稼ぎ頭は謎のアイコン?~異才をイカすベンチャー・ミライジンラボが描く未来
「よぉ作ったな、こんなん!」
かつて大企業で「エース」と呼ばれたデータサイエンティスト・小林宏樹さんが思わず叫びました。
パソコンに映し出された分析結果は、企業に発注すれば数百万円はかかるというもの。
無料のアプリケーションを駆使して新たなソフトウエアを作り上げたのは、たった1人の“自称”引きこもりプログラマーでした。
「あった方がいいやろと思って」
さらりと答えるその声は、小さな丸いアイコンだけが表示された、暗いパソコン画面から聞こえてきます。
同僚でさえ顔を見たことがない謎の天才技術者です。
「ミライジンラボ」は、社会で普通に働くのは苦手な、でもキラリと光る才能を秘めたエンジニアばかりが働くデータ分析会社です。
能力は高いのに、特性のせいで「普通の会社員」として働くことが難しい。そんな人たちが輝ける働き方があるはずだー。
小林さんが目指す未来の社会のあり方、そして働き方を追いました。
顔も見えない稼ぎ頭
大阪・箕面市の「ミライジンラボ」は、高いプログラミング技術をもつエンジニアが、時間や場所に縛られず自由に働くIT企業です。
8人の社員それぞれが100の力をできる限り発揮できる環境作りを目指しています。
稼ぎ頭のトップエンジニア、林くんは、若者の就活支援を行うNPOの紹介で小林さんと出会いました。大学を出てから10年間引きこもりだったと言います。
オンラインで話す林くん(2019年放送番組より)
林くん
「朝起きて準備して、満員電車乗って行くってすごく大変でしょ。人間関係でも仕事でも。当たり前のことにしているけど、どう考えても無駄なこと多いじゃないですか。そういうものから解放されたいって感じですね。」
十人力が働けない世界は“異常”
小林さん
「林くんが活躍してない世界は、絶対異常やと思いました。ほんまの十人力やっていう存在なのに、働けないんですから」
林くんについて語る小林さん
「自分より林くんの方が10倍すごい開発をするのに、10年引きこもって働けない。ならば自分は引退して林くんに開発の仕事を渡した方がすごいことができる。」
データサイエンティストならではの分析が、小林さんの思いを決断に変えます。
会社員時代、小林さんは新しいビジネスモデルを思い描き、起業家コンペに参加します。高い能力をもちながら今の社会では働きづらい「ミライジン」が活躍できる事業プランを世に問うためです。
そのビジネスモデルはコンペで高い評価を得ましたが、まだ事業化されていなかったために惜しくも優勝を逃します。
小林さんは林くんが活躍できる場を本気で作るために会社を辞め、「株式会社ミライジンラボ」を設立。退路を断ったのです。
退社する日、小林さんは共に働いてきた同僚たちに秘めた思いを伝えました。
小林さん
「自分が皆さんといる場所は、楽しくて活気ある『芝生の生えたいい場所』。断絶された世界があるというのが驚きやったんです。実は僕はそっちの、断絶された世界にいたかもしれないんです。」
小林さん自身、仕事では凄まじい分析力を誇る一方、規則に窮屈さを感じたり人間関係や生活面の慣習を強いられることにストレスを感じやすく、普通の会社生活に馴染めない自分が嫌いでした。
でも、「ミライジンラボ」を立ち上げ、そんな自分を笑えるようになったと言います。
一方、自称“引きこもり10年“の孤高の天才、林くん。ルールや慣習に縛られた現代社会に入っていく気は毛頭ないまま、目まぐるしく変わるITの世界を極めていきました。
小林さんと話し、実社会でのITの使われ方に面白さを感じます。
仕事をした経験はないはずが、すぐに超人的な能力と活躍を見せ、小林さんを圧倒しました。
ミライジンラボが目指す『もう1つの世界』
「ミライジンラボ」での対外交渉は全て小林さんが行います。やっているのは、業務改革をしたい企業からデータ分析やシステム開発などの仕事を請け負うことです。
仕事を振り分ける先は、IT分野で突出した能力を持ちながら、訳あって社会から離れてしまったミライジンたち。
彼らは時間や場所に縛られない環境で開発を行い、その対価を受け取ります。
それは縦の関係ではなく、チームとしてそれぞれが得意分野を担う横の関係です。
林くんは年に数回、小林さんに頼まれた時だけ社外の打ち合わせに参加します。会話は全て小林さんが引き取り、取引先と直接話すことはありません。
起業したのはコロナ以前の2019年。リモートワークも今ほどは普及しておらず、通勤しない社会人の働きにくさは相当なものでした。
小林さん
「2019年の時点では能力があっても通勤しにくい、細かい状態で働けないというのがあるんですけど。多分100年後に見たら、今いるミライジンで能力の高い人は一流の人として活躍するんちゃうかな。」
小林さんは従来の企業社会とは正反対の「もう1つの世界」を目指しました。
京大卒でも…能力が高いほどつらい
京都大学の村田淳准教授も、一昔前には考えられなかった学生の就職問題に頭を悩ませていました。
村田准教授
「5年前10年前に京大を卒業していた人たちが、その当時就職は決まっていたんだけれども、3ヶ月位で仕事を追われ、いわゆる“社会的引きこもり”になっている。そういう子ほど母校の指導教員にもう一度相談することが苦手な場合が多いと思う」
村田准教授
「なので、先生からすると『どこかで働いているはずなのに…』みたいなことが少なくないんじゃないかと思います。」
能力が高いほど、『普通はできるはずのことができない』というギャップに、苦しめられることになるのです。
彷徨える異才を社会へ~編み出した“秘策”
「ミライジンラボ」の2階には一時期、大阪大学出身の藤原くんが居候していました。
小学4年生の時父親のパソコンを触り始め、プログラミングを独学。大阪大学大学院に進み情報システム工学を研究。日本ではあまり紹介されていなかったプログラムの解説本を出版します。
ただ人間関係に躓いたことで研究室を離れることに…。
凄まじい技術力故に『やれるはずだ』という思いと、度々訪れる気持ちの浮き沈みのギャップに悩んでいました。
そんな中、藤原くんは新たなビジネスモデルを思い描いて起業家コンペに応募。そこで小林さんと出会います。
ある日、小林さんは、藤原くんに尋ねました。
小林さん
「技術書を出版する方が他にやれる人が少なくて、藤原くんの優れた能力は発揮されると思う。でもそれは普通に働いて得られる安定した収入を諦めることでもある。どっちを選びたい?」
藤原くん
「…普通に働きたいです」
藤原くんが過去にうつの診断を受けたことを知った小林さんは、以前厚労省に提案し認定を受けた実証実験の枠の中でミライジンラボと連携する秘策を編み出します。
それは、企業がITスキルの高い障がい者を雇用し、すぐにミライジンラボに出向させるというもの。
職業能力開発という目的で特例として、企業に在籍したまま出向することが認められました。
まずミライジンラボで働けるコンディションを整え、その後、企業に必要なIT人材となることを目指します。
当時、藤原くんには『関東にいる彼女と暮らす』という夢がありました。そのためにはまず、お金を貯めることが必要です。
実証実験で求められる普通のIT業務は、必ずしも藤原くんがやりたかった仕事ではありませんでした。
それでも藤原くんは実証実験に参加し、普通に生きることを選択します。
就職先で特性を知ってもらうため、発達障害の診断を受け、以前は避けていた障がい者手帳も取得しました。
藤原くん
「(障がい者手帳は)ずいぶん前から多分取れてたんだと思うんですけど、なんとなく取ろうと思わなくて。妙にプライドが高かったし、自分の中で達成しないといけないレベルが結構高かったんです。自分の中にブラック上司がいるというか。」
赤裸々に語ってくれた藤原くん
近年、京都大学や大阪大学を始め全国の大学で「発達障害」の学生が増え続けています。
発達障害についてはその特性を自覚して診断を受け手帳を取得すれば、支援を得られる体制も整いつつあります。
しかし本人が特性に否定的である場合、支援に辿り着けないまま、大学からも社会からも、遠ざかるケースも少なくはありません。藤原くんもその1人だったのかもしれません。
初出社の日。
仕事の優先順位づけが苦手なことなどを小林さんが藤原くんに代わり説明します。
小林さんのフォローにほっとした様子の藤原くん。
藤原くん
「自分の特性を説明するのは難しいんですけど、小林さんは自分を説明する第三者になってくれました。だから自分を世界に開けるようになったんです。」
“普通に”生きる~藤原くんの今
しかし、それから1年後。
新型コロナの収束が見えない中、勤務の多くをリモートワークでこなしていた藤原くんは、退職を決意します。
『ミライジンとして、大阪で能力を生かす方法を探る』のか、『彼女のいる関東で職を探す』のか…。
迷った末に関東行きを決めました。
最終出勤日。
藤原くん
「本日をもって退職します。短い間でしたがありがとうございました。」
企業担当者
「1年間ご苦労様でした。本当はもうちょっと活躍していただきたかったんですけどね。」
人事担当者
「でも不安そうだった入社当初とは全然顔つきが違うよね。」
藤原くんは、翌月には大阪を離れ、半年後に関東で就職。今も同じ会社で働き続け、2年になります。
関東に来てからは変わらないという藤原くん。彼女と過ごすことも多く、”普通に“働くことも慣れたと言います。
藤原くん
「でもミライジンに入った時と出た時では、だいぶ違うんですよね。」
それはありのままの自分を受け入れられるようになったことでした。
藤原くん
「それまでは鏡に映っている自分はこんなはずじゃないという否定から始まっていたりしたんですけど、今はもっさりしていたり、ぼさぼさだったりするのも含めて、ああなるほど、という見方ができるって感じ。」
関東で穏やかに働いている藤原くん。その近況を小林さんに伝えると、「でもなんかもったいないんですよね」と苦笑いします。
小林さん
「藤原くんは100の力があったけど、実証実験では1の力しか発揮できなかった。できなかったというか、その前から『1の方で行きます』という選択をして…。」
小林さん
「でも1の方が需要は多いし、お金になるのも早い。周りが就職していくと、100人に1人しかできないことをやっているのに、100人中の98人できることができないから『劣っている』と錯覚するんですよ。」
周りと違っても尖り続け、誇り高く生きることはあまりに難しい。だから普通の道を選択しがちな現代社会です。
それでも困難な道で花開く奇跡を小林さんは信じているようでした。
プラスもマイナスもあったから
設立からまもなく5年。売り上げは3倍以上に成長し、2年先まで仕事が埋まっているという「ミライジンラボ」。
小林さん
「僕が普通の経営者だったら、どんどん人材を発掘して会社を大きくすると思うんですけど、そうやって忙しくしてしまうと、自分らしく生きる自由度が奪われるのが嫌なんです。でもやりたいことは変わらないから別の方法でなら。」
小林さんの口から飛び出したのは「IT業界版Uber Eats」という言葉でした。
社員として雇うというよりは、「こんな仕事あるよ」とピンポイントで仕事を配っていく、クラウドソーシングのイメージだと言います。
でもまずは、今いる8人のメンバーを大切に、自由な発想で開発を進めたいという小林さん。
小林さん
「自分という人間を初めて受け入れられたのが、林くんが活躍した瞬間なんです。自分みたいに悶々としていた人を活躍させられた。駄目だった自分だからこそできた仕事やったから、それがすごく嬉しかったんですよ。」
大企業を辞めてミライジンラボを立ち上げた小林さんを突き動かしたものが何だったのか、やっとわかった気がしました。
小林さん
「前にいた会社でも、新卒から過ごせてはいたんですけど、自分のことは自分で駄目という評価をしている状態。そこにもっとやばいヤツ(林くん)が現れて、自分がいいと思っていた部分は自分よりもっといい、苦手なことはもっと苦手っていう存在。それを自分の何倍も活躍させることができた。」
小林さん
「長年マイナスだと引きずっていた性質も、プラスとして認めていた能力も、両方ないと林くんを生かすことはできなかった。だから自分は今まで引きずっていたのかと、その理由までわかってた気がして。」
そう語る小林さん、
大企業でエースと呼ばれたデータサイエンティストです。
小林さん
「この世界でそれなりに頑張ってきたつもりですが、でも僕はミライジンの世界では下の方。林くんとの果てしない実力差を感じて、開発者を引退しました。もし彼と出会わなかったらありえなかったことです。でもだからこそ、2つの世界の橋渡しができたのかな。」
円を描き、2つの世界の交わりを楽しそうに解説する小林さん。
好きを極め、尖った才能を磨き続けた人が生きづらい現代社会を、もし“未来”から見つめ直したら?
この生きづらさは個人に帰する「障害」ではなく、“現代社会”が抱えたパラドクスに見えるかもしれません。
その矛盾に気付いたことが「ミライジンラボ」を始めたきっかけかもと小林さんは話します。そして彼らを活躍させられる自分に今もワクワクすると言います。
ミライジンが照らす「未来」
前回の取材から5年。
“アイコン”の存在だと思っていた林くんに、改めてオンラインでのインタビューを申し込みました。
アイコンが出てくるものと思い込んで「参加」をクリックすると、画面に表示されたのは笑顔の林くんです。
「小林さんと出会う前と後で何か変わりました?」と尋ねると
林くん
「うーん。。。立場ですかね?」
引きこもりを自称していた林くんは確かに「ミライジンラボ」でCTOという立場になりました。でもそういうこと?
気持ちの面での変化を問うと…
林くん
「対人不安や緊張感がなくなりましたね。」
「面倒だから」と、人に会うのも家を出るのも面白くなかった林くん。でも小林さんと出会った時は、初対面にもかかわらずなぜか話題が尽きなかったと言うのです。
最近買ったものを聞いてみると、「何もない。欲しいものも何もないし」。
事業規模を拡大せずに自由度を残したいという小林さんの方針にも、もし収入を下げる場面が来たとしても、賛成だと言います。
ただ新たな知識を得て、自分を成長させられるのは楽しいとも話すのです。
現代社会でありがちな物欲もお金への欲もなく、純粋に知ることの楽しさを突き詰めたいという言葉には、なぜか子供時代の感覚を思い出しました。
一方、コロナ禍でリモートワーク中心の社会になりかけたのに、結局元に戻りつつある社会の動きには残念そうでした。
さらに100年先の未来について聞くと、「100年先のことはわからないけど、2040年以降くらいだったら」と林くん。
人口減少社会の日本では、AIの応用力で少人数でも労働生産性を上げる可能性がある。元々応用は日本の得意分野、そこへの抵抗感は他国より低いんじゃないかと答えるのです。
林くん
「本当に追い込まれないとやらないだろうけどね。」
林くんのような存在を本気で必要とする時代が来るかもしれない。
今は奇跡のビジネスが「当たり前」となる未来が垣間見えた気がしました。
※当記事は、関西テレビニュースによるLINE NEWS向け特別企画です。