『うちの子にかぎって2』で伝説に…夭逝したトップアイドル高橋良明 母が明かす秘蔵写真と青春の日々
「芸能界にはね、自分で行くって言い出したんですよ。私は本音は反対だったけど…子供がやりたいっていうことだからね。一応やってみて、それから続けるか決めようよって話したんですけど。それで東京宝映に行ったんだけど、行きたい人は全部受かるところなのよ(笑)。でも、事務所に入ったらトントン拍子にオーディションが入ってきて…、あっという間に仕事が増えてね」
「あのオーディション、最初は落ちたんですよね。配役を見直すってことで再度選考があって、そこで受かったのかな。あれで一気に顔が売れちて、原宿を一緒に歩いてると黒山の人だかりになっちゃうくらい。ファンの子達から逃げ回って、ジーパン屋の地下に隠れさせてもらったわね(笑)」
担当マネージャーが語る人気ぶり
「原宿で暴動が起きたのかと」
「原宿中の人が気づいたんじゃないかって思うほど、たくさんの人が追っかけてきたんです。原宿のムラサキスポーツ前で、暴動が起こったような騒ぎになってしまいました」
「芸能活動のできる明大中野に行ったけど、頭は弱いのよ(笑)。でもね、芸能界に入る前の小学生の時は、算数でも国語でも90点以下を取ったことなかった。役者を始めてから成績が急降下して、オール1だったことも(笑)。だって、学校行ってないんだもの。算数が得意だったのは、うちは商売(鮮魚店)をやっていて、良明は小さい頃からお店を手伝っていたから、お釣りの計算で暗算が鍛えられていたのね」(凉子さん)
「人の名前を忘れないんですよね。仕事先で名刺交換をしても僕は忘れちゃうのに、良明はもらってないのにしっかり名前を覚えてるんですよ」。
「春日局のときは、長いセリフがあってねえ。『お母さん、相手役やって』っていうから、私が佐久間良子さんのセリフを一緒に練習したのよ。亡くなってからドラマの打ち上げで佐久間さんに会ったとき、どっかの飲み屋さんかな。その時のプロデューサーさんが『良明のお母さんですよ』って紹介してくれて。そしたら、すごい大泣きしちゃってね。自分の子供も同じくらいの年だったから、接し方を良明に聞いてたって。先輩から可愛がられてたわね」(涼子さん)
「ロケ先に着いたら電話、帰るときも電話。それは必ずでしたね。嫌なこともあったらしくて、共演者の大物俳優がセリフ間違っちゃうと、何度も注意できないじゃないですか。そうすると、あるプロテューサーは良明に当たるらしいんですよ。『僕の顔に台本を投げてくるんだ』って。電話してきて泣いてるから、聞いたらそういうことがあったって。それをやられて黙って帰ってくるアンタのほうが大人なんだから、その人は子供なのよって言いましたね」(涼子さん)
後藤久美子と深夜の長電話
「学校の友達も、役者仲間も一緒になって遊んでたね。あと親しくしてたのは……後藤久美子ちゃんと仲良かったわね。家に電話かかってきてね、「もしもし、良明くんいますか?」って。そういう電話はよくかかってきてたから『ごめんなさいね、今、仕事で家にいないんですよ』って応えたんだけど、向こうは良明が家にいることを事前に聞いてたんだね(笑)。『あの、後藤からの電話だって言ってください』『後藤さん?』『後藤久美子です』で慌てて取り次いだわよ(笑)。それで代わったら、1時間も2時間も喋ってる。夜遅いときなんかは『もう、遅いから切りなさいよ』って言うと、良明が電話の向こうの久美子ちゃんに『もう疲れたろ?』なんて言ってんのよ。それで、受話器を塞いでこっち見て『お母さん、疲れてないってよ』って(笑)。ジャン・アレジも茶目っ気たっぷりって印象だから、ちょっと良明に似てるわよね」
「今更だけど、芸能界入れないほうが良かったかなとも思ったりするよね。あんなに忙しく仕事しないで、普通の学生で遊んでれば無茶なこともしなかったのかな…。ありがたいなと思うのは、今年で亡くなって34年、今でも誕生祝いとか、お墓参りにもいまだに来てくれるしね。ファンの方はいろんな世代の人が来てくれるの。忘れないでいてくれるのは、嬉しいね。