11月1日には『日経TRENDY』が選ぶ「2019年 今年の顔」に選出されるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上がる横浜流星(23)。しかし、横浜自身は慢心するそぶりは見えない。その会見で彼はこう語っていた。
「役者を8年くらい続けていますけど、ひとつの作品でこんなにも自分を取り巻く環境が変わるんだ、と。その影響力、反響に最初は戸惑いもあって、今やっと受け入れて。目の前のことに変わらず、地に足をつけて頑張るのみだと思ってやっています」
続けて、大工の実父(43)の影響を語った横浜。ブレークしてもストイックな姿勢を貫く原点には、その父の姿があったーー。小学6年生のときに東京・原宿でスカウトされ、芸能界入りした横浜。芸能活動と並行して極真空手の世界では、中学3年生のときに世界大会で優勝する快挙を達成。そんな横浜だが、小さいころはかなりの“ワル”だったという。
「幼いころから1歳下の弟さんといつも一緒にいて、突然『冒険したい!』と言って家出をしたこともあったそうです。また5月に出演した『A-Studio』(TBS系)では、小学生時代に水道管を破裂させたり、ガラスを割ったりしていたことを明かしていました」(テレビ関係者)
横浜が育った地元でも、そのやんちゃぶりは有名だったようだ。小学生時代の横浜と同級生だった娘を持つある母親はこう語る。
「空手をしていたので絶対にけんかはしませんでしたが、いつも男友達と一緒にいて、学校でいろんないたずらをしていたそうです。地元のことはかなり大切に思っているそうで、3年前の成人式にも参加して、偉ぶることなく気さくに昔の仲間と話をしていたといいます」
そんな横浜を育てた実母(44)は優しい人と評判だ。
「お母さんは、流星くんに似てとても美人。空手の大会には必ずついてきて、サポートしていました。流星くんが芸能の賞を取ったときに『おめでとうございます』と言ったら、にこやかに『ありがとうございます』と言ってくれましたよ」(前出・同級生の母)
しかし、母と対照的に父はかなり厳格なようだ。地元の知人はこう語る。
「お父さんは15歳のときから大工をしていて、めったに笑わない寡黙な人です。12年前には、自ら一軒家の自宅を建てていました。家庭ではかなり厳しかったそうで、流星くんが反抗期のときは、殴って制することもあったといいます。しかし、流星くんはそんなお父さんのことをとても尊敬していて、小さいころの夢は『大工になること』だったそうです」
横浜は自身のブログで、父についてこうつづっている。
《父さんは本当に僕の尊敬する人。クールで無駄な事は話さない。でも熱いし、男の中の男。(中略)父さんの背中で語るような所 本当にかっこいい。僕も父さんみたいになりたいなー》(14年6月16日)
父の背中を追い、芸能活動に励む横浜だが、挫折が待っていた。14年に若手俳優の登竜門であるスーパー戦隊シリーズ『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日系)に出演するも、その後はオーディションに落ち続ける日々が続いた。そんなときに横浜を奮い立たせたのも、また父だったという。横浜をよく知る舞台関係者はこう語る。
「オーディションを受けても『戦隊芝居だね』と言われ、横浜さんは『自分に俳優は向いてないんじゃないか……』と思い詰めていた時期があったそうです。そんなときに、お父さんが『男なら一度決めたことは貫き通しなさい。弱音は吐くんじゃない!』と叱咤激励したといいます。それから横浜さんは演劇のワークショップに通い芝居を研究し、着実に仕事をつかんでいきました。インタビューでも横浜さんは『継続は力なりが僕の信念』とたびたび言っていますが、そこにはお父さんの影響もあるのでしょうね」
大工の父が打ち込んだ“鉄釘の掟”を胸に、横浜のスター街道はこれからも続いていくだろうーー。