発明王と聞くと、多くの方はエジソンを思い浮かべるかと思いますが、彼よりおよそ半世紀前、江戸時代の日本でも「からくり儀右衛門(ぎゑもん)」と呼ばれた天才発明家が活躍していました。
彼の名前は田中久重(たなか ひさしげ)。数々の発明によって世の人々を驚かせ、後に東芝(芝浦製作所)の創業者となった彼ですが、その代表作の一つに「弓曳童子(ゆみひきどうじ)」と呼ばれるカラクリ人形があります。
子供が弓に矢をつがえ、次々と射ていくのですが、単に矢を飛ばすだけでなく、狙いを定めるなど仕草もリアルで、それがちゃんと的に当たるという精巧さ。
これが糸やゼンマイだけで動いているというのですから、その発想力には舌を巻くばかりです。
しかし、用意されている4本の矢のうち、一発だけは必ず射損じてしまいます。せっかくなら百発百中の方がいいでしょうに、これはどうしたことでしょうか。
すべて的中じゃ、つまらない?
この必ず射損じてしまう矢については昔から諸説あり、よく聞くのが「儀右衛門がそのように細工したのだ」という話。
射る矢すべてが必ず的中していては、観ている方も「そういう仕組みなんだから的中して当然だろう」などと、すぐに飽きてしまうでしょう。
しかし、必ず当たる訳ではないとなれば、当たるかどうか緊張感がありますし、当たった時の喜びも一入(ひとしお)と言うもの。
そういう視点で見ていると、矢を外してしまった時に見せる童子の表情が、何だかちょっと悔しそうに見えてくるから不思議です(実際には、顔のパーツまでは動いていません)。
あの「からくり儀右衛門」なら、そのくらいの深慮遠謀をもって1/4の確率でランダムなミスをするよう設計したに違いない。さすがは後世「東洋のエジソン」と言われるだけのことはある……となりますが、実際は違ったようです。
小さな矢の1本にまで込められた精髄
実はこの弓曳童子、修復された時に矢も作り直されており、1本だけ調整が上手くいかず、外れるようになってしまったとのこと。
(※1/4のランダムでわざと射方を変える仕組みにはなっていないようです)
細かなパーツなので簡単に作れるだろうにと思いきや、小さいからこそ微妙な加減が必要なようで、矢羽根の一枚々々にいたるまで精巧に作れたのは、やはり「からくり儀右衛門」ならではという事でしょう。
しかし、一本だけ外れるようになったことで、弓曳童子にユーモラスさが加わり、その魅力をかえって高めているようにも思われます。
歴史や文化はただ厳密に記録・継承するばかりではなく、受け継ぐ人の個性が少しづつ加わっていくことによって、より活き活きと血を通わせていくものであることを、弓曳童子は教えてくれているようです。
※参考:
立川昭二『甦えるからくり』NTT出版、1994年1月
河合敦『誰も知らない江戸の奇才』三栄書房、2019年11月
村上和夫『完訳からくり図彙』並木書房、2014年10月