『ザ・クラウン』におけるダイアナ妃の旅は、姉サラがチャールズ皇太子と交際を始めた頃から始まっている。
皇太子が、姉と過ごすためダイアナ妃の生家オルソープにやって来たのが、後に結婚することになる若きダイアナとの出会いだった。彼女はギリシャ神話から出て来た木の妖精のように、顔を仮面で覆い、様々な木の葉で作ったサッシュを華奢な体に巻きつけていていた。
1981年の婚約インタビューでダイアナ妃は、チャールズ皇太子が1977年に狩猟のためオルソープにやって来た時に「耕された畑」で正式に紹介されたと語っていた。当時彼は29歳、彼女はまだ16歳だった。
が、チャールズ皇太子と出会う前のダイアナ妃の人生はどんなもので、他のロイヤルファミリーとも関わりがあったのだろうか?
ダイアナ妃は1961年7月1日、エリザベス女王の私領地サンドリンガムにあるパーク・ハウスで生まれた。彼女の育ちは、豪華さの点ではチャールズ皇太子ほどのレベルには達していなかったが、非常に恵まれているとは彼女も自覚しており、両親は王室から給与を得ていた。
父エドワード・ジョン・スペンサーはジョンや“ジョニー”と呼ばれていて、もともとはオルソープ子爵だったが、父の死に伴い8代目スペンサー伯爵となり、ダイアナ妃はレディの称号を得た。彼は陸軍騎兵連隊ロイヤル・スコッツ・グレイズの大尉で、ジョージ6世と戴冠後のエリザベス女王の侍従として彼らの公務を助けた。
ジョンは30歳の時に、ダイアナ妃の母で当時18歳のフランセス・ルース・バーク・ロシュと結婚。
フランセスは、王族の寝室付女官として働き、クイーン・マザー(エリザベス女王の母)とも親しかったルースと、4代目ファーモイ男爵の娘だった。ウエストミンスター寺院で行われた結婚式には女王も出席した。
ジョンとフランセスの間にはダイアナ妃を含めて5人の子どもがいる。サラは長女(1955年生まれ)で、次女はジェーン(1957年)。ジョンという男子もいたが悲しいことに生後数時間で死亡した。
その次に生まれたのがダイアナ妃で、なぜまた女の子が生まれたのか知りたい家族は彼女を婦人科医のもとにやった(まだ16世記のことのよう)。フランセスはまだ23歳だった。
1964年、5人目に後継となる待望の男子チャールズが生まれ、エリザベス女王がゴッドマザーとなった洗礼式はウエストミンスター寺院で行われた。
ジョンとフランセスは1969年に離婚。離婚は険悪なもので親権をめぐって激しい争いとなり、フランセスの実の母親は彼女に反対する証言をした。
彼女は4人の子ども全員の親権を失った。ダイアナは当時6歳だったという報道もあるが、7歳だったという説もある。
複数のメディアによると、フランセスは夫と別れ、壁紙で有名な企業の後継ぎピーター・シャンド=キッドと再婚。ピーターの若い女性との不倫により、後に2人は離婚した。フランセスは後に、有名な子どもを持つことでプライバシーがなくなったことが離婚の原因だと述べている。
「プレッシャーに圧倒され、とうとうピーターは耐えられなくなった。マスコミは彼ではなく、私を欲しがった。私は彼の妻ではなく、ダイアナの母になったのです」と『The Guardian』紙に語ったという。
1976年、スペンサー伯爵は政治家でソーシャライトのダートマス伯爵夫人レインと再婚。しかし彼女は1992年に死亡した。
ダイアナ妃と姉弟は子どもの頃から、この継母のことが嫌いだったと言われる。父が再婚したのはダイアナ妃が14歳の時だった。
しかしダイアナ妃は、実の母との関係とは異なり、レインが亡くなる5年ほど前には彼女と強い友情関係を築き、定期的に会っていたという。
2002年の元バトラー、ポール・バレルの裁判で、フランセスは、ダイアナ妃が亡くなった時、2人は4カ月ほど話していなかったと証言した。
『The Times』紙によると、チャールズ・スペンサー(現在は伯爵)は、ダイアナ妃が生まれた後に母が(男子が生まれないことで)婦人科医によるテストを受けた期間は「両親にとって恐ろしい時でおそらくそれが離婚の根本にある。2人はそれを克服することができなかったのだと思う」と述べた。
2003年に出版した『The Spencer Family』でチャールズと姉たちは「愛情ある両親」で、「離れていても、献身的にユーモアと誠実と尊敬を持って私たちの面倒を見てくれた」と述べている。彼はまた「私たちのために多くのことをしてくれた両親がいて、本当に幸運だと思う。2人ともすばらしい人柄だった」とも加えている。
しかし2020年の『The Times』紙では、チャールズの表現は異なっている。
「かなり感情的に壊れた子供時代」を送ったと、幼少期について非常に詳細に明かしているのだ。オルソープは「冷たく恐ろしい場所」で、祖父と父は不満で、彼自身も「非常に不幸な時代を送った」という。母が家を出た時、彼はまだ2歳だった。
「私は20年間、セラピーに出たり入ったりして来た。昨年は自分の不幸な子ども時代について非常に深いセラピーをたくさん受けたが、苦しく恐ろしい経験だった」と述べている。
姉のサラとジェーンは寄宿制学校に行っていたため、彼とダイアナ妃は「非常に仲が良く」、自分の悩みを彼女に打ち明けたという。
彼らの母は「母親業に向いていなく」、それが悲しみを悪化させるばかりだった。
「彼女は荷物をまとめている間、ダイアナ(当時5歳)に会いに戻ってくると約束したのです。ダイアナは玄関先で母をよく待っていたものですが、母が帰ってくることはありませんでした。彼女は僕が廊下で泣いているのが聞こえても、暗闇があまりに怖くて僕のところに来ることができませんでした」
一方で、彼は母を責めてはおらず、「彼女は他の人を愛し、夢中になっていたのです。悪意があったのではなく、無知だったのです」と述べている。
興味深いことに、チャールズの妻カレンがそのインタビューで夫について語っていることが、ダイアナ妃についても的を射ていると思う人は多いかもしれない。
「彼にふさわしい女性は常にいましたが、彼はそういう人には興味がない。彼の愛に応えられない人が彼にとっては魅力的なのです。心に傷を負っている人は傷つくことを求めます。チャールズくらいトラウマや人に見放された経験をしていると、脳がそういう回路になってしまっているのです」
Translation: Mitsuko Kanno