「きれいなものを見たときは“きれいね”とか、おいしいものを食べたら“おいしかったわね”とか、お腹の赤ちゃんに話しかけるようにしているんです」
‘86年5月、妊娠中の松田聖子(59)は会見でこう語っていた。この“赤ちゃん”こそ、今月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)だ。
聖子は’85年4月に神田正輝(71)と結婚し、‘86年10月に沙也加さんを出産した。冒頭のように沙也加さんは生まれる前からメディアで注目を浴び、“日本一有名な赤ちゃん”として知られることに。そして沙也加さんは成長するにつれ、聖子との“友達母娘ぶり”も報じられていった。
’03年10月、聖子の友人である編集プロダクションの社長は本誌で沙也加さんの幼少期を回想。母娘が「アンパンマンの顔の形にパンを焼いてキャーキャー言っていた」と“仲良しエピソード”を明かしていた。
「沙也加さんは’92年、6歳で聖子さんとクリスマスソングのレコーディングに参加。さらに’00年11月に発売された聖子さんのアルバムにも再び参加しています。当時14歳でした」(スポーツ紙記者)
そして沙也加さんは’01年5月にSAYAKAとして正式デビュー。’02年5月には歌手デビューも果たした。二人の距離はさらに密になり、聖子は’04年7月の『うたばん』(TBS系)で「SAYAKAは親友」と語っていた。
■泣き崩れそうな聖子を支えた沙也加さん
沙也加さんは’05年5月、18歳でSAYAKAとしての活動を休止した。その翌月に行われたコンサートで、聖子は沙也加さんをこう慮っていた。
「わたしも同じ年のころに九州から東京へ歌手になるために出てきました。ですから、私は彼女の意思を尊重して応援していきたいと思います」
その後、沙也加さんは’06年9月に本名の神田沙也加で再デビューし、舞台女優という道を選んだ。’08年7月には「沙也加さんが一人暮らしを始めた」と本誌は報じている。
聖子は’09年3月、『婦人公論』でこう語っている。
「私のほうが彼女から教わったり、助けてもらうことが多いんですよ。若い人の情報を教えてくれたり、洋服を買ってきてくれたり。すごくお世話してもらってます(笑)」
また沙也加さんが、聖子の悲しみに寄り添うこともあった。
’13年5月、聖子にとって“芸能界の父”であるサンミュージックプロダクションの創業者・相澤秀禎さん(享年83)の通夜に聖子は沙也加さんと共に参列。棺に向かって涙ながらに感謝の言葉を述べる聖子の横で、沙也加さんは崩れそうな彼女を支えていた――。
『日刊スポーツ』によると、聖子は沙也加さんの急逝に憔悴しているという。沙也加さんを失ったその思いは、計り知れない。