最近、昆虫食が世界的に注目されているのを知っていますか?今後の世界的な人口増によって、食糧の持続的な確保が難しい状況に陥った際、タンパク質を豊富に含む昆虫の摂取が不可欠と見られているそうなんです。
テレビのバラエティ番組でゲテモノを試食するシーンがたまにありますが、やっぱり「昆虫を食べる」というと日本では抵抗ある人がほとんどかと思います。でも中には、「イナゴを食べたことがあるよ」という人もいるのではないでしょうか?地域によってはイナゴは普通に食べられていた(食べられている)、れっきとした昆虫食ですからね。
今回は、かつて日本ではどのような虫が食されていたのか、時代を遡ってチェックしてみたいと思います。
喜多川歌麿「画本虫撰」より
平安時代からイナゴは日本のソウルフード!
遥か遠くさかのぼって縄文時代はどうだったのでしょうか?縄文時代の遺物や糞石などの調査から、縄文人は昆虫を食していたことが明らかになっています。縄文時代は自然食の時代ですので、昆虫は今よりもずっと身近な食糧だったでしょう。
平安時代に書かれた日本現存最古の薬物辞典「本草和名(ほんぞうわみょう)」の中には、イナゴを食べていたこと示す記述があることがわかっています。中国から伝わった漢方薬には昆虫が使われることが少なくないですから、薬用としてはさらに他の昆虫も食されていたのでしょう。
やっぱり昆虫食は佃煮に限る
江戸時代にもイナゴが食べられていたことがわかっています。江戸時代の有名な百科事典・守貞謾稿(もりさだまんこう)の中にはイナゴの蒲焼売り(螽蒲燒賣)の説明があり、イナゴを串に刺して蒲焼にして食べていたことが示されています。
喜田川守貞 著「守貞漫稿 上巻 第五編」より
江戸時代にはその他にもゲンゴロウやタガメ、虫の幼虫なども食されていました。調理方法は揚げたり茹でたり色々ありましたが、この頃からやはり佃煮は定番だったようです。蜂の幼虫も食べられていましたが、これは現在は「はちのこ」という名で呼ばれ、比較的メジャー?な昆虫食ですね。
喜多川歌麿「画本虫撰」より
江戸時代、「蚕のさなぎ」も食べられていましたが、これは養蚕がすでに行われていた平安時代頃から食べられていたとも考えられます。
大正時代の食用昆虫の調査では驚くべき結果が
大正時代には昆虫学者・三宅恒方によって食用・薬用昆虫の全国的な調査が行われました。これによると、食用として消費されていた昆虫は8目48種、所属不明7種、合計55種にもなりました。薬用としてはさらに多い123種。ただし、バッタ、チョウなどと回答したものが多かったので、種数は実際にはもっと多かったであろうと考えられています。(「昆虫食古今東西」 三橋 淳 著より)
「食用及薬用昆虫に関する調査」三宅恒方
なお、三宅恒方が1919年に作成した報告書はAgriKnowledgeで確認できます。
食用及薬用昆虫に関する調査
江戸時代以前の昆虫食に関する情報は現存する資料にはあまり記述が見られないため実態を把握しきれませんが、昆虫の種類の多さや食文化の地域差、そして大正時代の調査でこれだけ多くの昆虫が食されていたことを考えると、同等かそれ以上の昆虫が食されていたものと考えられるのではないでしょうか。
イナゴはどの時代においても食べ継がれてきた、日本のソウルフードと言うことがわかりました。今夜あたり、イナゴの佃煮を肴に一杯いっときますか。