われわれが学校で教えられる正統的な地球生物進化論では、われわれ人類の時代はもちろん、恐竜の時代が終わって6500万年も過ぎてからようやくスタートする。
したがって恐竜時代と人類時代のあいだには、両者にとっては無限にも等しいほどの甚だしい時間差(時代差)が存在しているので、ときおりSF小説やSF映画で描かれるような恐竜と人類が共存する時代などは、残念ながら現実には存在していない。
だからわれわれ人類のうちのだれかが恐竜や同時代の海生爬虫類を現実に目撃するチャンスは、空想や想像の世界以外では100パーセントありえないはずなのだ。
ところが、そんな古生物学的正論を完全に超越したかのように、この地球上には、同時代に生きる恐竜たちの姿を目撃して、岩絵に描き残した有史前の原始人たちがいるらしい。
「中東クウェートの洞窟地帯のとある岩壁に、明らかに“草食性恐竜の親子連れ”らしき生き物と、それを狩りたてる原始人のハンター集団が描かれた“有史前岩絵”が発見された!」
遠い中東の小国での考古学的発見のせいか、日本のマスメディアにはまったく無視されてしまったが、インターネット上では「ワールドニューズ・デイリーレポート」が2017年5月29日付で、本来なら現代生物学上・人類学上もっと大きな関心を呼んでも決しておかしくないこの衝撃的な新発見に関する最新ニュースを、当の“有史前岩絵”のカラー写真とともにでかでかと報じた。
問題の岩絵を最初に発見したのは、地元で牧畜業を営む67歳の男性アル=ジャービル・シャヒーン(仮名)だ。
放牧しているヒツジの群れの頭数が、何度数え直しても1頭足りないので、ひょっとしたら山地に迷い込んだかと捜し回るうちに、これまで入り口が雑木や雑草に覆い隠されていたせいか、だれもその存在に気づかなかった巨大な洞窟に出くわした。
大洞窟の内部に恐る恐る踏み込んだシャヒーンは、そこで予想もしなかったものを見つけて呆然と立ち尽くした。岩壁の表面のそこかしこに見上げるような高さにまで、大小の人間や身近な動物たちや意味のよくわからない図形などが、黒や赤茶色の顔料で描き散らされていたからだ !
だが、この“洞窟内有史前岩絵”の最初の発見者となった民間人よりはるかに強烈な驚きに打たれたのは、その発見報告を受けて現場の洞窟を調査しにきた人類学や古生物学の専門家たちだった。
そこにはたくさんの人間や動物の姿が描かれていたが、とりわけ学者たちの好奇心を強く惹きつけたのは、岩絵全体の左上方、いちばん高い位置に線描きされた大小ふたつの動物だった。
大きいほうは頭が小さくて首が長く、胴体が太くて長い尻尾を垂らし、いかにも4足歩行の“草食恐竜”のように見える。
さらにその長い首の下近くには、サイズははるかに小さいが、ほとんど同じような姿形をした恐竜も描かれている。これはひょっとすると恐竜の子供という可能性もありそうだ。
“恐竜が描かれている”という解釈が当たっているとすれば、ここには“母竜”と“子竜”の親子連れか、あるいは体の大きいオスと小さいメスの恐竜カップルが描かれていることになるだろう。
巨大草食恐竜の岩絵
「初めてあの岩絵を見たときには、よくある観光旅行者のイタズラ書きの類いでは、とも正直疑ったよ。世界的な旅行ブームの時代になったせいか、名所や旧跡にこっそり自分の名前を記して汚すような不届き者も現われるようになったからね」
現場の科学調査にあたった古生物学調査団のひとり、クウェート考古局のアブドゥル・アル=シャラフィ博士は説明する。
「でも、岩絵に使われた赤茶色の顔料を厳密な放射性炭素年代測定にかけて調べたところ、意外な事実が明るみに出た。
岩絵の各部分から採った顔料サンプルを年代測定した結果、恐竜らしき生き物が描かれた年代は、ほかのどの絵の年代に比べても格段に古く、少なくとも数千年前にまで遡れることが判明した」問題の岩絵の保存管理責任者にこのほど指名されたというアル=シャラフィ博士の解説によれば、この“恐竜岩絵”が描かれた洞窟が存在する一帯には、紀元前数千年から紀元後数世紀まで、狩猟採集民が集団生活をしていた形跡があるという。
いくら何でもこの“恐竜岩絵”が、有史前の原始人が逞しい想像力だけでわざわざ描き遺した単なる空想画とはとうてい思えないから、考えられる可能性はただひとつしかない。
同時代にこの洞窟周辺の山野に棲息していた巨大な草食性恐竜を実際にその目で目撃して(それどころか、狩りの獲物にしていた可能性さえありそうだが)、受けたその強い印象を岩壁高くに描き残したのではないだろうか。
それより下方に描かれた槍を持ったり寝そべったりとさまざまなポーズをとる人間たち、巨大なウシ、意味不明の図形などは、おそらく同族の後継者たちが後代に描き加えた岩絵と思われる。
もしこの論理的推測が正しいとすれば、このクウェートの“恐竜岩絵”は、筆者の設定する分類学的定義に準拠して、いわゆる“恐竜オーパーツ”の一種と認めるのがまさしく妥当だろう。
ムー愛読者のみなさんなら、オーパーツが何を意味するか、とうにご存じのはず。
“場所にも時代にも合わない工芸物(アウト・オブ・プレース・アンド/オア・タイムアーティファクト)”の恐竜バージョンという意味になる。
有史前の時代はもちろんだが、おそらくは有史後の時代に入ってからも、恐竜が大繁栄した時代から辛うじて生き残ることが許された恐竜たちが、少数ながらこの世界のどこかでときおり目撃されつづけた、という可能性は少なからずある。
そんな同時代を生きる恐竜を目撃した人たちは、強烈な印象とともに神秘的な畏怖と畏敬の念に打たれ、おのれの見た恐竜の姿をいつまでも忘れまいと、岩絵や土偶やさまざまな装飾物に造形して後世に残してくれたのだろう。
最近報道されたクウェートの例にも見るように、この地球上のここかしこで、恐竜時代が生物進化論の正統派的主張とはうらはらに必ずしも6500万年前に決定的な終焉を迎えず、ほんのひと握りにせよ恐竜や類縁種族が有史後の時代までしぶとく生き残って生存しつづけたという、それはまぎれもない証なのだ。
(ムー2019年10月号より抜粋)
文=南山宏
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