歴史好きなら、元寇(げんこう)のときに神風が起こり、2度も日本を救ったエピソードを聞いたことがある人も多いと思います。
しかしその神風を起こしたのは、「風の神様」だったという伝承はあまり知られていません。そこで今回は、元寇を退けたと言われる風の神様についてご紹介します。
神風によって元寇から救われた日本
元寇とは、鎌倉時代にモンゴル帝国と高麗によって行われた日本侵攻のことです。1274年「文永の役」と、1281年「弘安の役」を合わせて元寇と呼びます。蒙古襲来とも。
当時のモンゴルは世界最強の軍事力を持っていたため、圧倒的な力の差を見せられた鎌倉武士は驚いたでしょうね。
『蒙古襲来絵詞』前巻・絵5・第17紙(wikipediaより)
文永の役では4万人、弘安の役では14万人もの兵力で侵攻してきたモンゴル帝国と高麗。しかし日本に上陸した軍が夜半になり船へ引き上げたところ、台風によって船が沈められてしまったのです。
しかも1度だけでなく2度も台風によってモンゴル・高麗軍を撃退していることから、「神風」だと言われるようになりました。
そしてこの神風を起こした神様が、伊勢神宮の風宮・風日祈宮に祀られている風の神様だとされているのです。
伊勢神宮に祀られている風の神様
大きな規模の神社には、同じ境内にいくつかの小さな神社がありますよね。メインを本社(正宮)、本社に縁のある神様を祀った摂社、それ以外を末社と区別されています。
ご存知のように、伊勢神宮にもたくさんの神様が祀られており、その数なんと125社。正宮は内宮と呼ばれる「皇大神宮(天照大御神)」と、外宮の「豊受大神宮(豊受大御神)」です。
そして伊勢神宮には、正宮に次いで尊いとされる「別宮(わけみや)」が10社あります。この別宮の「風宮(かぜのみや)」と「風日祈宮(かざひのみのみや)」が、元寇の際に神風を起こしたと言われているのです。
風日祈宮(wikipediaより)
こちらに祀られているのは、風雨を司る「級長津彦命(シナツヒコノミコト)・級長戸辺命(シナトベノミコト)」という神様。
古事記ではイザナミ・イザナギ夫婦神によって産み出された神であり、「志那都比古神(シナツヒコノカミ)」と呼ばれています。
風宮(wikipediaより)
元々、風宮・風日祈宮は伊勢神宮の末社でした。しかし、元寇のときの活躍が認められて別宮に昇格したのです。末社から別宮というと、今の会社で言えば平社員から一気に幹部昇進ということでしょうか。かなりの大出世ですね。
大出世を果たした風の神様
さて、末社だった神様がどうして元寇の折に昇格したのかと言えば、当時の朝廷から伊勢神宮に送られた勅旨によって祈祷が行われたからです。この祈祷によって神風が起こり、蒙古を撃退できたということなのでしょう。
その様子は、鎌倉時代の歴史書・増鏡(ますかがみ)にも記されています。増鏡は、1183年の後鳥羽天皇即位からおそよ150年間の歴史を扱っている書物です。
さて為氏の大納言、伊勢の勅使にて上る道より申しおくりける。
勅をして祈るしるしの神風に寄せくる浪ぞかつくだけつる
引用元:増鏡
当時の風宮は風社(かぜのやしろ)、風日祈宮は風神社(ふうじんのやしろ)と呼ばれていました。
しかし、農耕に深く関わる風雨を司ることから、末社でありながらその存在はけっこう大きかったようです。出世するだけの素養は、元々 兼ね備えていたということでしょう。
イメージ画像(イラストAC:マルギムさんより)
その後 元寇を退けた功績が認められ、「風宮」「風日祈宮」となったのです。元寇以来、この風の神様には国難から守ってくれるという属性がつきました。
伊勢神宮に行った際にはぜひ風宮・風日祈宮に立ち寄って、風の神様に国の平和をお願いしてみるのもいいですね。
参考サイト
- 伊勢神宮
- 増鏡・全二十巻