2月24日、前立腺がんで20日に亡くなった西郷輝彦さん(享年75)の告別式が行われた。喪主を務めた19歳年下の夫人をはじめ三女の女優・今川宇宙(25)ら家族も参列。代表曲『星のフラメンコ』が流れ故人を悼むなか、前妻・辺見マリ(71)との娘・辺見えみり(45)の姿があった。
出棺を終え、斎場から出てきたえみり。足早にその場を立ち去りつつも、取材陣に何度も会釈していた。その大きな瞳は、泣きはらした後のように赤くなっていた。
「西郷さんは'72年にマリさんと結婚。そして翌年10月に長男が生まれ、'76年12月にえみりさんが誕生しました。しかし'81年、性格の不一致を理由に離婚しました」(芸能関係者)
西郷さんが亡くなる前日、えみりは兄と共に西郷さんのもとを訪れていた。彼女はインスタで、
《言葉を交わすことは出来ませんでしたが、私と兄の言葉を聞いて大きく頷いたり、手で小さく拍手したり。最後の力を振り絞って会話してくれたんだと思います》
と回想している。最期の対面を果たした父と娘。しかし、えみりの胸にはさまざまな思いが去来していたに違いない。
「西郷さんとマリさんが離婚したのは、えみりさんが4歳のときのこと。マリさんは子供2人を一人で育てることとなり、さらにご両親とも同居していたので、家族5人の生活を一気に引き受けることになりました。えみりさんが16歳で芸能界デビューを果たしたのも、『私も稼いで、少しでもお母さんを楽にしてあげなきゃ……』と考えたためだといいます」(えみりの知人)
いっぽう西郷さんは'90年に再婚。3人の女の子を授かった。シングルマザーとして奮闘する母に対して、新たな家族とともに新生活を送ることとなった父。思春期のえみりは複雑な感情を抱くことになったという。
「幼少期のえみりさんには西郷さんの記憶がほとんどありません。マリさんが西郷さんへの愚痴をこぼすたびに『なぜ、私たちを置いて出ていってしまったのか』と、怒りを募らせていたといいます。えみりさんは『一生許さない』と強い反発心を抱くこともあったといい、実は40代になるまで、西郷さんとは“共演NG”だったんです」(前出・知人)
しかし、大人になるにつれ、えみりの中にあったわだかまりは徐々に氷解していったようだ。
「年を重ねるにつれ、両親の性格や立場がよく見えるようになっていったそうです。一時は一方的に『お父さんが悪い』と決めつけていた自分に気づき、西郷さんに対する見方も変わったといいます。20代半ばからは西郷さんとも連絡をとるようになったといいます」(前出・知人)
■「最期のときまでに家族の思い出を――」
えみりは'06年1月、29歳でタレントの木村祐一(59)と結婚。しかし'08年4月に離婚し、その3年後となる'11年3月に俳優の松田賢二(50)と再婚。ところが挙式の直前に、西郷さんの前立腺がんが発覚した。そのため、えみりは当時、ブログに《一つ残念だったのが、(挙式に)父が参加できなかったことです》と投稿。以降、彼女のブログには西郷さんとの交流がたびたびつづられるようになった。
そしてえみりは'13年1月に第1子妊娠を発表。その2カ月後の本誌のインタビューで、
《父は『はー、ここにいるんだなぁ』なんて言いながらおなかを触ってくるんです》と父娘エピソードも語っている。
「えみりさんは西郷さんの体調のこともあり、次第に『どうにかして、バラバラになった家族を再び結び付けたい』と考えるようになったそうです。さらに『父と母が最期のときを迎えるまでに、家族の思い出を作りたい』とも……。そんななか、西郷さんの今の自宅の近所に、マリさんがたまたま移り住んだそうです。そこで、えみりさんは2人に連絡をとり、離婚後初めて3人で会ったそうです」(前出・知人)
'17年11月、西郷さんは前立腺がんの再発を公表。その際、えみりは出演舞台の会見で西郷さんとのやり取りを明かし、
「すごく元気な声で『心配しないで、大丈夫だから』と。強い気持ちでいるので、私も信じて待っています」
とコメントしていた。
さらに'18年6月には『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で“父娘初共演”が実現している。えみりは番組内で「お互いの思い出のためにも楽しい仕事ができたら」と共演に至った理由を話していた。
「えみりさんは常々、親しい人に『母子家庭で育ったから結婚への憧れが強かった』と話していました。'18年2月には2度目の離婚を経験。父娘初共演はその直後のことです。自らの離婚を通して、改めて“父・西郷輝彦”との関係を見つめ直したのでしょう。ずっと断ってきた父娘共演が、闘病中の西郷さんへの何よりの“親孝行”になるとも考えたようです。これが最初で最後の共演となりました」(テレビ局関係者)
西郷さんは昨年4月、悪化した前立腺がんを治療するため、オーストラリアに渡った。
「現地では総額1千万円以上にもおよぶ、国内では未承認の最先端治療に挑戦しました。
それまで西郷さんは11回もの放射線や抗がん剤治療を受けてきましたが、新たに立ち上げたYouTubeでは『後がないんだ』と弱気な姿も見せていました。そんな父親の力に少しでもなれればと、彼女は定期的に日本からメッセージを送り励ましていたそうです」(前出・テレビ局関係者)
所属事務所によると、西郷さんは現地で3度の治療を受けたのち、昨年9月下旬に帰国。しかし10月、体調を崩して都内の病院に入院していたという。
「昨年11月、えみりさんは友人の加藤紀子夫妻と西郷さんの故郷・鹿児島を訪れています。地元の神社で父の回復祈願もしたようです」(前出・知人)
その願いはかなわず、他界した愛憎の父。えみりは訃報に際し、《この人の血を受け継ぐことができて、そして子供に生まれてきて本当によかったと、心から感謝しました》とインスタに残していた。愛娘の心に“スターの輝き”が消えることは永遠にないだろう。