うず高く積み上げられた茶色いゴミの山。
自分と同じか、もっと幼い子供達が、ゴミをかき集めて運んでいる。
秋元才加さんはその場所のことをよく覚えている。
「ちゃんと見ておきなさい。うちはお金持ちではないけど、日本でちゃんと学校に通えて、勉強ができている。
とても、恵まれていることなんだ。だから頑張りなさい」
幼い頃、フィリピン出身の母親らに連れられて行った、マニラ郊外のスモーキーマウンテン。
この世界には様々な境遇や考えの人がいて、気持ちを全て理解できなくても、よく知り、考えることで、共に生きられる。
両親はそんなことを伝えようとしていた。
「人と分かり合えるって、期待しすぎないこと。
それは幼少期の私の経験も影響しているのかもしれません」
「元アイドル」にとらわれない存在感
AKB48を卒業して7年。
2020年、俳優としてハリウッド映画デビューを果たした。それだけではない。
ジェンダー平等やLGBTQ、人種差別などの社会課題について、Twitterで意見をハッキリと表明する。
的外れな批判に、時には毅然とした態度で切り返すこともある。
想像されるような「元アイドル」の枠にとどまらず、きちんと主張する俳優として、その存在感は日増しに大きくなっている。
裕福ではなかった。いじめも経験した。
「自分はマイノリティなんだという意識がずっとあります」
秋元さんは、父親が日本人、母親がフィリピン人という2つの国をルーツに持つ。
それを理由に小学生の頃にはいじめられた。
父は専業主夫で、母は夜も忙しく働いていた。
裕福な家庭ではなかった。
「当時、フィリピンとの『ハーフ』あるいは『ダブル』は、私の周りにはあまりいなくて、いじめも経験しました。
家も貧しくて、何でも買ってもらえる状況ではなかった。
それに、同じ『ダブル』なのに、アメリカやフランスなどの他の国なら『かっこいい』って言われることも多いのに、なんでアジアだとそうではないんだろう。
それが疑問でもあり、悔しい思いもしました。
だから、『みんなにとっての当たり前』が、私にとっては当たり前ではなかった。
必死に勉強したり、芸能界を目指したり、私の反骨精神はそういうところから来ているのかな」
だが、飛び込んだアイドルという世界では、自分のコンプレックスと嫌というほど向き合うことになる。
自分だけ、似合わないように感じた。
166センチの、平均より高い背丈、目鼻がはっきりとした顔立ちーー。
その容姿が、アイドル時代にはコンプレックスだった。
「持って生まれた本質って、変えることはできない。
でも10代から20代、それが変えられるはずだ、と思い込んでいました」
AKB48の衣装といえば、カラフルでポップ。
制服風や、パフスリーブのドレスや、リボンやフリルがついたミニスカートも多い。
お揃いの衣装が基本だが、自分だけ、似合わないように感じられた。
たとえば、ピンクのドレス。
後輩のまゆゆ(渡辺麻友さん)など、可愛らしく着こなし「完璧なアイドル」を体現するメンバーもいた。
そんな姿と自分とを比較しては、欠点ばかりが目に入った。
「私も似合うはずだ、似合わなきゃいけない、似合わない自分が悪い...」
そう思い込んで自分を追い詰め、深みにはまっていった。
「痩せ信仰」に苦しみ
多忙な生活とダイエットで、生理が止まった経験もある。
「私は標準的な日本女性の体型より、ももとお尻が大きいんです。
自分ではそれを変えたくて、10代の頃、一時期は毎日、ヨーグルトとサラダだけを食べていました」
日本の女性は、痩せすぎの傾向にあると言われている。
極端なダイエットが原因で、摂食障害などに繋がることもある。
アイドルという仕事は大勢の視線に晒される機会が多い。
自分の容姿に関して、必要以上に言及される負担が積み重なっていく。
「一人だけデカい」「筋肉すごくない?」
...そんな言葉に、苦しんでいた。
激しいダイエットの結果、確かに体重は減った。
でも、「ガリガリに痩せても、自分が望む体にはなりませんでした」
私に自信を与えてくれたのは…。
人と同じにならなくてもいい。
個性は魅力になる。
そんな風に思えるようになった理由の一つは、メンバーとの関わりだった。
最近寄稿した『文藝』(河出書房、2020年秋季号 )の特集「覚醒するシスターフッド」で、秋元さんはAKB48時代を振り返りながら、こんな思いを綴っている。
「女性が連帯した時の心強さやパワーを、私は知っていた」
フェミニズムの視点で、日本のアイドル産業を見ると、幼さを売りにし、女性に対する幻想を体現する存在であることなどが批判の対象となる時も多々ある。
最近、フェミニズムを学び始めたという秋元さん。
その視点には頷くこともあるが、自分がいた世界を否定しきれないという複雑な思いもある。
自分が体験した、自信を持って生きるきっかけをくれた女性たちの連帯や、ファンとの関わりの全てが、決して批判されるだけのものだとは思えなかったからだ。
悩んでいた秋元さんを見ていたメンバーは、
「才加には個性があるんだから、馴染もうとすることが間違ってるよ」
「そのままでいることが一番素敵だよ」
と声をかけ続けてくれたという。
また、応援してくれるファンからも、握手会などで「秋元さんの筋肉が躍動する姿がいい!」などの言葉をもらった。
「私に自信を与えてくれたのはアイドル時代があったからこそ。
振り返ると、よくない部分もあったかもしれないけれど、これからの時代のアイドルは、もっとアップデートして、女性がもっと強くなっていかないといけない。
今は少し離れたところから見ていて、少しずつこれまでとは違うアイドル像が生まれ始めているなと思います」
その「目標」、本当に合っている?
キャリアを積むにつれ、AKB48でもパンツスタイルが取り入れられるようになった。
秋元さんや他のパンツスタイルが似合うようなメンバーも、それぞれに自分らしいスタイリングができるようになっていった。
「だんだん自信がついてきて、自分が本当になりたい姿をちゃんと考えるようになりました。
実現できること、できないことをふまえて、きちんと目標を立てるようにしました。
そしたら、物事がすごく楽になった。
私と同じように苦しむ人は、その目標の設定を間違えているのかも。
痩せたからってすごく魅力的になれるわけではない。
自分のチャームポイントを見出すほうが大事。
それが今ならわかります」
秋元さんのロールモデルは誰ですか?
「強い女」が輝いた場所は
苦しみも、喜びも味わった、AKB48卒業から7年。
2020年、アクション映画シリーズ『山猫は眠らない』の最新作でハリウッドデビューを果たした。
主人公の敵となる暗殺者という大役。
アメリカの名俳優と共演し、映画のポスターの中心に立った。
かつてはコンプレックスで変えたいと思っていた、日本女性の平均よりも高い身長。
それが、ハリウッドに挑むには武器になった。
身体能力の高さをいかし、ガンや身体を自在に使ったアクションを披露した。
「日本だと、私の身長や体格は大柄なほうですが、ハリウッドだとちょっと細いぐらい。
ビジュアル的にもフィジカル的にも強い女性の役自体が、日本の作品ではあまり出てこないですよね。
どちらかというと『優しい女性』が求められることのほうが多い。
初めての経験で、アクションには必死でもがいて挑みましたが、私のビジュアルで『優しく見せるには...』などと考えなくてもいい部分は、のびのびとできましたね」
カナダで行われた撮影では、公にしていなかった時期もある自分のルーツも、助けになった。
アクション監督が、フィリピンと中国の『ダブル』だったのだ。
何もわからない異国の地、勝手の違う撮影現場。
その中で、ルーツを同じくする仲間として迎え入れられた。
「スタントを使わず、もっと自分で演じてみて」と励ましてくれた。
映画監督にも「本人の意思を尊重してあげて」と進言、秋元さんがスクリーンで輝けるよう、様々な世話を焼いてくれた。
「海外で、まるで家族に出会えたような。すごく心強い存在でした」
ハリウッドで一番苦労したことは?
「私と結婚したら楽しいよ」
幼い頃から憧れていたのは、「強い女性」だった。
母や祖母と一緒に、彼女たちが好きなスティーブン・セガールのアクション映画を観るのが好きだった。
「女は強くあるべきだ」と言われて育ち、外で働く母親の姿を見て、「かっこいい、女性ってすごい」と感じていた。
2020年にはラッパーのPUNPEEさんとの結婚を発表。
「私と結婚したら楽しいよ」と自らプロポーズしたと明かしている。
「相棒」のような、対等な関係性も話題になった。
「たとえば、男性におごられるのも苦手で、フラットじゃない感じがするんですよね。
逆の立場を考えた時に、男性であるというだけで、多くのお金を払うのもおかしいなって。
父がずっと専業主夫だったこともあるかもしれません。
性別に基づいて決められるのは、ずっと違和感がありました」
おはようございます。
— SAYAKA AKIMOTO (@akimotooo726) June 22, 2020
この度私、秋元才加は6月20日に結婚致しました。
今後も変わらず、精進して参ります。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。 pic.twitter.com/Sl1wOUvKid
「母にも祖母にも、ずっと『自分1人で生きられるようにしなさい』と言われてきました。
だから、ちょっと根本的に、誰かに頼って生きる感覚が欠けているのかも。
常に対等であるべきじゃないかって思ってます。
最近はそういう私の考えを『いいね』って言われることが増えてきて、いろいろと声をかけていただくことも増えてきました」
「寂しくなった」母親と自分の間の壁
新型コロナの感染拡大に伴う自粛期間。秋元さんにも変化が訪れていた。
特別定額給付金について話をしていた時に、母親がふと漏らした言葉がある。
「でも、私外国人だから。その制度受けられないかもしれない」
結局、外国籍の人にも支給されることになった。
けれど、その会話をした時に初めて、日本国籍の自分と、外国籍の母親が、この国で同じ権利を得られないことがあり得るのだと認識した。
秋元さんはその時の会話を振り返って「寂しくなった」とツイートしている。
母と会話中「でも私外国人だから。その制度受けられないかもしれない。」と言われ、ハッとした。日本で国際結婚し子供が居て、私は日本人として母が場合によっては与えられない色々な権利を当たり前に与えられていた事を知り驚いた。
— SAYAKA AKIMOTO (@akimotooo726) April 17, 2020
同時に、日本に長く住む外国人の権利について色々考えさせられた。
そのほかにも、政府の政策や社会問題を巡り、意見表明をする機会が増えていった。
「非常事態が続く中で、自分がちっぽけな存在だと実感したんです。
それで、『芸能人』以前の『日本国民としての私』のほうが、大きなものになっていきました」
4月には、LGBTQの祭典「東京レインボープライド」のオンラインイベントにも参加。
性的マイノリティの人々の権利を守ること、「アライ」(理解者・支援者)として自分たちができることについて話し合った。
秋元さんは身近な友人に性的マイノリティの当事者がいたとして、「最初は少し失礼なことをしたとしても、『歩み寄って理解しよう』『この人をもっと好きになりたい、知りたい』っていう気持ちの方が大事」と話した。
発信を続けていると「リベラルですね」「勇気がありますね」と称賛されることが増えてきた。
しかし、それにもまた、レッテルを貼られているような、居心地の悪さを感じているという。
秋元さんにとってはごく自然な成り行きだったからだ。
「フィリピンと日本の『ダブル』であるという私の出自や、LGBTQの当事者である友人がいることもあって、社会問題は、私にとって常に身近な問題でした。
だからそもそも、政治って難しいことなのかな?って。
人の立場や視点によって、見え方が異なるから正解もない。
もっと身近に話していきたいです」
批判をどう感じているのか?
Twitter上で意見を表明する上で、今、避けて通れないのが人々からのバッシングだ。
秋元さんがハッシュタグによるデモに参加した際にも、誹謗中傷の言葉を浴びた。
「芸能人が政治的な発言をするな」
「ちゃんと勉強した上で発言しているのか?」というような非難もあった。
辛くはないのか。
心ない声をどう感じているのか?
「世界が急激に変わって、人の本質がむき出しになった状態が、顕著になっていると感じています。
確かに私もすごく叩かれると、不安になります。
でも、そこまで気にはしていないですね。
『分かり合おう』と思う姿勢はすごく大事だけど、分かり合えないことも、ちゃんと受け止めなきゃと思っています。
間違っているかもしれない。
間違ったら謝りたいけど、その時の私がそう思ったんだから、それをまずは尊重したい。
だからこそ、人の意見も
『私とは違いますね。でも、あなたの意見はわかりました』
って互いを尊重できたらいいのかなって」
疑問や間違いに気づいたらどう行動する?
自分は人とは違う存在だ。
それぞれの意見を認め、尊重することは、「強さ」がないとできない。
その第一歩は、自分に自信を持つことから始まる。
秋元さんはそう考えている。
「昔は『強さ』がなかった」
実は、AKB48時代から今も変わらず実践していることがある。
振付師の夏まゆみさんに教わった、「自信を持つ方法」だ。
「『好きなこと、続けられることを10個続けなさい』って。
今でも、その小さな積み重ねを大事にしています。
それと、私、日記に書き残してるんです。
『今日はこんなことを褒められた』って(笑)。
嫌なことを言われたほうが覚えているもので、褒められたことって忘れていきませんか?
だから自信を失わないように、覚えておけるように」
人からもらったポジティブな言葉を信じる。
好きなことを継続する。
広い世界を知る。
そして、自分のことをちゃんと守ることで、相手を尊重できるーー。
秋元さんは、そうして自分のコンプレックスと付き合い、「自信」を持ち、顔も名前も知らない「誰か」のことも尊重できるようになったのだという。
「自分の思いを尊重すること。
この強さって、すごく当たり前にみんな持ってなきゃいけないものだと思うんですけど、これを育むのはすごく大変だなぁと思いました。
その力をつけること。別に政治の知識があるとかないとかじゃなくて、その時私はこう思ったって言葉にして伝えられること。
それが自信だと思うんです。
私も、昔はその『強さ』がなかった。
10代、20代の頃は人の意見を鵜呑みにすることもありましたし、今でもそういう一面はあると思います。
だからこそ、学んで吸収する姿勢を大事に、自分なりのペースでアップデートしていけたらいいなぁと思ってます」
(取材・文=若田悠希、泉谷由梨子、動画=坪池順、写真=小原聡太)
当記事は、ハフポスト日本版とLINE NEWSとの特別企画です。