花街告発の元舞妓がメディア初登場! 16歳でハレンチ宴席、騒動後に「京都は怖いよ」と恐怖の忠告電話
「私が『桐貴清羽(きりたかきよは)』であり、先斗町の置屋にいた『市駒』です」
「当時16歳で浴びるほどのお酒を飲ませられ、お客さんとお風呂入りという名の混浴を強いられた(全力で逃げたけど)。これが本当に伝統文化なのか今一度かんがえていただきたい」(投稿を一部抜粋)
「私は2014年5月に先代の女将と面談して、2015年2月に屋形(置屋)に入り、“舞妓になる修業”に励みました。ずっと日舞を習っていて、漠然と日舞を仕事にできれば、と思っていました。親からも『芸舞妓なら踊りを仕事にできるから』とすすめられたのです」
「髪結いをする日は朝4時、5時起きです。休みは月に2日ありますが、何もできません。だって、現金をほとんど持っていないのですから。もらえるお金は月に1回、5万円ほどのお小遣いがすべてです。そこからお化粧品代や生理用品などの支出もまかないます」
「先口はお茶屋のお座敷で、後口では割烹料理店やバーに行くことが多いです。クラブやキャバクラのアフターと同じです。お座敷でもほかの場所でも、舞妓は飲まされます。SNSには『そんなことはない』という声も寄せられましたが、私は飲まされました。
「横になった舞妓の上にお客様がまたがって、腰を上下させるような“接触系”がありました。また“シャチホコ”といって、舞妓が三点倒立をして、お客様が着物の裾を広げて下着を見る“覗き系”もありました。舞妓は子供なので『性的な行動を理解しておらず、恥ずかしがらない』という建前があり、嫌でも拒否できません。当然、お酒も入っています。座興の度がすぎて、着物の脇や裾の間から、手を入れてくるお客様も出てきます」
「投稿してからしばらくは、携帯電話の着信が鳴りやみませんでした。この携帯番号を知らないはずの、京都時代の関係者たちからもかかってくるんです。なかには『京都は怖いところだよ。(暴露して)危険じゃないか?』とか、『おとなしく家庭に引っこんでろ』とだけ言って切れる電話もあり、怖かったです。