みなさんは、江戸時代の食事と聞いて、どんなイメージを持ちますか?「現代と似ているんじゃない?」「いやいや、もっと質素だったでしょ?」と思う方もいるかもしれません。
そこで今回は、意外と知られていない、江戸時代の食事事情についてご紹介します!
江戸時代の食事の特徴
食事の回数に変化が
江戸時代初期ごろまでは、階級にかかわらず、朝食と遅い昼食の1日2食が基本だったと言われています。夜は暗くなったら寝る生活だったため、夕食は必要なかったそうです。
しかし、江戸時代中期、元禄年間(1688~1704)になると正午前後にも食事をするようになり、ここから1日3食となりました。正午ごろにも食事をするようになった理由は2つあります。
1つは照明用の灯りが社会に浸透し、生活時間が伸びたこと、そしてもう1つは、江戸の大火により焼失した建物の再建に肉体労働者が必要となり、彼らの体力維持のため、食事回数が増えました。
今も使う調味料の普及
江戸時代になると、今の和食にも欠かすことができない調味料である、しょうゆやみりんが普及しました。みりんは高級品であったため、庶民には普及しなかったようですが、しょうゆは、生魚を刺身として食べたり、照り焼きにして食べたりするなど、食べ方の幅も広げました。
料理書も普及
今では簡単にインターネットで数多くのレシピを簡単に知ることができますが、その原点ともいえる料理書が普及したのも江戸時代でした。識字率の上昇や、木版印刷の技術の発展により、料理書が出回りました。
江戸時代中期の1782年には、『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』という本が発行され、ベストセラーとなりました。身近な食材である豆腐を使って、100通りの料理を作るというアイデアが人々を楽しませました。
各位別の食事事情
庶民の食事情
庶民の食事の基本は、「一汁一菜」でした。ごはん、汁物、そして漬け物などの野菜のおかず一品です。白米中心の生活で、魚はめったに食べられませんでした。米は朝のうちにいっきに炊き、昼食と夕食は冷や飯を食べていました。
ここで驚くのが白米の量。なんと一日に4~5号の白米を食べていました。江戸っ子は全国から米が集まるため白米が食べられることを自慢に思っていたようですが、病気に苦しむ人も多くいました。それが、「脚気(かっけ)」と呼ばれるものです。ビタミンB1不足によって起きる疾患で、足がしびれるなどの症状がでます。玄米に多く含まれるビタミンB1を摂取できなかったことが理由です。
農民の食事情
農民は、米を作ってもそれを年貢として納めなければならなかったため、ほとんど食べることができませんでした。そのため、農民は「かて飯」(少しのお米に大根、芋がらなどを入れて炊いた雑炊のようなもの)を中心に食べていました。
庶民と比べると質素な食事に思えますが、脚気にかかることはあまりなかったそうです。
武士の食事情
武士といっても、下級武士の食事は白米を中心としたもので、庶民とあまり変わりませんでした。上級武士の食事は、魚が加えられる機会も多かったと言われています。また、大名や将軍という位の高い人々は、魚料理や卵料理を楽しんだり、お酒をたしなむこともあったそうです。
まとめ:江戸時代の食事情は階級によってさまざま
ご紹介した江戸時代の食事事情、いかがでしたか?江戸時代、と聞くと様々な文化が花開いた豊かな社会、と思う方も多いかもしれませんが、農民や庶民は質素な暮らしをしていたことがわかると思います。
そして、現代の私たちの食卓を見渡してみると、いかにバラエティに富んだ豊かな食生活を送れているか実感できるのではないでしょうか。
今は世界中から注目される和食。これからも日本の食文化から目が離せませんね。