言葉や慣用句の歴史は古い。日常的に使っている表現も本来はまったく異なる意味であったり、思いもよらない語源が存在することもある。そんな言葉のルーツを紐解いてみたい。
「立ち往生」とは
みなさんはこの言葉をどのような場面で使用するだろうか?「車が渋滞に巻き込まれて立ち往生」とか「事故で電車が立ち往生」などと表現するのが一般的だろう。この表現は正しい。立ち往生には【身動きの取れない状態】や【進退が極まる】といった意味がある。
しかし、元々の語源は異なっている。本来の意味は【立ったまま死ぬこと】なのだ。正直、読んで字の如くであり驚きはないのだが、問題はなぜ語源と違う意味で浸透しているのかという点である。
実はこの理由にはある歴史上の人物が関係している。
武蔵坊弁慶
それがこの人。かの有名な武蔵坊弁慶だ。弁慶は平安時代末期の僧兵で、源義経の郎党として仕えたとされている人物。長い日本の歴史の中でも有名な人物の一人だが、存在を証明する歴史的資料は少なく、「吾妻鏡」や「平家物語」に名を確認できる程度。その生涯や功績は謎に包まれている。
真実のほどは定かでないが、時の権力者であった源頼朝に追い詰められた義経に付き従い、奥州・平泉の地で共に果てたとするのが定説となっている。
最後は自刃のためにお堂に籠もった義経を庇い、敵の弓矢を受けて立ったまま絶命したという。
弁慶の立ち往生
弁慶の死に様が余程衝撃的であったのか、はたまた後世の創作なのか、今となっては確認できないが、このエピソードがきっかけとなって本来の立ち往生の語源に新たな意味が加わったと考えられている。
義経が没した衣川の戦いは、藤原勢500騎に対して義経勢は10数騎の一方的な戦いであったといわれている。
50倍近い敵勢の圧倒的戦力に進退極まり命を落とした弁慶。立ち往生という言葉には武蔵坊弁慶という男の人生の矜恃を感じることができる。
現在、弁慶の終焉の地である岩手県平泉町の中尊寺入り口前の広場には、弁慶の墓と伝わる五輪塔が立っている。死後800年超。立ち往生という言葉の由来を作った男は平泉に眠っているのかもしれない。