母殺害…殴られ、切られながら医学部9浪。獄中で娘が思う「本当は母に伝えたかったこと」
看護師の女性が実の母親を殺害し、バラバラにして捨てたーー。
2018年、滋賀県守山市で起きた衝撃の事件。背景には、国立大学医学部に入るために9浪を強いられた、壮絶な「教育虐待」があった。
成績が悪ければ、殴られ、切られ…。「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」と裁判で語った娘は、服役中の今、何を思うのか。
2024年2月、37歳になった彼女からMr.サンデー取材班に届いた手紙には、自ら殺めた母への複雑な思いが綴られていた。
「駄目な私も、お母さんの子供として受け入れてほしかった」、と。
なぜこれほどまでに、追い詰められたのか
なぜ女性は自らの母に手をかけてしまうほど、追い詰められたのか――。
その背景をひも解いていくうえで、女性の幼少期や犯行に至るプロセス、裁判でのやりとりについては、書籍『母という呪縛 娘という牢獄(齊藤彩・講談社)』をもとにした。
加えて、独自取材によって得られた証言や、4通に及ぶ娘本人からの手紙などから浮かび上がってきたのは、母からの執拗な教育虐待と人格否定の末に徐々に壊れていく、母に愛されようとした娘の姿だった。
公立中学なんて「みっともない」と考える母
髙崎あかり(仮名)の母、妙子(仮名)は、裁縫が得意で小学校の体操着袋などもすべて手作りする、いわゆる“良き母”だった。娘のあかりもまた、当時は母のお手製を誇らしげに思う子供だったという。
ただ、母には当時から「学歴信仰」とも言うべき、強い執着があった。公立中学の生徒を見ると舌打ちして「みっともない」とつぶやき、バカにする母の姿が、あかりの脳裏に残っているという。
当時のあかりは成績も優秀で、卒業文集でも小学生離れした筆致で、将来の夢を生き生きと描いていた。
「メス----銀色に輝くメスを持ち、冒された患者の腹部にメスを入れる。3時間経った。手術は全て終わり、彼女は誇らしげにニヤッと笑った。私の夢はメスと言っていた彼女。つまり外科医になることです」
あかりは、漫画『ブラック・ジャック』に憧れ、外科医になることを夢見た。しかし、やがて母は、その夢を自らの“学歴信仰”に組み入れてゆく。
「医者になるなら中学は、国立の付属中か環境のいい私立しかありえない」。そう、娘に吹き込むと、こんな言葉で娘にプレッシャーをかけていったという。
「テストの問題は授業で習ったところしか出ないんだから、真面目に授業受けてきちんと復習すれば、満点が取れて当たり前!取れないという事は努力していない証拠!!」
外科医になるという夢が、いつしか母の唯一無二の目標にすり替わっていった。
小学校時代にテストで89点を取った時、母は「こんな点数じゃ付属中学なんて行けないよ!バカ学校にしか入れないよ!どうしてこんなに悪い点を取ったの?」と、あかりを激しく詰問した。
あかりは答えられず、ひたすら泣いて謝った。
「止まり木のよう」な父との別れ
そんな毎日の中、唯一ホッとできるのは父親との時間だったという。あかりは、「父との関係は普通の父娘そのもの。父は止まり木のような存在だった…」と振り返る。
父とは、近くの琵琶湖で湖水浴をし、「虹の足下」を見にドライブした事など、楽しい思い出がある。
しかし、父は母の嫌味と口うるささを嫌がり、仕事と理由をつけて別居してしまう。あかりは息苦しい母と二人の生活を強いられたが、なんとか無事、母の勧める“私立の中高一貫校”に進学した。
しかし、母の「教育虐待」はエスカレートしていく。
包丁で切られ、熱湯をかけられて…
取材班は、あかりと中学高校6年間同じクラスだった友人に話を聞いた。あかりの印象は、「人に危害を加えたり嫌がらせをするのを見たことがないし、嫌な子という感覚は全くない」というものだ。彼女が今も思い出すのは、体に傷をつけて登校してくる姿だ。
中学・高校の同級生:
手首に3本切れた傷があって。『お母さんに包丁で3回ぐらい切られた』と言っていた。ちょっと衝撃すぎて…、みみずばれのように3本ラインが入っていた。
この学校では、期末の成績表に加え、担任による手書きの成績表が定期的に配られた。同級生によると、ある時あかりは「こんな成績じゃ、また酷い目に合う」と話していたという。
友人たちは、先生に成績のねつ造を頼みに行ったが、なぜ成績を書き換えなければいけないのか説明できず、対応してもらえなかった。
あかりは、放課後コンビニで手書きの成績表をコピーし、自分で成績を書き換えた。しかし、結局母親にバレてしまい、母親から熱湯をかけられるという暴力を受けたという。
中学・高校の同級生:
お母さんが異常に依存している印象がありますけど、あかりさんは別に依存していなくて。だけどやっぱりお母さんが好きなのだろうっていうのも感じていました。
「足りない偏差値分」の殴打
高校3年生となった年、大学受験を控えた三者面談で、教師は母親に「医学部医学科は厳しい」と現状を伝え、志望校の変更を提案した。
しかし母親は、担任に反発し、志望校の変更を許さなかった。
目標としていた国立滋賀医科大学医学部の偏差値「68」に対して、あかりの試験での偏差値は「58」。母は、「そのギャップを、体に覚えさせる」ため、足りない分の「10」回、あかりを殴打する虐待も行っていたという。
あかりは、虐待を唯々諾々と受け入れていたわけではない。実は、高校3年生の時、3度の家出をしている。行き先は、信頼していた国語の先生の家だ。取材班は、その“恩師”に話を聞くことができた。
高校時代の恩師:
お母さんに殺されると思ったから逃げてきたと。ともかく一晩泊めてくれと。
センター試験(現・大学入学共通テスト)から1週間後、あかりは恩師の家に行き、太ももに4、5個ある「あざ」を見せ「お母さんに回し蹴りされた」と話したという。
「回し蹴り」は明確な虐待だが、法廷で明らかになった真実は、より苛烈な「鉄パイプ」による殴打だった。恩師はすぐに担任の教師か警察に相談するよう話したが、あかり自身が拒否したという。
高校時代の恩師:
担任には言わないでくれ、じゃあ、警察に行くか?それもやめてほしいと。こっちとしては『早いところ公にした方がいいんじゃないか』と言いました。しかし彼女としては、言わんといてくれということだけでした。
その言葉に負け、通報を見送った恩師。
もし公にしていたら今回の事件は防ぐことができたと思うのか問うと、「分からないです。あのお母さんやったら、どうするか、分からないから」との答えが返ってきた。
本人が虐待を隠し、母親も表面的に取り繕っているため、警察などが気付くのはなかなか難しいだろう、という話だった。
八方塞がりの中、唯一の希望は大学合格だった。しかし高校3年だった2005年、あかりは最初の大学受験に失敗。
そこから「9浪」という地獄が待っていた。
9浪の末「看護学科」に合格、しかし…
9浪中、20歳を過ぎたあかりは、何度も家出している。しかし、恩師によると、そのたびに母親は探偵まで使って彼女を連れ戻した。
母の監視のもと、大人になってもひたすら受験勉強をさせられ続けたあかりは、9浪の末、27歳の時、ついに滋賀医科大学に合格した。
ただし、医学科ではなく「看護学科」だった。助産師になることを条件に、母が許したギリギリの妥協点だった。
大学入学後、あかりは看護師のやりがいに目覚め、夢だった外科医を支える手術看護師になりたいと考えた。
充実したキャンパスライフを送っていたが、2017年の春、3回生に進級する前に、大学受験前に母と約束した「助産師課程専攻選抜」に落ちてしまった。
「大学なんて辞めてしまえ!」
ここから、また母の呪縛が再燃する。その時交わした親子のLINEメッセージは以下だ。
母
「助産師になることが条件で大学に入れてやったのだから、助産師になれないんなら大学なんて辞めてしまえ!」「またお母さんとの約束を破りやがって!嘘つき!ばか!死ね!」
あかり
「本当に申し訳なく思っています。どうにかして助産学校の合格は実現させたいと思っています」
この時あかりは大学の付属病院の看護師に内定していたが、母は内定を蹴って大学を退学し、助産師学校を改めて受験するように強要した。
それは、あの牢獄のような生活に引き戻されることを意味していた。
「モンスターを倒した。これで一安心だ。」
2017年12月、母との連絡用以外に、もうひとつ隠し持っていたスマートフォンが母に見つかった。母は激高し、あかりに罵声を浴びせながら庭に飛び出ると、スマホを地面に置いてコンクリートブロックを叩きつけ破壊した。
さらに、深夜の庭で、土下座して謝罪するよう命じた。
再びやってくる地獄…、スマホの破壊…、深夜の土下座…。
母は娘が土下座する様を自分のスマホで撮影していた。この時、母が撮った写真は、後の裁判に証拠として提出されている。あかりは、この出来事が最後のトリガーだったと証言した。
2018年1月20日未明、あかりは、母を殺害した。
その日の午前3時42分、こうSNSに投稿した。
モンスターを倒した。
これで一安心だ。
恩師「とうとうブチ切れたか」
高校時代の恩師は、事件の第一報を聞いて「やっぱりやったか、とうとうブチ切れたか」と感じたという。また、「9年間もあんな状況で。本当によく生きていました。途中で死んでいても絶対おかしくない状況ですから」と話した。
その上で、いま教育虐待を受けている人に対しては、「まず助けを求めてほしい」と話す。
「そしたら、動きようがありますから。『何もせんといてくれ』って言ったら手の出しようが無くなりますからね」
獄中からの手紙「きっと心が救われます」
あかりは現在、懲役10年という控訴審判決が確定し、服役中だ。37歳になった彼女が獄中から取材班に送ったメッセージには、刑務所で得た新たな「気付き」が記されていた。
【2023年10月の手紙】
「刑務作業でミスをしてしまった。他囚はそつなくこなしていたのに、私はそれができなかった。自分は彼女たちより劣っていると突きつけられたようで悔しく、腹が立ち、落胆した。劣っている自分が許せなかった。刑務官や同囚の励ましの言葉なんて頭に入らなかった。夜も眠れなかった。輾転反側(てんてんはんそく・寝返りばかりうって寝付けないこと)していると閃いた。母もこんな気持ちだったのではないか」
「(母の当時の気持ちを想像すると)娘が失敗した。他の子は合格したのに娘はできない。娘は彼女たちより劣っていると突きつけられたようで悔しく、腹が立ち、落胆した。劣っている娘が許せなかった」
「失敗した、他者より劣った自分を許すって難しいね…苦しいほど痛感する。でも私は、駄目な娘であっても許してもらいたかったから、ダメな自分を受け入れてあげたい」
さらに、教育虐待を防ぐにはどうしたらいいのか、当事者である子供、親、そして私たち一人一人に向けてメッセージを寄せてくれた。
母に伝えたくて、伝えられなかったこと
【2024年2月の手紙】
――教育虐待を受けているこどもに対して
私もそうでしたが「自分は教育虐待を受けている」と本人こそ気が付かないし、気付きたくないし、周囲に気付かれたくないです。でも一人になった時に「何で自分は勉強しているんだろう?」「本当に自分は受験をしたいのかな?」と心の中のあなたに尋ねてみて、親の顔が浮かんで、あなた自身に答えが無くて、暗い、しんどい気持ちになったら、私も同じだったよ、あなただけじゃないよ、と伝えたいです。
――教育虐待をしてしまうかもしれない親世代に対して
私が母に伝えたくて、怖くて伝えられなかった言葉があります。
「駄目な私も、お母さんの子供として受け入れてほしかった。失敗させてほしかった」
――周囲の人たちが虐待かもと思ったときにどうすればいいのか
私は弁護士さん達に話を聞いてもらい、理解してもらったことで、心が救われました。一人ぼっちでしんどさを抱えこむのは凄く辛いので、少しだけでも受けとめてほしい。完璧じゃなくても、解ろうとしてくれてると感じられたら、きっと心が救われます。
(取材・執筆:『Mr.サンデー』取材班)
※この記事は、FNNプライムオンラインによるLINE NEWS向け特別企画です。