多くの人にとって切っても切れない縁であるお酒。時には娯楽、時にはストレス発散にと用途は様々ですが、気分が乗ってついつい飲みすぎて酔っ払ってしまうことも…。
そんな時に起こした失敗は酔いがさめた後に知ってしまうとものすごい後悔の念に苛まれるかと思います。
それは昔も同じで酒好きで知られる戦国武将の福島正則はお酒に酔ってしまい、大切な名槍を失う失態をおかしていました。
今回はそんな正則のエピソードをご紹介します。
実は豊臣秀吉の従兄弟!
正則は永禄4年(1561)、桶屋を営んでいた父の元で生まれます。そして、母である松雪院が豊臣秀吉の生母・大政所(おおまんどころ)の妹である縁から正則は幼少の頃から小姓として秀吉に仕えました。
従兄弟にあたる秀吉の元、初陣は天正6年(1578)の三木合戦で飾ります。その後は山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いなど秀吉の天下統一における重要な戦で活躍しました。
特に賤ヶ岳の戦いでは一番槍と一番首を挙げ、加藤清正や片桐且元(かたぎり-かつもと)と共に「賤ヶ岳の七本槍」として名を馳せました。
秀吉が天下統一した後は朝鮮出兵の文禄の役にも参加します。そして、休戦となったある日、正則に思わぬ来客が訪れました。
宴の時に現れた人物を前に…
正則が伏見城にある屋敷で酒宴を開いていると黒田長政の代理として母里友信(もり-とものぶ)がやってきました。
用を終えて帰ろうとする友信に対して、お酒が入っていた正則は酒をなみなみと注いだ大杯を勧めます。
友信は家中でも有名な酒豪でいましたが長政の使者であるため、それを断りました。そんな友信の反応が面白くなかった正則は「これを飲み干したら好きなものを褒美としてあげようじゃないか」としつこく勧めます。
それでも断り続けた友信に正則は「黒田武士は酔えば何の役にも立たない酒に弱い者ばかりなんだな」と侮辱の言葉を浴びせます。
一方的に家中を馬鹿にされた友信は黒田武士のメンツを守るため、大杯を一気に飲み干し、さらに数杯飲み干しました。
友信は正則の約束を守ったので、正則が秀吉から賜った天下三名槍の一つである「日本号」を褒美として持ち帰りました。
酔いが覚めた時に訪れた後悔
翌日、酔いがさめた正則は酔った勢いでやってしまったことの重大さを身に染みて思い知ります。そして、友信に日本号を返すよう促す使者を出しますが、友信は「武士に二言は無用」とばかりに使者を突き返しました。
友信はその後日本号を愛用の武器とし、朝鮮出兵で武功を挙げました。
この話から現代でも知られる有名な一節が誕生
この話は後に「黒田節」という福岡県福岡市の民謡のモデルとなります。
「酒は呑め呑め、呑むならば、日本一(ひのもといち)のこの槍を、呑み取るほどに呑むならば、これぞ真(まこと)の黒田武士」の一節はあまりにも有名ですね。
また、日本号はこの話から「呑み取りの槍」の別名がつけられるようになりました。
酒は飲んでも飲まれるな
お酒は人を変えると言いますが、正則はお酒を飲むと横暴な一面が目立ったようですね。正則のような状態になると酔った後に自分がやったことに気がつかなくなるのも窺えますね。
酒好きと言えども人なので、飲み過ぎると酔い始めてくるのは必然のこと。お酒は嗜む程度にとどめたいですね。
参考:長谷川ヨシテル『ポンコツ武将列伝』