「世田谷の愛護センターで聞いた犬の悲鳴が忘れられないのです。何かできることはないかと、保護活動のお手伝いを始めました」
今回ご紹介する美女は、目黒区議で、犬の里親探しに奔走されている河野陽子さんです。
近年、ボランティアや保護団体の活動が活発化し、日本の犬や猫の殺処分件数は、10年前の7分の1にまで減少しています。それでも全国で、1年間に2万3764頭(2020年度)が殺処分されています。人間に癒しや愛を与えてくれる動物たちの命がこのように消されてしまうのは、とても悲しいことです。
河野さんが初めて保護犬を迎えたきっかけは、愛犬のかかりつけ医からかかってきた1本の電話でした。
「10才のヨークシャテリアの行き先を探していると言われましたが、うちにはそんなお上品な犬は似合いませんとお断りしました。ところが、2週間後にもう一度かかってきて、まだ行き場が決まらないことを知り、引き取りました。うちに来た最初の保護犬です」
その後、公園で譲渡会を開催していた保護団体と交流が始まりました。一時預かりで里親を探してあげるなど、多いときは自宅で飼っている2頭と合わせ、5頭の世話をすることもありました。
23~24歳のころ
1985年にフェリス女学院大学を卒業した河野さんは、レナウンに入社し、ボディコンの流行を生み出したブランド「ノーマカマリ」の営業を担当。ちょうどバブル期に突入した頃で、女子大生が1着6万円もするスーツを平気で買う時代でした。
その後、レナウンを27才で寿退社し、3人のお子さんに恵まれました。しかし、42才での離婚を機に、ビル管理会社の事務職として再就職することになります。
3番めのお子さんが大学に入り、子育てが一段落した頃、お住まいの地域で市民の声が行政に届かず、問題解決に至らないという出来事を経験されました。
「そのとき初めて、自分が議員になればもっと何かできるのではないかと思ったのです。1年半迷った末、河野太郎さんに相談に行きました。彼の第一声は『えっ? DNAは続くんだなあ』でした」
実は、神奈川県藤沢市出身の河野さんは、衆議院議員である河野太郎さんの “はとこ” で、学年も一緒だったそうです。選挙を前にお会いしたお父様の洋平さんからは、「まあ、やってみるといいよ。選挙に出馬したいという気持ちは誰にも止められない」と言われたそうです。こうして自民党の公認を得て、2015年4月に初当選しました。
太郎さんの印象深いエピソードを伺ってみました。
「学生の頃、アメリカ留学をしていた太郎さんが、アメリカ人の友人男性2人を連れて一時帰国したときのことです。『鎌倉の大仏を案内するから、一緒に来て』と呼ばれ、片瀬江ノ島の駅で待ち合わせたんです。
江の島観光を終え、鎌倉へ移動しようとしたら、太郎さんは『自分は他の予定が入っているから、2人を鎌倉に案内して』と私たち3人をおいてどこかに行ってしまったのです。
英語が苦手な私は、片言の英語と身振り手振りで何とか鎌倉まで案内しました。英語は大事だと教えてくれた事件でした(笑)」
太郎さんとは同い年で、誕生日も数週間しか違わないそうですが、「最近では私が娘に間違われることもあるのです」と笑います。
「ノーマカマリ」を担当したころ
さて、河野さんの座右の銘は、「一隅を照らす」。祖父でいらっしゃる元参院議長の故・河野謙三氏が大切にしていた言葉です。もともとは天台宗の開祖・最澄の言葉で、一人一人が光となり、周りを照らすことで社会全体を明るくしようという意味です。
「保護犬の活動を一人でも多くの方に知っていただくことで、その気づきが次の何かにつながっていくと思っています。コロナ禍で安易にペットを飼い始め、飼いきれなくなって保護団体に相談する方が増えています。ペットを飼うなら、家族の一員として最期の看取りまで世話する覚悟が必要です」
本当にそのとおりですね。殺処分ゼロを目指して、私も一隅に光を灯し、つないでいくお手伝いをさせていただきたいと思います。
■ペットを迎え入れる前に思い出して欲しい3カ条
(1)保護犬・保護猫という選択肢がある
(2)ペット=「命」を迎えるのに自分の生活・飼育環境は適しているか
(3)その「命」は人間と同じで個性も千差万別。病気もすれば年も取る。お金もかかる。最期の看取りまでする覚悟を
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
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