「現在、菅田さんは俳優活動を休業中ですが、自宅で訃報を聞いた際はとてもショックを受けたそうです」(事務所関係者)
先日、最終回を迎えた主演ドラマ『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系)や大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)の源義経役での演技が高い評価を受けている菅田将暉(29)。
そんな菅田だが3月24日に新型コロナウイルス感染を発表。自宅で療養するなか、その翌日に衝撃的な報せがーー。
菅田が主演した’13年公開の映画『共喰い』で監督を務めた青山真治さんが3月21日に57歳の若さで亡くなったことが発表されたのだ。
「昨年春から食道がんの治療を始め、近々、新作映画の撮影も予定していましたが、今年に入って体調が悪化し、入院。最後は眠るように息を引き取ったそうです。
映画監督だけでなく小説家としても活躍。’01年公開の監督作『EUREKA』はカンヌ国際映画祭で高く評価されました。浅野忠信さんや三浦春馬さんなど名だたる俳優にも慕われ、まさに日本を代表する名監督でした」(映画関係者)
妻で女優のとよた真帆(54)は、自身の公式サイトで「結婚して20年、優しくて勉強家だった夫にもらった時間、愛情に深く深く感謝しています」とコメントを発表。
『共喰い』に刑事役として出演し、青山さんとプライベートでも交流を重ねた俳優の淵上泰史(37)もこう偲ぶ。
「青山監督とまた一緒にお酒を飲みたかったですし、何よりまた一緒に仕事がしたかったです。浅野忠信さんをはじめ、青山組常連の役者はみんな同じ気持ちではないでしょうか。
青山監督は会うといつも『淵上、俺はこの小説を映画にしたいんだよ』と楽しそうに話していました。早過ぎますし寂しくなります。それ以上に、本当にありがとうございました!と思うばかりです」
’18年に映画『あゝ、荒野』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、いまや名実ともに日本を代表する俳優の菅田。
そんな菅田の俳優人生を大きく変えた作品が、『共喰い』だった。
’20年8月放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で菅田はこう回顧している。
「これをやると、これからは本当に覚悟を決めて仕事になってくるんだな、俺の人生っていう感じだった」
菅田は同作で暴力的な父親を忌み嫌いながらも自身も父から暴力性や異常な性癖を受け継いでいるのではないかと悩む高校生・遠馬を演じ、濡れ場にも挑戦。
しかし、当時の菅田にとってはかなりの“挑戦作”だったようだ。
「当時の菅田さんは、『仮面ライダーW』(テレビ朝日系)で俳優デビューした注目のイケメン俳優として、アイドル的な立ち位置でした。そうした方向性に戸惑いも感じていたときに『共喰い』の話を聞き、出演を希望したといいます。
しかし、当時のイメージと逆行する作品に事務所は猛反対。当時交際していた彼女からも濡れ場やキスシーンを理解してもらえず、破局したそうです」(芸能関係者)
菅田はオーディションを受けた心境をこう語っている。
《自分の環境に何かが足りないというか、現状を壊したいというか……。そういう思いがふつふつとある時期で。自分の中でも、これはやりきったって言えるような事をやりたかったんです》(『ピクトアップ』’13年10月号)
反対を押し切り、意欲作に飛び込んだ菅田。前出の淵上は『共喰い』撮影現場での青山さんの監督術をこう振り返る。
「僕の時はボソっと言ってそのまま本番に入る……。『自由にやってくれ』とかそういうことも言いません。あんまりあれこれ言わない監督もまた、怖いのです。青山組には現場に立った者にしかわからない独特の緊張感があるような気がします」
そんな寡黙な青山さんだが、菅田を叱咤したことが。菅田は撮影期間に行われた食事会で青山さんから言われた言葉を明かしている。
《『お前の芝居はまだ“4分の4拍子”だ。ミュージシャンは16ビートまで考えるんだよ』って。(中略)今となっては、どの現場でもふとよぎる言葉ですね。感覚や衝動に任せるのではなく、もっと丁寧に、ミリ単位でやっていけ、と》(「Yahoo!ニュースオリジナル」’18年3月14日配信記事)
アイドル俳優だった菅田に演じる楽しさを開眼させた青山さんの“演技が雑”という愛の檄。前出の映画関係者は言う。
「菅田さんは『共喰い』出演後、現場で学んだことを役者仲間に飲み会でよく話していたそうです。青山監督のことも『少年のようにキラキラした目をしている監督』と尊敬しきりな様子でした」
その後、『共喰い』での演技が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、演技派俳優としてスターダムを駆け上がった菅田だが、密かな“夢”を抱いていたという。
「『共喰い』の撮影後、菅田さんが青山さんに『僕、ヘタクソでしたよね?』と聞くと、笑顔で『ヘタクソだったね』って言われたそうです。菅田さんは正面から向き合ってくれる青山さんの姿勢がうれしかったそうです。
同時に役者として成長した姿を青山さんに見せたいという思いもあり、いつの日か再びタッグを組むことを熱望していたといいます」(前出・映画関係者)
菅田は『共喰い』公開を迎えた当時、こう語っている。
《僕にとってはこれが役者としての転機になりました。『共喰い』をやったから、死ぬまで役者やめられないなって。二十歳になった今、一生この世界で生きたいと思ったので》(『ピクトアップ』’13年10月号)
俳優・菅田将暉の礎を築いた青山さん。天国からカメラ越しに菅田の活躍を見守り続けるだろう。