お盆の時期、都市部に住む人は田舎や実家でお墓参りしたり、縁日で盆踊りに加わるなど、和やかでありながらも、どこか宗教的ではあります。
実は、お盆と言う名の由来には様々な語源があり、中には中国を経由して古代のインドから伝わった仏教神話にまつわる話もあるのです。
お供え物を盛り込んだ器が名前の由来?
お盆と聞いて想像するのは夏に行われる祭事としてのお盆と、もうひとつが容器のお盆です。お盆に行われる祖霊を祀る儀式で、そうした霊に捧げる飲食物や花など供物をお盆に盛ったことが、後述する仏教用語の『盂蘭盆会』と結びついてお盆になったと言う説があります。事実、今でも精霊をボンサマと呼んでいる地域もあるため、決して間違いでは無いのですが、やや本来の意味から遠のいています。
そうした傾向はお隣の中国や台湾などにも散見し、日本でも有名な『西遊記』でお釈迦様こと釈迦如来が、
「私のもとに宝の盆があります。それに珍しい花や果物を盛って盂蘭盆会を楽しもうと思うが、如何でしょうかな」
と神仏一同に提案するシーンが描かれているのです。仏教用語のお盆と器のお盆を混同してしまう、短絡的でありながらも微笑ましさを兼ね備えた庶民の感情に、国境はないのかも知れませんね。
元ネタは逆さ吊りの刑?親子愛が生んだお盆の起源
お盆の正式名称は『盂蘭盆会』と言いますが、その語源は古代インドの言葉で『逆さ吊り』と言う恐ろし気な意味を持ちます。その起源については、以下のような話が伝わっています。お釈迦様に仕える弟子である目連尊者が亡くなった母の姿を探すと、生前の罪が原因で餓鬼道と言う地獄に墜ちていました。
餓鬼道は強欲や物惜しみをした人が行く地獄で、飲食物を得られずに苦しむため、目連は得意の神通力で食べ物を母に与えますが、全て火になってしまいます。亡母を哀れんだ目連の訴えを聞いたお釈迦様は、
「餓鬼道に落ちた亡者を救いたいならば、夏安居(げあんご。夏の修業期間)が終わった僧らに施しをするのです。そうすれば、その施しが、そなたの母上にも与えられようぞ」
と助言を与えます。
法会の宴に招かれた僧侶達の喜びは地獄界に伝わり、目連の母も飲食物を口にしてようやく救われ、最終的には成仏して天に召されていきました。目連がお釈迦様の助言で僧達に飲食物を振る舞い、かつ地獄の亡者にも供養をした神話が、今も日本各地のお寺に伝わる施餓鬼の起源説話です。
また、目連の母(もしくは目連本人か衆生)が救われたのを喜んで舞ったのが盆踊りの起源だとする説もあります。これは少し飛躍している感が否めませんが、亡き人を偲ぶ日にふさわしい物語であることに変わりはありませんね。