引目(ひきめ)、鉤鼻(かぎばな)、御樗蒲口(おちょぼぐち)……平安女性の絵を見ると、大抵どれも同じ顔に描かれています。
だからこれを見て「当時はこういう顔が美女とされていたのだ」「美女の定義は、時代によって変わるものだなあ」と思う方は少なくありません。
転じて「平安時代だったら美女だったのにね」という皮肉や「平安時代なら私もモテたろうに」などという自虐も聞かれますが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
没個性的な表情の理由は?
この「なぜ平安女性の顔はみんな同じに描かれるのか問題」について、興味深い二つの説を紹介したいと思います。
まずは古典エッセイストの大塚ひかり氏による「高貴な人は感情を表に出せない(出さない)」説。
とかくやんごとなき方は、下賎の民のように喜怒哀楽の表情を表に出すことをはしたないと忌み嫌いました。
もちろん現実には出てしまうのですが、絵画であれば自由に制御できるため、いつも平常心で同じ顔に描かれているのだ、という考え方のようです。
続く国文学者の三田村雅子教授による「妄想装置」説は、大塚氏の説(理想的な表現)に対して、現実的な絵の楽しみ方を考えたものとなっています。
「妄想装置」なんて聞くと何だかいかがわしい感じですが、これは「あえて没個性的・無表情に描くことによって、鑑賞者に好きな顔立ちや表情を想像させる」表現。
確かに、言われてみれば現代でもマネキンがそうです。昔と違って顔がのっぺりとしていたり、髪(ウィッグ)がなかったりするものが多いのは、イメージが固定されることで、お客が「自分には似合わない」と敬遠してしまうのを防ぐためと言われています。
自分にとって都合よく妄想してもらえれば、作品に感情移入しやすくなり、ファンが増える……そう言われると、なるほどよく考えたものだと感心しきりですね。
終わりに
確かに『源氏物語』でも、ヒロインの一人である空蝉(うつせみ)について、その容姿に低評価を与えています。
(前略)少し腫れぼったい目のようで、鼻などもよく筋が通っているとは見えない。はなやかなところはどこもなくて、一つずついえば醜いほうの顔であるが、姿態がいかにもよくて、美しい今一人よりも人の注意を多く引く価値があった。
※与謝野晶子 訳『源氏物語』空蝉より
腫れぼったい目、通っていない鼻筋……要するに引目・鉤鼻ですが、当時の男性(ここでは主人公の光源氏)も、それを美しいとは思っていなかったことが察せられます。
もちろん、好みは人それぞれでしょうが、それにしても「醜いほうの顔」ってあなた……まぁそれはそうと、
「あーあ。平安時代にタイムスリップしたら私、絶対モテてたのにな……」
なんてぼやいている女性が身近にいたら、要注意かも知れません。
※参考文献:
- 大塚ひかり『感情を出せない源氏の人びと 日本人の感情表現の歴史』毎日新聞社、2000年1月
- 堀江宏樹ら『乙女の日本史』東京書籍、2009年8月