住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、カラオケでよく歌った曲の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「『おしん』が終わった後、アイドル雑誌『平凡』(マガジンハウス)で松田聖子さんと対談する機会があったんです。当日の聖子さんはカジュアルな装いで、いつもとはちがう雰囲気でしたが、かわいくて、とっても優しいお姉さん。なぜか、撮影のときにカメラマンの方から『ちょっとおんぶしてもらったら』と促されたんです。すごく華奢で“本当に大丈夫なのかしら”と少し戸惑いましたが、聖子さんにおんぶされた人なんて、なかなかいないのではないでしょうか(笑)」
松田聖子との秘話を語るのは、女優の小林綾子さん(49)。聖子がアイドル時代に着ていたようなフリフリの衣装が、幼いころから大好きだったという。
「『がんばれ!!ロボコン』(’74~’77年・テレビ朝日系)でチュチュを着て踊る、島田歌穂さんが演じるロビンちゃんに憧れたのが最初。それで、3歳でモダンバレエを習い始めたんです」
バレエや歌、演技も学べる東映児童演劇研修所へ入所したのは5歳のとき。
「3カ月ほどで、仕事が入ってきました。最初の映像のお仕事は、村上弘明さん主演の『仮面ライダー(スカイライダー)』(’79~’80年・TBS系)。悪者から風船爆弾を手渡される子どもの役で、富士急ハイランドまでロケに行きました」
スーパー戦隊シリーズ(’75年~・テレビ朝日系)や『Gメン75』(’75~’82年・TBS系)など、数多くの人気作に出演した。
幼いころから芸能界に身を置いて間近で芸能人を見てきたからだろうか、まわりの同級生のようにアイドルのファンになる感覚は、あまりなかったという。
「でも、聖子さんだけは別格。初めて買ったレコードも『青い珊瑚礁』(’80年)で、バレエのチュチュみたいなフリフリの衣装が好きだったから、新曲のリリース時期になると“次はどんな衣装になるんだろう”って楽しみにしていました。歌唱力も抜群で、しゃくりあげるような特徴的な歌い方を、よく誇張してマネしていました(笑)。先日、NHKで松田聖子さんの特集番組が放送されていたんですが、すべての曲を、今でもソラで歌えるほどでした」
■泉ピン子さんがくれたアドバイス「本番前にビスケットは食べないほうがいい」
聖子が一世を風靡していたころ、小林さんは’80年代を代表するドラマ『おしん』(’83~’84年・NHK)のオーディションを受けていた。
「最初にNHKに行ったのは、小4の8月だったと思います。オーディションの序盤は普通に自己紹介したり、隣の人と台本を読み合わせしていくものでしたが、3次審査では、橋田(壽賀子)先生がお書きになった長セリフを全部覚えて、リハーサル室で女優さんと演じるという本格的なもの。何ページにもわたるセリフに『これは無理』と言うのを、母に『ここまできたんだから頑張ろう』となだめられながら、覚えました」
最終審査では、選ばれた5人の“おしん候補”が、衣装を着て、髪の毛を結って、メークもした状態で、スタジオでカメラに囲まれながら演技。
「それまで出演していたドラマはカメラが1台でしたが、『おしん』では、クレーンカメラなど5台もあって、圧倒されました」
数カ月におよぶ厳しい選考をくぐり抜け、初めての主役を射止めたのだった。
「撮影は雪深い山形県でスタートしました。地元の人やスタッフの方々がいろいろ気づかってくださるのですが、それでも川は冷たいし、吹雪のシーンは凍えるほどで大変なロケでした」
都内に移って夏のシーンを撮影すると、最後はスタジオ収録に。
「おなかがすいたときに、母が用意してくれたビスケットを食べていたら、泉ピン子さんが『本番前は、滑舌が悪くなるからビスケットは食べないほうがいいよ』とアドバイスしてくださったのを覚えています」
ドラマの反響は驚くほどで“かわいそうなおしんちゃんのために”と、米一俵や現金などがNHKには送られてきたという。
「そのお心遣いはありがたいのですが、もちろん、現金などは丁重にお断りして返却されたそうです。役のうえではそうですが、ふだんの私は聖子ちゃんファンの普通の小学生でしたからね」
そのことは撮影現場でもよく知られていて、聖子が出演する『レッツゴーヤング』(’74~’86年・NHK)を観覧できるよう、スタッフが手配してくれたこともあった。
『おしん』の後に出演した『ランドセルと目玉焼き』(’83年・TBS系)では、劇中で聖子の歌を披露したことも。
「弟と家出した私が、『渚のバルコニー』(’82年)を歌いながら、あてもなく線路を歩くシーンがあったんです。タイトルどおりのさわやかな曲で、台本を見たときはうれしかったですね」
■対談企画で、聖子ちゃんが打ち明けてくれた秘密
小学校高学年になり、アイドル雑誌『平凡』の記者から「誰か対談したい人はいませんか」と企画の依頼があったときには、「聖子ちゃん!」と即答。冒頭のような対談企画が実現したのだ。
「聖子ちゃんと遊びたい一心で、取材場所は遊園地などを希望していたんですが、結局、人目につかない新宿御苑でした。『本当は声が低いから、高い声を出すのが大変なの』って話していただいたのを覚えています」
聖子の歌はどれも好きだが、とくに印象に残っているのは、小林さんが中学生のころにリリースされた『瑠璃色の地球』(’86年)だ。
「“あれ!? これまでの曲とはちょっと違うな”というのが第一印象。バラード調で、それまでのアイドル路線の曲とは異なって、すごく大きなスケール感でした。“こういう曲も歌うんだ”って驚いたんです」
“闇の中でも、やがては明るい光が照らしてくれる”“愛の力”など、さまざまな解釈がなされる同曲は、年代を問わず、今でも愛されている。
「いちばん歌っていたのは、京都の大学に入って、一人暮らしをしていたとき。ちょうどカラオケボックスが増えてきたころで、大学の友達と集まっては、聖子ちゃんメドレー。私は『瑠璃色の地球』をよく歌っていましたね」
最近では復興支援活動で、同曲を披露しているという。
「女優の音無美紀子さんが被災地の支援で行っている『歌声喫茶』という活動に参加させていただいているのですが、コロナ禍で思うような活動ができないなか、リモート配信で『瑠璃色の地球』を歌いました。今も変わらず、多くの人を勇気づけ、感動を与えてくれる歌なのではないでしょうか」
【PROFILE】
小林綾子
’72年、東京都生まれ。’83年、NHK連続テレビ小説『おしん』でヒロインの少女時代を演じ、ドラマの空前のヒットとともに脚光を浴びる。’22年は映画『破戒』(7月8日~)、舞台『福田こうへい特別公演~望郷 風の流れ旅』(11月11日~)に出演予定