マスクが生活必需品となり東京オリンピックも延期ーー。新型コロナウイルスによってありとあらゆることが激変した2020年。本誌が目撃し報道してきた数々の記事の中から、
特に女性自身の公式LINEアカウント配信で反響が多かった記事(2020年1月1日~12月28日までの人気アクセスランキングTOP8)
を改めて紹介する。【12月8日配信】
茨城県内にある飲食店ビルから姿を見せた初老の男性は、寒風に肩を少しすくめてみせた。初冬の空は青く澄み切っていたが、目鼻立ちのはっきりした顔には、疲労が色濃くにじんでいる。
「三浦春馬さんのお父さまですね?」
本誌記者が、そう尋ねると男性は、一瞬驚いた様子を見せたが、静かにうなずいた――。
今年7月18日に俳優・三浦春馬さん(享年30)が逝去してからもうすぐ5カ月になる。12月1日には子供たちへの支援チャリティを目的としたイベントが、日本武道館で無観客生配信ライブとして開催された。
「生前の三浦さんも参加してきたイベントです。当日のステージは、三浦さんの過去の映像も織り交ぜたものになりました。芸能界で多くの仲間たちに愛された春馬さんですが、家族との縁には恵まれなかったと報じられています。そのことが若すぎる死の悲劇性をさらに強めているのでしょう……」(スポーツ紙記者)
三浦さんの両親は彼が幼いころに離婚し、実父・Aさんは家を出た。そして5年ほど前には三浦さんが実母と距離をとるようになったという。
「携帯電話の番号も変えて、お母さんから連絡がとれないようにしたといいます。“絶縁”した理由については、“母からたびたび無心されていた”“仕事や恋愛の問題で衝突した”などと、報じられています。それでも数年前には、生き別れになっていた実父と再会できたそうですが、その父とも関係が悪化してしまったという報道までありました」(芸能関係者)
■知人明かす“遺産相続が長期化”している理由
だが実父・Aさんの知人は、本誌の取材にこう語る。
「少なくとも私の印象では、Aさんにはお金に困っている様子もありませんでしたし、父子関係がギクシャクしていた様子もなかったと思います。Aさんは3年ほど前に心臓を悪くしてペースメーカーを入れる手術を受けたのです。春馬さんが入院中にお見舞いにきてくれて、親子の交流が復活したと言っていました。
息子さんの活躍ぶりがうれしかったのでしょうね。Aさんは仲間内で、よくうれしそうに話していました。『せがれが東京で舞台に出ているので見に行ってきた』とか、『春馬とメシを食べにいった』とか」
それだけに三浦さんが亡くなった後のAさんの憔悴ぶりには、見ていていたたまれなかったという。
「生きがいを失ってしまったという感じでしょうか。もともと大病をしたのに、あまり健康には気を使わないタイプだったのですが、さらにその傾向に拍車がかかっているようです。
春馬さんのお母さんとの遺産相続の話し合いについてポツリと漏らしていたこともありました。『弁護士さんを入れて話し合っているんだけど、いろいろ大変なんだよ』と……。どうやら元奥さんが、お金遣いが少し荒いタイプみたいで、冗談めかして、『彼女はもらってもすぐ使ってしまうかもしれないし。自分はいつまで生きられるかわからないけれど、春馬が生きていた記念になるようなものにして残しておきたい』なんて語っていたことも印象に残っています。
記念になるもの? 具体的には言っていませんでしたが、記念館とか記念碑的なものかな、と思いました」
三浦さんには、実父・実母・そして継父と3人の“親”がいる。だが継父の姉は本誌に「(弟は遺産相続に)関係していません」と、語っていた。実父と実母の2人が弁護士を介して話し合いを続けているわけだが、長期化し、いまも同意にいたっていない。
12月上旬、冒頭のように本誌は実父・Aさんのいきつけだという飲食店ビルの前で、取材を申し込んだ。
■「原因追及しても息子はもう戻らない…」
「いまさら私が何を話しても仕方がないでしょう……」
――生前の春馬さんとお父さんの関係も悪化していたという報道もあります。私たちはそうではなかったと伺っているのですが?
「……春馬との関係はよかったと思っています。“20年ぶりに再会した”と、報じられていますが、彼が芸能界デビューした後は、ときどき連絡はもらっていました。春馬の活躍ぶりはずっと楽しみでしたし、私の生きがいでもありました。実際に会うようになったのは2~3年前ですね。私が入院したときにお見舞いに来てくれて……。
手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました。春馬もけっこう酒量は多かったですが、そんなに酔っ払うタイプではないし、飲んだ後は、きちんと電車で東京に帰っていきましたよ。
ふだんはLINEとかで連絡を取り合っていて、実は亡くなる2週間前にもメッセージをやりとりしていました。近いうちにこちら(茨城県)に来るから、と言っていたのに……。それが最後のやりとりになってしまいました」
故郷・茨城での“父子酒”の約束は果たされなかったのだ。
――春馬さんの様子に変わったところはなかったのでしょうか?
「それはねえ、皆さんと同じで、なんであんなことになってしまったのか、全くわからないんです。会っていたのだから、もし何か気が付いていたら、もちろん力になっていたでしょうが、そんな兆候はいっさいなくて……。本当に突然のことで呆然としてしまって、気が抜けてしまったままで、いまになってしまったという感じです。それに原因を追究したとしても、もう息子は戻りません……」
――遺骨は春馬さんのお母さまがお持ちなのですか?
「そうですね。お墓とか偲ぶ会とかについては、(春馬の)所属事務所さんにも相談に乗ってもらっているようです。遺産相続の話し合いが長引いている? でも私自身は息子の遺産はまったくあてにしていません」
復活した父子の会話のなかで、実母についての話題がのぼることもあったようだ。
「この数年、(春馬は)母とは折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、お金のことやら何やらで、もめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……。
もうこれ以上お話しすることはありません。いまの私の願いは、春馬の墓がどこかに建てられて参ることができるようになること。そして、コロナのために延期になってしまいましたが、仲よくしてくださった方やファンの方のためにも偲ぶ会が開催されること、その2つだけ。これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」
実父・Aさんは、まるで春馬さんの面影を探すように空を見上げると、記者に小さくなった背を向けて黙って歩き始めた――。
「女性自身」2020年12月22日号 掲載