「七転び八起き」のダルマさんには、実在のモデルがいます
民芸品として不動の人気を誇る「ダルマ」。お正月に目玉を描き入れて1年の幸運を願ったり、選挙や受験の必勝を祈願する縁起物としてもおなじみですね。
ダルマさんには、実在のモデルがいました。「瀬谷八福神」の1つとしてご紹介した長天寺など、日本各地の禅宗のお寺に祀られている「達磨大師」です。
達磨大師は、禅宗の開祖として知られる、5世紀後半〜6世紀前半頃の僧侶です。
仏教を開いたお釈迦様がインドの釈迦族の王子だったことはよく知られていますが、実は達磨大師も南インドの南天竺国の第3王子として誕生し、父である国王が亡くなった後に出家して僧侶となりました。
高僧・般若多羅のもとで40年修業した後に、インド、そして中国へと仏教の布教のために旅立ちました。528年11月2日(永安元年10月5日)に、なんと150歳で亡くなったと伝わっています。
達磨大師が丸いダルマさんになった理由
達磨大師がモデルとなった「ダルマ」には、丸くて手足がありません。
このような姿になった理由は、達磨大師が9年というあまりにも長い間、洞窟で壁に向かって座禅を組んでいたため、手足が腐ってなくなってしまったのだという言い伝えがあります。
達磨大師の人並みはずれた偉大さを伝える伝説ですが、実際には達磨さまの着ていた法衣の下に手足が隠れて見えなかったため、そのまま省略されて現在のように手足のない姿になったのだと言われています。
達磨大師はイエス・キリストの使徒だった?
達磨大師には、キリスト教の開祖であるイエス・キリストの弟子の使徒トマスと同一人物だという説があります。実際には、使徒トマスがインドでキリスト教の布教を行ったのは1世紀のことなので、達磨大師が生きたのが5〜6世紀ということから考えると矛盾が生じます。
なぜこのような伝説が生まれたのでしょうか?
1つには、インド出身のダルマ大師は彼がモデルの民芸品「ダルマ」の顔を見ても分かるとおり、彫りが深くて眉や髭が濃く、トマスと同じ中近東の出身では?と思わせる容姿をしていたことが考えられます。
また2人の亡くなった日が達磨大師11月2日・トマス12月21日と近いことや、インドに渡って教会を開いたトマスが「トマ」と呼ばれていたこと、両手足を切られて殉教したことなど、様々な重なる要因があったようです。
いずれにせよ、達磨大師も使徒トマスも「七転び八起き」の不屈の精神は、共通していたようですね。