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「1月24日に、自民党は皇室問題に関する懇談会の初会合を開きました。政府の有識者会議がまとめた報告書をもとに、皇族数の確保策などを今後検討していきます。
確保策の大枠としては2つあり、(1)女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する、(2)旧宮家の男子が養子として皇族に復帰する、となっています。しかし(2)に関しては自民党内でも異論があるようです。朝日新聞は閣僚経験者の『世の中から尊敬のまなざしで見られるのか』という懐疑的なコメントを紹介しています」(皇室担当記者)
旧宮家とは、終戦後の1947年に皇籍を離脱した11宮家のこと。現在も残るのは、東久邇家、久邇家、賀陽家、朝香家、竹田家の5つとなる。
NHKが1月に実施した世論調査によれば、「旧皇族の男系男子を養子に迎える」案について「賛成」41%、「反対」37%だったという。一般人として生活してきた男性が皇族になるということに、賛成できない国民も少なくないというのが実情のようだ。
そのような状況のなか、自民党初懇談会から3日後の1月27日、『週刊新潮』は次のような見出しの特集記事を掲載した。
《「愛子さま」のお婿さん候補 宮内庁格付け第1位! 旧宮家「男系男子」皇籍復帰の最筆頭「賀陽家」とは》
記事の趣旨は、現存する旧宮家のうち、2人の未婚男子がいる賀陽家が皇籍復帰の“最有力候補”として関係者の間で注目されているというもの。記事には識者の次のようなコメントも掲載されている。
「また年齢からして、賀陽家の男子お二方が愛子さまのお相手候補に入っているのも、間違いないところだと思います」
キーパーソンとなっているのは賀陽正憲氏。皇籍離脱前は皇位継承順位8位だった賀陽宮恆憲王の孫で、愛子さまの“お婿さん候補男子”2人の父親でもある。賀陽正憲氏について前出の皇室担当記者はこう語る。
「賀陽氏は、天皇陛下とは学習院初等科から大学までの同級生でした。高等科時代には、美智子さまから“浩宮のことをよろしくお願いしますね”と、お声をかけられていたほどです。
ご成婚の6年前の’87年、陛下が、当時は外務省に勤務されていた雅子さまをご招待してお茶会を催されたのですが、その場にも賀陽氏は同席していたそうですから、よほど陛下からのご信頼も厚かったのでしょう」
このお茶会について、後に賀陽氏はこう語っている。
《雅子さんがあまりに魅力的な方なもので、私がずいぶん口を挟みまして、今になれば宮様には悪いことをしたなと申し訳なく思っているんです(笑)》(『文藝春秋』’93年3月号)
賀陽氏は大学卒業後に大手信託銀行から宮内庁に転職。それから外務省に出向し、現在も外務省儀典官室に勤務しているという。
■男系論者たちが注目する“愛子さまの夫”という立場
さらに気になるのは、愛子さまのお婿さん候補たちのこと。賀陽氏には2人の息子がおり、26歳と24歳。愛子さまより“少し年上”といった世代だ。この兄弟に会ったことがある天皇陛下の知人によれば、
「2人が高校生ごろでした。すでに身長は180センチほどあり、小顔でスラリとしていました。誰似と聞かれても困りますが、2人ともイケメンなのは間違いありませんし、挨拶もしっかりしているのが印象的でした。
お兄さんは早稲田大学政治経済学部、弟さんは早稲田大学理工学部に進学したと聞いています。愛子さまも高身長ですが、兄弟のどちらが、おそばに並んでもお似合いだと思います」
また、ある学習院関係者もこう語る。
「好青年だそうですし、大学入学前は学習院に通っていたこともあり、“賀陽さんの息子さんが愛子さまと結婚すればいいのではないか”という声を、最近よく聞くようになりました」
愛子さまが昨年12月に成年皇族になられてから、注目度が急上昇しているという賀陽家の兄弟。実は、すでに数年ほど前から、2人を愛子さまのご結婚相手として推す声があったのだという。
「自民党政権を支持している保守派の政治団体『日本会議』は、かなり以前から賀陽家にも注目しており、“愛子さまと旧宮家である賀陽家の男子が結婚してくれれば”という声も漏れ聞こえていました」(皇室ジャーナリスト)
自民党のおもだった議員が名を連ねる日本会議国会議員懇談会は、男系による皇位継承維持を提唱してきた。それにしても、なぜ彼らは、愛子さまと旧宮家の男系男子との結婚を望んでいるのか? 前出の皇室ジャーナリストは、次のように語る。
「旧宮家が皇籍離脱してからすでに75年。国民にとってはなじみがうすく、現在では皇室と生活環境もかけ離れています。そうしたギャップを解消するために、“愛子さまと旧宮家男子が結婚するのがもっともよいのではないか”と、一部の男系論者たちは主張しているのです。
愛子さまの“夫”であれば、国民からの祝福を受けることができるでしょうし、その間に生まれたお子さんは、今上陛下の孫であり、男系男子ということになります」
男系論者たちのこうした主張に、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは反対意見を唱える。
「男系論者の一部が、愛子さまと旧宮家男系男子との結婚を、皇位継承問題の解決策として主張している以上、もし結婚が実現したとしても、“政治的圧力で進められた婚姻”という印象が残り、国民の皇室への敬愛を損ねる可能性もあります。
また男系を維持するために、愛子さまの人生を犠牲にするようなことは、国民の1人として絶対に避けるべきと考えています」
愛子さまの初めての記者会見は3月に行われる予定だが、これまで愛子さまは恋愛観や結婚観について語られたことはない。
では天皇陛下や雅子さまは、賀陽家の子息たちを推す声についてどうお考えなのだろうか。高学歴、すぐれた容姿、旧宮家出身、信頼していた友人の息子……、条件としてはこれ以上は望めないようにも思えるのだが――。
■天皇陛下が反対していた同級生の側近登用
しかし賀陽氏の長男・次男を絶賛していたはずの前出の天皇陛下の知人の意見も、予想とは異なるものだった。
「確かに2人のお子さんは素晴らしい青年たちです。しかし、この縁談が進んでいくとなると、天皇陛下も雅子さまも困惑なさると思います。ある時期から両陛下と賀陽氏は、疎遠になっているからです」
両陛下と賀陽氏との間に何があったのか。さらに取材を進めていくと意外な事実が判明した。
「20年ほど前、故・鎌倉節さんが宮内庁長官を務めていたころ(’96年から’01年)のことです。賀陽氏が当時は皇太子殿下でいらした天皇陛下の、東宮侍従に就任することが決まりかけました。賀陽氏には“おそばで殿下をお支えしたい”という強い熱意もあり、鎌倉長官も“殿下の周囲に同年代の相談役がいたほうがよいのではないか”という判断で、内示を出したのです。
しかし陛下はこの人事に厳しい調子で異を唱えられたそうです。『かつての同級生と上司と部下のような関係で接したくはない』と。賀陽さんは、その直後に外務省に出向を命じられました。宮内庁長官という側近トップと、長年の同級生が、自分にまったく相談もなく重要人事を決めてしまっていたことに、陛下は強い不信感を抱かれたのではないでしょうか。
その後、陛下が賀陽さんとの交流を復活なされたという話は聞きません。雅子さまもその経緯を間近でご覧になっています」(元東宮職関係者)
また陛下と旧友とのわだかまりが解消されていたとしても、“賀陽家との縁談実現は難しいのでは”と語るのは宮内庁関係者。
「雅子さまはかつて『愛子には愛子の持って生まれた運命がある』と、漏らされたことがあったそうです。それは皇室に生まれた宿命を受け入れつつも、せめて結婚などの女性としての幸せは自分の意思で決めてほしいという願いを込めたお言葉でした。
また天皇陛下も、一時期は暗礁に乗り上げながらも、雅子さまへの愛を貫き、結婚されています。愛子さまにも“結婚相手は自分で選んでもらいたい”と願われていることでしょう」
愛子さまのご結婚が、政治的な主義主張に利用されないことを祈るばかりだ――。