「聖子さんが生まれ育った福岡県での公演とあって、1万人以上収容の会場は満席。聖子さんは曲の合間には『水ば飲むけん。ちょ待っとって』と久留米弁丸出しで会場を沸かせていました」(コンサートに参加したファン)
8月20日、全国ツアー真っただ中の松田聖子(60)がふるさとに帰ってきた。マリンメッセ福岡で行われたコンサートは大盛況だったが、実は聖子の“帰郷”には隠された目的もあったという。
「聖子さんは公演前日の夜に、地元の高校時代の女友達に会いに出かけているんです」
こう語るのは彼女の知人だ。
「その際にはいつも頼んでいる美容師に編み込みをしてもらったそうです。リフレッシュと“変装”、2つの意味があったのかもしれませんね。学生のころの昔話に花を咲かせたそうですが、そこでは沙也加さんの遺骨をどうするか、という話題も出たそうです」
昨年12月に急逝した愛娘・神田沙也加さん(享年35)はいったいどの地で眠るのか――。
ファンならずとも気がかりな沙也加さんの納骨先は、いまだ決定の報せがない。芸能関係者が明かす。
「沙也加さんの四十九日法要が行われたのは、聖子さんの現在の夫・Aさん一族の菩提寺でした。しかし、聖子さんはそこに納骨はせず、沙也加さんの遺骨は自宅に持ち帰っているのです」
とはいえ、聖子とAさんの関係が悪いわけではない。
「2人は仲睦まじく、このまま添い遂げる可能性が高いでしょう。しかしAさん一族のお墓では、聖子さんの元夫であり沙也加さんの実父の神田正輝さん(71)が訪ねづらいのでは……という事情があります」(前出・芸能関係者)
では正輝はどう考えているのか。
「神田さんのお母さんのお墓は東京・新宿にあります。しかし、こちらに沙也加さんを埋葬すると、聖子さんがお参りのときに遠慮してしまうのでは、と神田さんは考えているようです」(同前)
複雑な家庭事情の中でも沙也加さんがいちばん安らげる場所はどこなのか。聖子は半年以上悩み抜き、決断を旧友たちに明かしたという。聖子が生まれた久留米にほど近い福岡県柳川市には、蒲池家の菩提寺・良清寺がある。そこに墓を建立して沙也加さんを埋葬し、家族で彼女を弔おうというのだ。
■菩提寺の住職は本誌に…
本誌は良清寺を訪ねた。閑静な住宅街に佇む大きな瓦葺きの門が印象的だ。近隣住民に話を聞いた。
「ここに聖子さんの父、孜さんが眠っていますが、お墓はありません。納骨堂を見てもらえれば、管理している(聖子の母の)一子さんの名札があると思いますよ」
孜さんは国家公務員だった。真面目で厳格な性格からか、聖子の芸能界デビューをなかなか許さなかったことでも知られる。
「孜さんが亡くなったのは’97年末。ただ、急いで墓を造らなくてもよいという故人の意向もあったようで、遺骨は納骨堂に納められていました」(前出・聖子の知人)
蒲池家とゆかりの深い良清寺。聖子に近い親戚だという住職に話を聞いた。
――このお寺が松田聖子さんご一家の菩提寺であるとお伺いしております。神田沙也加さんの納骨もこちらでされる予定でしょうか?
「すみません、そういったプライベートなことにはお答えしていないんです」
――最近も聖子さんが訪れませんでしたか?
「申し訳ない。それにもお答えできません」
住職は、聖子がここに蒲池家の墓を新たに建てるのかという質問にも返答を控えたが、ほほ笑みを絶やさず、墓地の見学はかまわないと言ってくれた。
寺の周辺で話を聞くと、意外にも沙也加さんにまつわるエピソードが次々と出てきた。お供え物を扱う店で、店主が話す。
「沙也加さんがデビューして数年後のことだったかと思います。彼女が一人でうちにやってきて、お供えの花を買ってくれたんです。納骨されている孜さんに手を合わせに来たんだと思いました」
別の商店の店主もこんな思い出話を語ってくれた。
「沙也加さんがまだ小さなころ、一子さんが境内で遊んであげているのを見たことがあります。両親ともに大スターですから、おばあちゃんが面倒を見ているんだねってこのあたりで話題でしたね。聖子さんも見かけたことがありますよ。夫のAさんと手をつないで歩いていました」
沙也加さんの思い出も詰まった特別な場所・良清寺。聖子はこの地に蒲池家の新たな墓を建立すれば、娘も安らかに眠れると考えたのだろう。
父の逝去から25年、重大な決断を下して心の荷を一つ下ろしたからこそ、聖子の久留米弁はファンの心を打ったのか――。