居並ぶエリートたちの顔に、緊張の色が浮かぶ――。6月28日、秋篠宮ご夫妻は、皇宮警察永年勤続功労者たちと面会された。皇族方の警護や皇室の施設を警備する皇宮警察。通常であれば長年の功績をたたえられ、出席した職員たちも晴れがましい顔をしているはずなのだが、この日は違っていた。
「6月に『週刊新潮』が、皇宮警察の倫理観の欠如や不祥事について相次いで報じており、皇宮警察は対応に追われていました。
特に、紀子さまに対して“車に乗れば般若の顔”などと一部の職員が誹謗していたと報じられたために、面会に出席した皇宮警察の職員たちは、気が気でなかったようでした。
秋篠宮ご夫妻も、淡々とした表情で面会に臨まれておりましたが、憤りを押し隠していらしたのだと思います」(宮内庁関係者)
この5日前には、雅子さまも天皇陛下とともに、皇宮警察の永年勤続功労者たちに面会されている。
「愛子さまに対しても悪口を口にしていたという幹部職員も出席しており、雅子さまもさぞ複雑なお気持ちだったことでしょう」(前出・宮内庁関係者)
外出される際に、常に“盾”となって守るはずの皇宮警察へ不信を募らせている皇室の方々。しかし、さらに憂慮される事件が起きていたのだ。発端は、6月21日に宮内記者会に届いた三笠宮家の瑶子さま直筆のお手紙だった。
「3月に瑶子さまは、埼玉県で行われた講演会でご自身が『感音性難聴』であることを話されました。
このとき、“瑶子さまが初めて明かされた”と各社が報じたこともあって、講演会に取材に来なかった社が『感音性難聴』のことについてインタビュー取材を瑶子さまに申し入れていたのです。
しかし、講演会でのお言葉が一部で大きく報じられたことに対して瑶子さまには戸惑いがあり、ご自身の思いを知ってもらいたいというお気持ちを抱かれたそうなのです」(皇室ジャーナリスト)
悩まれた結果、瑶子さまはお手紙によって記者会側に説明しようとお考えになったという。
「瑶子さまは、『宮内記者会の皆様で、ご共有下さい』との書き出しで、特定の社だけに対して取材に応じることはできないことや、そうお考えになった詳細な経緯を、直筆でお手紙に記されていました。また、『感音性難聴』であることを明かしたのは今回が初めてではないということなどもしたためられていました」(前出・皇室ジャーナリスト)
■「こんな形で表に…」瑶子さまの困惑
便せん2枚にわたって思いを込めたお手紙を、瑶子さまは宮内庁宮務課の職員に託された。
宮務課とは、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家の事務を担当する宮内庁の部署だ。日常的に接する機会も多く、瑶子さまも職員たちへ信頼を寄せられていたが――。
「あろうことか宮務課は、お手紙をきちんと確認することなく、そのまま記者会に配布してしまったのです。その結果、瑶子さまが直筆のお手紙で難聴について明かしたという事実ばかりがクローズアップされてしまうことになったのです。
もちろんこれはご本意ではなく、瑶子さまは側近に『こんな形で表に出るとは思いませんでした。宮務課が間に立って、うまく記者会に伝えてくれると考えていたのですが……』と、困惑している旨をもらされたそうです。
文章には“私のような者”といった表現もあり、そのまま公開されることは想定されていなかったのです」(前出・宮内庁関係者)
この宮内庁側の対応に、雅子さまも驚愕されていて――。
「両陛下や上皇ご夫妻は、『もう少し宮内庁が慎重に対応すべきだった』とお考えになっていると伺いました。
このところ“腰の不調”を訴えられ、女官など職員からの日常的なサポートをより必要とされている雅子さまは、特に心を痛めておられると聞きます。
本来であれば、瑶子さまからお手紙を預かった時点で、趣旨や意図を瑶子さまに確認して、宮務課が間に入って、記者会に伝える形にするべきだったのです」(前出・宮内庁関係者)
お言葉によって国民に誤解を与えることを避けるためにも、皇室の方々の“肉声”の発信については、宮内庁は最大限に配慮しなければならないとされてきた。
「宮内庁は盾となり皇室を守る役割を求められているのに、瑶子さまの肉筆をやすやすと“流出”させてしまったのです。この事実は、宮内庁の職員たちが本分をおろそかにしているということだけではなく、自分たちが仕えている皇室の方々の存在を軽く感じているということにほかなりません」(前出・宮内庁関係者)
報じられている皇宮警察内部の不祥事だけではなく、宮内庁職員にも規律にほころびが見られる。
「今年2月には京都事務所の職員が強制わいせつ容疑で逮捕される事件がありました」(前出・皇室ジャーナリスト)
職員のモラルすら低下してしまっている現状に、なぜ歯止めがかからなくなっているのか――。
■失われつつある仕える覚悟と緊張感
静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう指摘する。
「皇室と宮内庁や皇宮警察との間に築かれていた信頼関係が崩れたのは、眞子さんの結婚に伴う騒動の影響も大きいと思います。
またそれを秋篠宮家が放置してしまったことで、宮内庁職員の敬意や忠誠心が動揺し、組織の“劣化”を加速させてしまった可能性は否めません。
世界中に広がったコロナ禍やウクライナでの戦争の影響で、国民の多くは困難な日常生活を強いられています。元皇族として今も日本政府に守られながら、ニューヨークで自由に暮らす眞子さんの姿には、国民から反発する声が上がるのも無理はありません。それは宮内庁職員にしても同じなのです」
ある宮内庁OBは、宮内庁の“劣化ぶり”をこう嘆いた。
「昨今の宮内庁職員は、『皇室を守る』という気迫に欠けていると思っています。昭和天皇や側近は、敗戦で皇室の存続すら危ぶまれるところまで追い詰められた体験を共有し、常に緊張感がみなぎっていました。
またその当時は、皇室の歴史とともに歩んできた旧華族出身者の側近や官僚出身者でも“宮内庁に骨を埋める”という覚悟を持った職員が多く、数十年も側近として仕える職員もいたほどです。
美智子さまが皇后だったころ、『みなさんには明治の時の人のように、陛下をお守りするという覚悟があるのでしょうか』という苦言を呈されたのを覚えています。
眞子さんの結婚問題もあり、そうした覚悟や緊張感が、宮内庁職員や皇宮警察官からさらに失われてしまったことが、皇室を軽侮する者も現れている現状につながっているのかもしれません」
このまま宮内庁の劣化が進めば、皇室を支える者がいなくなる。そんな将来に、雅子さまは憂悶を募らせていることだろう――。