中国人に食い物にされ、死んだ街…再生に乗り出したのも中国人?「まただますのか」の批判覆した決意
北海道夕張市。かつては炭鉱の街として栄えた。だが、観光都市に転換するための一大投資に失敗。2006年、市財政の破綻が判明した。会社でいえば「倒産」だ。
シンボルだったスキー場は中国企業が買収。さらに転売先の香港企業が〝計画破産〟し、街は荒れ果てた。
再建を託されたのが、在日中国人の企業家、鄭剣豪(てい・けんごう)さん(58)。周囲の反対を押し切り、2年前に移住した。
しかし、待っていたのは冷たい視線。「中国人なんて信用できるか!」。そうののしられた。
つらい日々を支えたのは、22歳で初来日して以来、助けてくれた日本人への感謝の気持ち。奮闘ぶりは徐々に市民にも伝わった。スキー場を再建し、街も再生したい。
財政難に人口減。夕張市の問題は、全国どこの地方にもある。「ここをモデルに、日本全体を元気にしたい」。その思いは実を結ぶのだろうか。
政治家になりたかった青年、「挑戦」のため日本へ
まだ故郷の中国にいた学生時代、北京の大学で日本語を専攻していた。本当は別の大学で国際関係を勉強したかった。
「『日本語学科希望』と書いた記憶すらない」。日本語の勉強より、政治活動に熱中した。中国で政治家になりたかった。
日本行きの話は、思いがけないところからやってきた。きっかけはアルバイト。チベット自治区に来た日本の学術調査団に同行した。
そこで知り合った神戸大学の教員に留学を勧められた。迷ったが、常に信条としてきたのは「挑戦」。「日本が合わなければ帰ってくればいいだけだ」
1987年9月、上海から神戸港へ向かうフェリーに飛び乗った。2泊3日。初めての海外への旅だった。船酔いで苦しんだ末にたどり着いた神戸の街並みが輝いて見えた。
立ちふさがった「一人っ子政策」
そこからの5年間は瞬く間に過ぎた。神戸大大学院法学科の修士課程を修了。あまたの日本人の友人もできた。
「神戸で過ごした日々に十分価値があった」。そうかみしめた。博士課程を中退し1992年、帰国した。
故郷の浙江省寧波市に、日本製機械の輸入販売をする会社を設立した。事業は順調に拡大し、このまま中国に骨をうずめようと考えた。
だが、そこに壁が立ちふさがった。「一人っ子政策」だ。
中国では当時、政府が「1夫婦に1人しか子供を生むことを認めない」といういびつな政策があった。資源不足などへの対策として人口急増を抑制する目的だ。
鄭さん夫婦には既に長男がいたが、2000年に妻が次男を妊娠した。地元当局者は厳格な政策順守を求め、連絡してくる。
「流産させろ」。妻が人工妊娠中絶手術を強制的に受けさせられそうになり、決断した。「日本で産むしかない」
順風満帆、そこへ「夕張再生を」
窮地に陥った鄭さん夫妻を救ったのは、神戸で培った人脈だった。
知人の会社が妻を雇用し、就労ビザが発給された。妻は妊娠4カ月で来日。翌年の出産直前には鄭さんが短期出張ビザで後を追い、次男は無事に産まれた。
ただ、このままではいずれ中国に戻らなければならない。日本に長期滞在できるビザを取得するため、妻を社長に据えた会社「剣豪集団」を設立した。「次男を産むために生まれた会社」。会長に就任した鄭さんはそう笑う。
仕事は日本企業向けに中国から機械製品の部材を調達すること。この頃、日中間の貿易は急拡大し、会社は思ってもみなかった急激な成長を遂げた。
2013年には家庭用品大手プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)の神戸市にある31階建ての本社ビルを買収し、企業の合併・買収(M&A)による事業再生も次々に手がけた。
「剣豪集団」は総合コンサルティング会社に変貌を遂げ、順風満帆だった。そんな時に知人から持ち込まれたのが、財政破綻した北海道夕張市の再生だ。
活況ははるか昔、今や「倒産」自治体
夕張市にはかつて、「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭を採掘する巨大な炭鉱が幾つもあった。炭鉱景気に沸いた1960年の人口は約12万人。地元の男性は当時の活況を懐かしむ。
「毎晩、炭鉱労働者たちが現金を握りしめて飲み屋に押しかけてきた。売り上げが多すぎて、真っ黒のゴミ袋に現金をぶち込んで、足でギューギュー踏みつけてたよ。そんな袋が家の中にごろごろ転がってた」
しかし、1980年代に炭鉱は次々に閉鎖。石油へのエネルギーシフトと安い輸入炭に押され、相次ぐ炭鉱事故がとどめの一撃となった。そこで考え出されたスローガンが「炭鉱から観光へ」。石炭産業から観光業への転換だ。
夕張市は観光ホテルやスキー場、温泉施設、蒸気機関車(SL)を展示したテーマパークなどの建設に巨額を投資した。それが裏目に出て財政が悪化。不適切な赤字隠しも発覚した。
夕張市は2007年、民間企業の「倒産」に当たる財政再建団体となり、2010年には自主再建が困難とされる「財政再生団体」に移行した。
これまでに再生団体となったのは全国で夕張市だけだ。現在の人口は7千人にも満たない。
豊かな自然に囲まれた街のあちこちに廃屋が並び、中心部の商店の多くがシャッターを上げることはない。
高齢化率は全国の市で最も高い。市民税や下水使用料の値上げ、人口減に伴う小中学校の統廃合もある。
日本各地の自治体が将来抱えそうな問題を全て〝先取り〟。「10年後の日本の縮図」と呼ばれる。
観光地化もうまくいかず「第2の破綻」
財政破綻からの再生を目指していた夕張市を、2020年末、激震が襲う。街の顔だったスキー場「マウントレースイ」が閉鎖された。
市長の厚谷司さん(58)は翌年の正月の光景に目を疑った。三が日はいつもであれば最大のかき入れ時。にもかかわらず、スキー場へ向かう道から車が消えていた。
街にあふれていた観光客がいない。「あの光景を見た時、本当に危機感を感じた」。夕張市が直面した「第2の破綻」だった。
スキー場近くで飲食店を営む小山哲功さん(60)はこう振り返る。「客は1日に10人も来なかった。売り上げもなく、正直死んでいた」
絶望的な雰囲気が漂う街で、鄭さんに託されたのが「マウントレースイ」の再生だった。ただ、これまで手がけてきた企業のM&Aによる「事業再生」と、「自治体再生」は全く別物だ。
周囲は全員が反対。それでも鄭さんの決意は揺らがない。胸に秘めていたのは、日本行きを決めた時と同じ「挑戦」だ。
2021年7月、家族を神戸に残して単身で夕張市に乗り込んだ。しかし、待ち受けていたのは中国人への不信感を募らせた市民の冷たい視線だった。
中国人に「食い物にされた」街で
実は、夕張市が所有していたスキー場「マウントレースイ」は、2017年に中国人が経営する企業によって買収された。
この企業は、2019年には香港系投資会社にスキー場を転売。これによって10億円近い利益を中国人企業が得たと噂され、市民からは「安く買い叩かれた」と強い批判が出ていた。
さらに、買い取った香港系投資会社は2020年末に破産を表明。閉鎖されたホテルに食材や灯油などを納入していた地元業者らの債権が焦げ付き、多数の従業員が解雇された。
その上で、この会社は翌2021年に新たな運営会社を設立。スキー場の所有権を握ったまま、債務を踏み倒すための破産だったと考えた市民は多かった。街はさらに苦しめられた。
その新たな運営会社の社長として、請われてやってきたのが鄭さんだった。
夕張とは全く縁もゆかりもない中国人が、今さら「スキー場再開」をうたう。夕張市民が不審の目を向けるのも自然だ。
住民は「はっきり言って、また中国人がだましに来たと思った」。市長の厚谷さんも「正直、最初は半信半疑だった。中国や香港の人に対して信用できないという市民もけっこういた」。
「本気の姿勢」がやがて全幅の信頼に
逆風の中にいた鄭さんが、夕張でまず始めたのが住宅探しだ。
市民の1人として、「腰かけ」でなく本気で再生に取り組む姿勢を見せた。古民家を借り上げて事務所兼自宅にし、友人をたくさんつくり、家に招いた。
スキー場を解雇された多数の元従業員を再雇用し、スキー場関連の支払いは現金決済を基本に。債務を帳消しにされた地元業者からの信用を得ることができた。
2021年12月、スキー場の再開にこぎ着け、2022年3月までの営業期間中に約3万人の客を呼び込んだ。
以前は約5万人の利用客がいたが、再開当時はコロナ禍だったことを考えれば、1年目としては大成功だ。
「鄭さんに見放されたら、もう終わってしまう」。飲食店の売り上げが急回復した小山さんも、全幅の信頼を寄せるようになった。
鄭さんの動きは速い。2022年4月には運営会社に辞表を提出し、社長を日本人に引き継いだ。
次の手は宿泊施設の建設。夕張再生に向けて、さらなる集客を目指して計画中だ。
「中国でも夕張メロンは知名度が高いし、北海道でのスキーに憧れる中国人も多い。まだまだ観光資源を生かし切れていない」。アイディアがあふれ出てくる。
逆風下であえて言う「日本と中国が組めば…」
街を再生させるため、冬のスキーだけでなく夏のアクティビティーを考案し、通年型のリゾートにすることも考えている。
かつては炭鉱住宅だった建物を活用し、日本語学校、ギャラリーとアトリエなどにして、海外の留学生や若い芸術家らに安く貸し出す。既に40室のアパート運営も開始。夕張に短期や定住の人口も増やす取り組みだ。
傍らには常に「夕張再生日記帳」が置いてある。中をのぞかせてもらうと、離れて暮らす妻への手紙の形で、夕張に来た初日から毎日、再生への熱い思いが書き綴られている。
鄭さんと一緒に夕張市内の公園を訪れた。日本を代表する名作映画「幸福の黄色いハンカチ」を記念してロケ地跡につくられた場所だ。
風にはためく無数の黄色いハンカチを前に立った鄭さんは、胸に去来する思いをこう語り出した。
「私の人生から日本を取ればゼロ」
永遠の隣国であり、祖国でもある中国から、今後も多くの観光客と資本を呼び込む。夕張の再生を日本全国の地方自治体再生モデルにする。
それによって日本全体に再び活力を取り戻させたい。日本への恩返しの気持ちだ。
日中関係は沖縄県・尖閣諸島の領有権や東京電力福島第1原発の処理水海洋放出などを巡り、対立が続く。だが、そんな時だからこそ訴えたい。
「日本と中国が組めば、世界最強タッグだ」
(共同通信中国総局長 芹田晋一郎、撮影 矢辺拓郎)
※この記事は、共同通信によるLINE NEWS向け特別企画です。