現代にまで語り継がれる「吊り落とし」
平成元年十一月場所5日目、当時の横綱・千代の富士と、関脇・寺尾の取り組みが行われました。
吊り落としという決まり手は、相手のまわしを取って体を正面から吊り上げ、文字通りその場に落とす技です。
千代の富士対寺尾のこの取り組みでは、千代の富士は寺尾の背後に回ってから吊り落としているので、2000年12月の新たな決まり手の制定以後なら「送り吊り落とし」とされる技となります。
Image:ハッキヨイ!せきトリくん- 日本相撲協会公式サイト
賛否両論巻き起こる伝説の取組
横綱が寺尾のまわしを取って、力任せに土俵へ叩きつけるように見えたこの取り組みは、当時から評価が割れ議論を呼びました。
「千代の富士が寺尾に顔をバシバシ張られて、キレた千代の富士が寺尾を土俵に叩き付けた」
「横綱の取る相撲ではない!(千代の富士の)本当の人間性がよく現れている一番なのではないか!?」
「後ろからまわしをとったなら、そのまま『送り出し』で良いではないか!」
という千代の富士を批判する意見から、
「あれだけ顔を張られてもペースを乱さずに自分の相撲へ持っていった千代の富士、これぞ横綱の貫録だ!」
「逃れようと暴れまくる120kgの人間を楽々持ち上げて叩きつける、これだけで千代の富士のすごさが分かる!」
「平成の大横綱・白鵬でも、10回勝負して3回勝てるだろうか」
という横綱の強さを称える声、そして中には
「千代の富士が寺尾に八百長を持ち掛けたが、寺尾が応じなかったため、千代の富士が見せしめとして叩きつけて格の違いを見せつけた」
「最低の取り組み!もし(寺尾に)怪我をさせたら逆鉾(寺尾の実兄)に星回してもらえなくなる」
など、「八百長」に絡ませた書き込みまで、現在でも様々な意見がインターネット上で見られます。
(千代の富士の銅像。画像出典:千代の富士貢 – Wikipedia)
「礼に始まり礼に終わる」と言われる相撲において、この豪快な取り組みは、現代なら横綱の品格という問題にまで発展しかねないような伝説の取り組みとなったのでした。
朝青龍も千代の富士の相撲を研究
偉大な先輩横綱・千代の富士をこよなく尊敬していたのが、元横綱・朝青龍でした。
2016年7月31日、元横綱・千代の富士の九重親方は、61歳で亡くなりました。あまりにも早すぎる大横綱の死に「1つの時代が終わった」と、日本の相撲界・相撲ファンの間には大きな落胆が広がったのは、まだ記憶に新しいところです。
引退後モンゴルに帰国していた元横綱・朝青竜は、千代の富士の訃報を聞き付けて成田空港へ駆けつけましたが、その際の空港でのインタビューで「(千代の富士は)私の神様ですよ」とコメントし、更に自身のツイッターにも「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ〜〜悲しいな」、「親方よ 夏にモンゴルに来てイトウ釣る約束は?悲しいな涙」などと呟いていました。
彼は横綱昇進前から、千代の富士の相撲をビデオで何度も見て研究していました。
後輩の力士たちにも
「千代の富士のビデオ探し見るべし!」
と呼びかけていたそうです。
「吊り落とし」も、そうやって大横綱の相撲を研究して、マスターしたのでしょう。朝青龍は、横綱時代前半くらいまでめったに見ることのできない珍技と言われるこの技をよく使用し、高見盛関や琴光喜関などとの対戦で複数回の勝利を飾っていました。後に「横綱としての品格」が問われるなど、色々な意味で話題となった朝青龍でしたが、まさしくそんな朝青龍らしい勝ち方だったと言えるでしょう。
平成の横綱が「神」「横綱の中の横綱」とまで称えた昭和の大横綱の「伝説の取組み」は、これからも末長く語り継がれていきそうです。