特商法に抵触しないよう考え抜かれた「脱法マルチ商法」は、いまも若者に魔の手を伸ばし続ける。
あなたは、ついていきますか?
組織の全構成員が集まる全国会議で、勧誘による組織拡大を促す発言がたびたび確認できた
(毎日新聞くらし医療部・小鍜冶孝志)
※この記事は毎日新聞によるLINE NEWS向け特別企画です。