13歳の誕生日を迎えた数日後、優人(ゆうと)さん(仮名)は突然、命を絶った。
その約1カ月前、ノートに書き込んでいた「死」「絶望」「呪」の文字。優人さんの心が追い詰められた背景には、小学校での教諭の不適切な指導があったとされる。
優人さんの死後、教諭は懲戒免職となったが、「不適切な行為は一切なかった」と、処分を不服として審査を請求している。
〝指導死〟はなぜ、なくならないのだろうか。
突然の死別
2019年4月18日。その夜の出来事は優人さんの母親(48)の記憶からぽっかりと抜け落ちている。
「息子さんが運ばれた」と聞き、訳が分からないまま、病院に向かう救急車を車で必死に追った。翌朝、前日の夕食が手つかずのまま食卓に残っていた光景だけが頭に残る。
「どうして?」
その春、優人さんは熊本市立の中学校に入学したばかりだった。
元々は明るく、やんちゃで、活発。周りによく気を配り、大好きなケーキやラーメンも「ママの分は?」と〝半分こ〟してくれる優しい子だった。
「あのね、今日学校でね」。いつも楽しそうに報告してくれていた。それが小学6年生の5月ごろから学校での出来事を話さなくなった。
小6になって異変
何があったのか。
優人さんの死後、両親の求めで、熊本市は第三者委員会を設置し、22年10月に報告書をまとめた。
それによると、優人さんが小学6年になった18年4月、ある教諭がクラスの担任に就いた。
その教諭は以前から、児童の頭をたたいたり、胸ぐらをつかんだりする体罰や不適切な指導を日常的に繰り返していた。強い口調で指導された後、教諭がそばにいるだけで泣き出したり、過呼吸になったりする児童もいた。
6年のクラス担任に就いて早々、教諭はある児童の胸ぐらをつかんで引っ張る体罰を加えた。保護者からの被害届を受け、警察が調べる事態になった。
だが、学校は担任を替えなかった。児童は登校が困難になり、その後、転校した。優人さんの友人だった。
要因に「不適切な指導」
「次は誰がターゲットになるんだろう」
母親によると、優人さんはそう口にしていた。
優人さんは小学6年の夏休みごろから、円形脱毛症や睡眠障害、食欲低下などの不調をきたすようになった。
忘れ物をして教諭から怒られないようにと、ランドセルがぱんぱんになるほど多くの教科書やノートを詰めて学校に行った。
大笑いしながら読んでいた大好きな漫画も、買わなくなった。
市の第三者委員会の報告書は、優人さんが自殺に至った要因をこう結論づける。
「徐々に重症化した抑うつ状態が一因と考えられる。担任教諭の不適切な指導が、抑うつ状態の発症や増悪に強く影響した蓋然性(がいぜんせい=可能性)が高いと言える」
母親の悔い
優人さんが中学生になって迎えた13歳の誕生日。毎年楽しみにしていたプレゼントを、その年は欲しがらなかった。
「おかしいな」
そう感じることはあっても、母親はその理由まで、深く尋ねることはなかった。「思春期だから」という思いもあった。
「死を意識するまで追い詰められているとは思ってもいなかった。息子の気持ちを分かってあげられなかったことは、悔やんでも悔やみきれない」と涙を流す。
「バカ」「クズ」人格否定の暴言
市教育委員会が20年3月にまとめた調査結果では、14~18年度の5年間で、この教諭による体罰や暴言、不適切な指導などは40件に上った。
影響は直接、指導を受けた児童だけにとどまらない。市の第三者委員会の報告書は「多くの子どもに心身の不調や行動面での影響を見ることができる」と指摘する。
小学6年のときに優人さんと同じクラスだった男性(16)もその一人だ。この担任教諭による暴言や体罰を、5年たった今も鮮明に覚えている。
「教諭の機嫌次第で標的になる子が変わり、『バカ』や『クズ』、『つまらない』など、人格否定とも言えるような暴言が日常茶飯事だった」
教諭の機嫌をとるため、この男性も多くのクラスメートも、教諭の肩をもんだり、褒めたりして「良い児童」を演じた。
「学校が嫌で、毎日感情を押し殺しながら通っていた」
友人もPTSDに
男性自身も小学4年のとき、授業後に一人だけ教室に残されて教諭から指導を受けた。腹部を蹴られ、胸部を壁に押しつけられたという。
優人さんとは週に何度も遊ぶほど仲が良く、男性は「親友だった」と振り返る。優人さんの死に強いショックを受け、亡くなって数カ月間の出来事は、記憶から抜け落ちてしまっている。
男性は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、今も毎月、病院に通う。街中で教諭に似た人を見ると身構え、薬を服用しないと当時のことを夢に見る。
学校や教育委員会に対する不信感は今も消えない。
「教諭の行為について校長も教頭も市教委も知っていたはずなのに、何も変わらなかった。得るはずだった楽しい思い出も全部奪われ、普通の心を失ってしまった」
「誰もが、あの環境にいたら、耐えきれなくなっておかしくない状況だった」。悔しさをにじませる。
「指導死」という言葉が生まれるまで
教職員の不適切な指導がきっかけで子どもが命を絶ってしまうことは、「指導死」と呼ばれる。
この言葉を使い始めたのは、00年に中学2年だった次男の陵平さん(当時13歳)を亡くした大貫隆志さん(66)=東京都=だ。
陵平さんは校内でお菓子を食べたことについて教諭から叱(しか)られ、その翌日に反省文と遺書を残して自殺した。
大貫さんはその後、子どもを亡くした遺族と出会うなかで、教職員の指導がきっかけで児童・生徒が自殺する事案が全国で起きていることを知った。
この問題をより広く社会に訴えようと、07年から「指導死」という言葉を使い、現在は、遺族らでつくる「指導死 親の会」の共同代表を務める。
「教員の一言は重たい」
大貫さんによると、平成元(1989)年以降に起きた指導死事案は、少なくとも108件(自殺未遂15件も含む)に上る。
そのうち、教職員からの暴力があったとされたのは11件で、約9割は有形の暴力が確認されていない。
「教員の一言というのは子どもにとってものすごく重たいもので、何気ない、たった一言が子どもを強く勇気づけたり傷つけたりする。一見何の問題もない指導ですら、子どもを死に追い込んでしまうことがある」と大貫さんは話す。
体罰や暴言の正当化、見過ごし
なぜ指導死が相次ぐのか。
大貫さんはその背景の一端をこう指摘する。
児童・生徒に暴力を振るったり、高圧的な指導をしたりする教員がいても、学校の管理職や教育委員会が適切に指導・監督できていない。
教員が指導する部活動などで優秀な成績を収めている場合、体罰や暴言が正当化されたり、見過ごされたりする。
実際、優人さんの担任教諭が指導していた部活動では、教諭が顧問になってから大会で優勝するほどレベルが向上した。授業もわかりやすく、面白かったとされ、「指導熱心な先生」と評価する声もあった。
両親に伝えられなかったノートの文字
優人さんの死から4年以上たつ今も、母親の心には、たくさんの「なぜ」が浮かび、胸がうずく。
一つは、優人さんが、亡くなる約1カ月前にノートに書いていた文字のことだ。
小学校卒業を間近に控えた19年3月、優人さんはノートに「死」「絶望」「呪」などと書き込んでいた。担任とは別の教員が見つけて校長に報告したが、校長や教頭は両親に伝えなかった。
両親がそのことを知ったのは、優人さんが亡くなった後だ。
「もしノートのことを教えてもらってさえいれば……もっと違ったと思う」
母親はそう言って、声を詰まらせる。
この教諭が6年生の担任になった経緯もだ。
教諭はこの小学校に赴任した14年度に5年生、翌15年度に3年生の担任を務めたが、その後2年間はクラスの担任にはついていなかった。この間も児童への体罰や不適切な指導は繰り返され、保護者とのトラブルも相次いでいた。
校長、教頭の懲戒処分は「軽い」
そんな教諭をなぜ担任にしたのか。
優人さんの両親は、熊本市の第三者委の報告書が出た後、市教委に再調査を求めた。
当時の校長は市教委の聞き取りに、「6年の担任を希望したのがこの教諭のみだった」ことなどを理由に挙げた。
母親は「管理職も含めて、教諭に反対できない雰囲気があったんじゃないか」と話す。
市教委は22年12月、優人さんがノートに「死」などと書き込んでいたことを両親に伝えなかったなどとして、当時の校長を減給10分の1(2カ月)、当時の教頭を停職14日の懲戒処分とした。
だが、母親には「処分の内容があまりに軽い」という思いが拭えない。
「管理職は唯一、教諭の行為を止め、担任から外すことができる立場だったのに対策を講じなかった。責任はとても重い」
始まった実態調査
全国で「指導死」はどれくらい起きているのか。
公的な統計はなく、文部科学省は22年度から実態調査に乗り出した。
文科省が毎年度、実施している、小中高校生の暴力行為やいじめ、不登校、自殺などについての全国調査(「問題行動・不登校調査」)。
自殺した児童・生徒の状況を尋ねる設問への回答には、これまで「家庭不和」「友人関係での悩み(いじめを除く)」など13の選択肢があったが、22年度調査から「教職員による体罰、不適切指導」という選択肢を加えた。
結果は23年10月ごろに公表する見通しで、文科省の担当者は調査に乗り出した背景を「自治体の教育委員会や、指導死で子どもを亡くした遺族らから要望があった」と明かす。
文科省は、22年12月に改定した教員向けの手引書「生徒指導提要」にも不適切な指導の具体例を初めて記載した。
国の取り組みは、ようやくスタートラインに立ったばかりだ。
指導死を防ぐためには
「指導死 親の会」の共同代表を務める大貫さんは、指導死をなくすためには、▽教員による指導を「見える」化する▽不適切な指導をする教員を児童・生徒から引き離す仕組みをつくる――ことなどが必要だと訴える。
そのためには、指導現場の録音・録画や、不適切な指導を目撃した教員らが学校や教育委員会から独立した第三者機関に通報できるような制度も必要だと説く。
教諭は懲戒免職に不服申し立て
熊本市教委は優人さんが亡くなった後の22年12月、優人さんが小学6年時の担任だった教諭(60)を懲戒免職処分とした。14~18年度に行った体罰や暴言、不適切な指導など計42件が理由となった。
一方、その元教諭は23年2月、処分を不服とし、市人事委員会に審査を請求した。
「懲戒免職になるような不適切な行為は一切なかった。処分の理由となった行為の具体的な内容が知らされず、弁明の機会も与えられなかった」と主張する。
報告書は「受け入れられない」
毎日新聞は4月、代理人弁護士を通じて元教諭に質問を送った。
書面での回答で、元教諭は「生徒が自死した件は本当に心が痛み、担任であった立場として、自分に何かできたことはないのか、と今でも考えない日はない」とした。
市の第三者委が公表した報告書の結論については「到底受け入れることはできない」とした。
止まったままの時間
「人を助けるロボットを作りたい」
小学6年時の授業参観で、優人さんは将来の夢をそう語っていた。
母親が夢について聞いたのは、その時が最初で最後になった。
「優しい息子らしい夢だなと思った。その夢がかなうといいな、そのために親としてできることがあればしてあげたいと思った」と語る。
優人さんが中学校に入学するとき、きっと背が伸びるだろうと思って、少し大きめに制服を作った。母親の中では、そのときから時間が止まっている。
生きていれば、今は高校生になっていたはず。
その姿をうまく想像することはできないが、母親は思う。
「いつもたくさんの友達に囲まれていたから、きっと高校生になっても周りにはたくさん友達がいたんだろうな」
子どもの死から、どれだけ時間がたとうとも、悲しみは消えない。
「教員の不適切な指導を、決して見過ごさないで」
(毎日新聞西部報道部・栗栖由喜)
※この記事は、毎日新聞による LINE NEWS向け特別企画です。
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