江戸時代の遊郭として名高い吉原で働いていた遊女さんたち。日々仕事に追われ大忙しだった彼女たちは、休みの日にはどんな過ごし方をしていたのでしょうか?また、休日はどのくらいあったのでしょうか
今回は、吉原の遊女さんたちの休日についてご紹介していきます。
吉原の遊女が丸1日休めるのは1年で2日間のみ
1年の間で吉原遊郭が休みになるのは、1月1日の元旦と7月13日の2日間のみ。つまり吉原で働く遊女たちの完全な休日は年に2日間しかなかったのです。
遊女さんの労働時間は、化粧や身支度も含めると1日約15時間にも及んだとされています。つまり、かなりの長時間労働を毎日こなしていたにもかかわらず、完全なOFFは1年で2日間だけ。吉原の遊女たちにとって、休日はとても貴重だったのです。
現代だったらブラック企業として大問題になりそうな労働環境ですね。
遊女の休日の過ごし方
1月1日と7月13日だけの貴重な休日を、遊女さんたちはどう過ごしていたのでしょうか?
1月1日は元旦ですから、現代と同じようにおせち料理や雑煮を食べ、ゆったりと過ごしていたようです。1月2日には営業が始まり、正月の行事が行われ大忙しになるので、遊女さんにとって元旦は本当に貴重な休日だったのです。
7月13日は、今で言うところのお盆休みにあたります。旧暦のお盆が7月15日だったので、その前倒しとして7月13日に振替休日をとっていたのです。
遊女たちの完全なoffは、1年間で正月休みが1日、お盆休みが1日だけだったのです。
髪の毛を整えるための半日休みもあった
1日が丸々休日になるのは年に2日間しかありませんでしたが、半日の休みは毎月1度だけありました。とは言え、半日休みを好き勝手に過ごしていたわけではありません。実は髪の毛を整える日として設けられた休みだったのです。
浮世絵などに描かれる遊女の髪型は、どうやって結い上げたのかわからないような独特な形をしていますよね。遊女の髪は、ほどくと非常に長いロングヘアーだったので、洗髪にとても時間がかかるうえ、あの髪型を結い上げるのも一苦労。遊女の髪は、とにかく手入れが大変でした。
なので、髪を綺麗に洗って再び結い上げるための休日が、月に1度だけ設けられていたのです。
自己申告で休む場合もあった
個人的に休みが欲しい場合は、自ら意思で休むことも可能でした。ただし、自分の稼ぎ分を支払って休日を買うシステムだったので、ある程度の売り上げがある人気遊女でなければできなかったようです。
この方法で休んだ場合はとくに縛りもなく、飲み食いしたりしてストレスを発散していました。この日ばかりは自分へのご褒美として、自由気ままに休日を楽しんでいたのです。
妓楼一同で花見に繰り出すこともあった
花見シーズンになると、一部の妓楼ではスタッフ一同で花見に出かける場合もありました。現代でも社員一同による花見や社員旅行があったりしますが、同じようなものですね。
また、花見シーズンになると丸一日店を閉めて、妓楼内で飲み食いやを楽しみなどのレクリエーションが催され、日がな一日を過ごす場合もありました。この時は、基本的に店舗は休業にしていたのですが、羽振りの良い一部の常連客のみ、参加が許されていたようです。
とても貴重だった遊女の休日
いかがでしたか?毎日毎日、酔っぱらった下心丸出しの男性の相手をしながら、15時間近くの長時間労働をしていた吉原の遊女たちは相当なストレスを溜め込んでいたのではと感じます。
そんな遊女たちにとっての休日はどんな形態であれ、普段のストレスから解放される貴重な1日だったことでしょう。
この記事を通じ、より多くの方が歴史や日本の文化に興味を持っていただければ幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。
参考:堀口茉純「吉原はすごい 江戸文化を育んだ魅惑の遊郭」