「昨年11月に、『引っ越すことになりまして……』と、惠子さんからご挨拶いただきました。長年ご近所だったので寂しいですが……」
そう語るのは、高橋惠子(65)が住んでいた一軒家付近に住んでいる女性。'70年に15歳で映画デビューを果たした高橋は今年、女優生活50年目を迎えている。実はそんな節目の年に、私生活でも大きな転機を迎えているというのだ。高橋の知人は言う。
「夫で映画監督の高橋伴明さん(70)は、この10年間ほど京都の大学で教壇に立っていたんです。ずっと現地に部屋も借りて、単身赴任のような生活を送っていたのですが、最近、東京に戻ってきたんです。そういった家族のライフスタイルの変化が重なったようで、惠子さんと相談して、ご自宅の売却を決めたと聞いています」
夫妻が東京の郊外に自宅を建てたのは'90年。高橋惠子自身は雑誌のインタビューで自宅への愛着について次のように語っている。
《緑の多いところで子どもを育てたいと思って家を探している時に、(中略)百坪ほどの土地を見つけて購入し、二階建て9LDKの家を建てました。私がいちばんこだわったのは、玄関に入ってすぐの所に居間を配置して、子どもたちがそこを通らないと二階の自分の部屋に入れないようにしたこと。すると、様子がわかるじゃないですか》(『週刊文春』'18年12月27日号)
なんと一時期は、高橋の実母、娘夫婦と孫4人の4世代の9人で同居し、さらに犬10匹、猫1匹、カメ1匹もいる大所帯に!ちなみに近所の不動産業者は言う。
「延べ床面積が240平米ありますし、30年前に建築したときの価格は2億5千万円ほどだったと思われます」
高橋はなぜ、思い出の染み込んだわが家を手放すことにしたのだろうか? 現在、彼女は東京都心のマンションで生活している。新居付近で取材を申し込むと――。
「引っ越しの理由ですか? そうですね、“心境の変化”というほどの大げさなものではないのですけれど、5年前に母が亡くなったこと、それにこちらの(新居の)ほうが、娘一家が住んでいるところと近かったりすること、などでしょうか」
――いまはご夫婦2人での生活を楽しんでいらっしゃるのでしょうか?
「子供たちが巣立っていって、夫と2人の生活に戻ったということですね。皆さんと同じだと思いますよ。おかげさまでふつうに穏やかに暮らしていますし、2人にあったスペースだと思います」
新居マンションは、以前暮らしていた家の広さの3分の1ほど。いわゆる“ミニマル化”ということのようだ。
――女優生活50周年を迎えましたが?
「おかげさまで(笑)。でも今年は特にイベントなどは考えていないんです。“50周年”は、まだまだ途中経過ですからね。昔から女優の仕事は60年続けたいと思っていたのです。だから“還暦”ではありませんが、記念になるようなことをするとしたら60周年のときにやりたいですね。自分では80代までお仕事を続けたいと思っています」
“穏やかな生活を送っている”と話しながらも、仕事に関しては意気軒高な高橋。今後の“夢”もいろいろ描いているという。
「まだ具体的な計画にはなっていないのですが、(映画監督の夫らと)家族で1つの作品を作るのもいいかと考えています。映画なのか、もっと別のものなのか、まだ決めかねていますが。とにかく自分には“まだ先”があると思っているんです。世間では老後と呼ぶような世代なのかもしれませんが、その余生だって、ただ穏やかに暮らしていくだけでなく、いまからでもどんどん新しいことを始めたいという心境です。実は夫といっしょに海外に移住をすることだって考えています(笑)。せっかく日本人に生まれたわけですし、日本の文化を世界に伝えていきたいという思いを昔から持っているんです。だから自分自身も楽しみながら、皆さんに喜んでいただけるような活動を目指していきたいと思っています」
「女性自身」2020年4月7日号 掲載