鶴岡八幡宮(写真:時事通信)
源頼朝が急逝し、13人の御家人の権力闘争を描く新章へ突入したNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。物語の盛り上がりとともに、舞台の中心となる鎌倉には、主人公の北条義時や頼朝などの足跡に触れようと多くの人が訪れている。
「鶴岡八幡宮の境内にある大河ドラマ館には、3月1日の開設以来、月平均で約2万5千人が訪れ、来場者はのべ10万人を突破しました」
そう話すのは、鎌倉市観光課の大河ドラマ担当を務める石川雅之さん。横浜銀行や鎌倉市観光協会などが大河ドラマの県内への経済波及効果を約307億円と試算しているが、実際に鎌倉への観光客は激増しており、「まさに大河ドラマがコロナ禍で落ち込んだ鎌倉の観光に大きく貢献してくれている」と石川さんは声を弾ませる。
さらに、前述の大河ドラマ館では、ドラマの進行に合わせて7月8日から内容を一新。展示される衣装や小道具などが大きく変更された。夏休みを控え、すでに一度訪れた人でも再び訪れたくなるような準備を整えている。一方、6月からは鎌倉市が主要な観光地の混雑状況をインターネット上で確認できる「鎌倉混雑マップ」を提供開始。混雑を回避して分散観光を促すことにも尽力する。
「大河ドラマ館へ来場すると、ドラマに合わせて企画された鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館の『北条氏展』を無料で観覧できる特典も用意されており、ドラマとリンクして楽しめます」(石川さん)
大河ドラマ感動シーンの舞台となった場所は今!? 約800年の時を超えて鎌倉の名残を観光できる、ゆかりの地を見どころとともにご紹介します。
■『鎌倉殿の13人』の感動に浸れる聖地
【北条政子の安産祈り、義時も石を運ぶ】鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
第8回で源頼朝(大泉洋)が鎌倉入り。頼朝がまず手掛けたのは御所の建設とその西に位置する鶴岡八幡宮の建立だった。今も残る約2kmの参道「若宮大路」は妻・北条政子(小池栄子)の安産祈願のため。義時(小栗旬)らも石を運ぶなど築造に携わった。
【流罪人・頼朝かくまう…北条家の運命変えた家】史跡 北条氏邸跡(静岡県伊豆の国市)
義時の生家であり、鎌倉に本拠地を移すまで北条氏が館を構えた地。第1回では、離れ屋に頼朝をかくまい、そこが政子との出会いの場となった。’92〜’93年の発掘調査で建物跡が発見され、現在一部公開されている。
【千鶴丸供養に八重が菩薩像を奉納】最誓寺(静岡県伊東市)
頼朝との子・千鶴丸を失い、自暴自棄になっていたが、義時の一途な愛で心を開いていく八重(新垣結衣 第13回)。そんな八重が千鶴丸を弔うため創建した最誓寺の本堂には、今も彼女が奉納した千鶴丸地蔵菩薩像が安置される。
【衝撃の広常殺害…その血を洗った】梶原太刀洗水(神奈川県鎌倉市)
第15回で謀反人とされた上総広常(佐藤浩市)を斬り殺した梶原景時(中村獅童)。景時がこのとき付いた広常の血をこの湧き水で洗ったとされる。現在はハイキングコースの一角にあり、「鎌倉五名水」の1つとして水をくむ人も。
【敗走する頼朝、天に生かされる】しとどの窟(神奈川県湯河原町)
第6回で石橋山の戦いに敗れ、追っ手から逃れるため洞窟に身を潜めた頼朝。敵方の景時に見つかり、絶体絶命の危機を迎えるもなぜか見逃され、窮地を脱する。その洞窟は現在も残っており、20体余りの石仏が岩窟内に安置され、見学も可能。
【随一の男気見せた義仲が眠る】義仲寺(滋賀県大津市)
都で平家追放の武功を挙げるも、頼朝と源氏の棟梁の座を争い敗走した木曽義仲(青木崇高 第16回)。義仲寺は、無念の死を遂げた義仲を巴御前(秋元才加)が供養した場所に由来。境内の義仲墓の隣には松尾芭蕉の墓も。
【悲運の義経、弁慶とともに散る】高館義経堂(岩手県平泉町)
自らの死を悟った源義経(菅田将暉)が義時に鎌倉攻めについて無邪気に語り別れを告げる感涙のシーン(第20回)。現在、義経が最期を迎えた場所に立つ高館義経堂には、義経の木像が安置。松尾芭蕉が義経や奥州藤原氏を思って「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んだ場所としても知られる。
【政子が頼朝の死後創建した大寺】寿福寺(神奈川県鎌倉市)
頼朝に最期まで寄り添った政子(第26回)が、頼朝の死後、比叡山の僧・栄西を招き、頼朝の父・義朝の旧邸跡に創建。鎌倉の禅宗寺院「鎌倉五山」の一つであり、墓地には政子、実朝の墓が並び、参拝することができる。