芥川龍之介、川端康成、太宰治。いずれも近代文学の大家、文豪です。読んだことがないという人でも、作品名くらいは知っている、それほど彼らの作品が持つ魅力は大きいですよね。小説に紡がれる文章はたしかに優れた名文ですが、素の文豪とはいったい何を考え綴るのか。作家の一面を知る手がかりのひとつが手紙です。
今回はその手紙の中でも、文豪たちが恋した女性に宛てた恋文、ラブレターについて紹介しましょう。
芥川龍之介「お菓子なら頭から食べてしまいたい」
「羅生門」で知られる作家・芥川龍之介。ちょうど「羅生門」を発表した翌年の大正5年8月25日の朝、24歳の芥川龍之介は、後の妻となる17歳の少女・文に恋文を送っています。一部を抜粋してみましょう。
"(前略)文ちゃんを貰ひたいと云ふ事を、僕が兄さんに話してから 何年になるでせう。(こんな事を 文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)
貰ひたい理由は たった一つあるきりです。さうして その理由は僕は 文ちゃんが好きだと云ふ事です。勿論昔から 好きでした。今でも 好きです。(後略)
「芥川龍之介書簡(恋文全文) 一宮館ホームページより"
まだ初々しさの残る恋文ですが、芥川龍之介がどれだけ「文ちゃん」を恋しく思っているか、結婚してお嫁に来てほしいという思いが長々と綴られています。
この翌年、いくらか関係が進展したことがうかがえる手紙をまた送っています。
"(前略)こんどお母さんがお出での時ぜひ一しよにいらつしやい。その時ゆつくり話しませう。二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。さうしてkissしてもいいでせう。いやならばよします。この頃ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘ぢやありません(後略)
大正6年11月の書簡より"
「文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい」。よく子どもや孫を「目に入れても痛くない」といいますが、食べてしまいたいというのもまさに恋人が可愛くて可愛くて仕方ない芥川龍之介の真っ直ぐな恋心だと感じられますね。
川端康成「恋しくて恋しくて、早く會はないと僕は何も手につかない。」
「伊豆の踊子」など多数の名作を発表し、ノーベル文学賞作家として知られる川端康成。大正10年にしたためた恋文が2014年に未投函の状態で見つかりました。
一部を紹介しましょう。
"もしかしたら病気ぢやないか、本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない。とにかく早く東京に來るやうにして下さい。恋しくて恋しくて、早く會はないと僕は何も手につかない。"
婚約者から手紙の返事がしばらく来ず、居ても立っても居られない様子がうかがえますね。飾り気なく、病気ではないか、早く帰って来てほしい、という率直な恋心が文面に表れています。
太宰治が入水に際してしたためた遺書に
「人間失格」「走れメロス」「斜陽」などの名作で知られる作家・太宰治。幾度となく自殺を図ったことでも知られていますよね。太宰治の最期は、愛人であった山崎富栄との入水自殺でした。
太宰治は遺書を半紙9枚にしたためて遺していますが、その最後の9枚目には妻・美知子へ宛てた想いが綴られていました。
"美知様
お前を誰よりも愛してゐました"
借金にまみれたり複数の愛人を持ったり、奥さんにとっていい夫だったかどうかはわかりませんが、この一文には太宰治の家族に対する愛情が感じられますね。