作曲家の坂本龍一が、4月23日放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)に出演した。
番組では、坂本が「子供のときは、怖くて父の目をちゃんとまともに直視したことはなかった」と振り返る。父・一亀さんは編集者だった。
弟の坂本昇さんは一亀について「『こんちくしょー』『バカヤロー』。かわいい表現とか、いい表現ができないんですよね。大体、ある一定の線を越えると『バカヤロー』が出てくる」と、いつも怒鳴り散らしていたと振り返る。
伝説の編集者とまで言われた一亀が特に力を入れたのが、新人作家の発掘だった。彼が三島由紀夫に対して長編小説を書くようアドバイスすると、三島は3日後に大蔵省を辞め、その後『仮面の告白』(河出書房)を発表した。
坂本は父について「(新人を)世に出しちゃったらそれは人に任せて、自分はもう新しい人を探す。お金にも地位にも興味がなかったので、小説家のかたに『バカヤロー』とかなんだって言うので有名だったみたいです」と明かした。
さらに、編集者として作家と飲み歩くことが多かった父についてこう続ける。
「僕が知っている父っていうのは毎日午前3時ぐらいに帰ってくる。当然寝ているんだけど、大通りを大きな声で歌いながら帰ってくるので、目が覚めちゃう。もうそこら中に聞こえてますよ。『またか』って感じで」
坂本は東京芸大に進学し、その後YMOとしてデビューしている。テクノ音楽に濃厚メイクというスタイルで人気が出た際は、父から「なんで音楽で勝負せんか! 俺はお前をピエロにしようと思って音楽学校に入れたわけじゃない!」と怒鳴られたという。
一亀は、『ラストエンペラー』(1987年)のアカデミー賞作曲賞受賞パーティでも、坂本を褒めることも笑顔で話しかけることもなかった。
さらに坂本が琉球音楽を取り入れて作曲した際には、「これはお前の音楽じゃない。なんでこんなものを入れるんだ」と指摘。ムッとした坂本と口論となり、初めて大喧嘩になったという。
周囲に対して、息子の話や自慢を一切しなかった一亀は、2002年に80歳で亡くなっている。「お別れの会」で配った手作りの冊子の中で、坂本はこう綴っている。
「父とまともに話をしたことがないのが悔やまれる。創作に携わるものの大先輩として、聞いておきたいことが山ほどあったのだが。父は自分の思いを他人に伝えるのがへたな人だった。愛するのも愛されるのもへたな人だった。最後までそういう人だった」
ちなみに、一亀が勤務していた出版社から見つかった日記には、「男児生まれる! 標準を突破した偉大な赤ん坊なのだ!」と記されたメモが。坂本が出演したテレビや雑誌をすべてチェックしていたことなどが判明した。
番組では親子関係を「全然向き合えない。不器用」と表現した坂本。決して言葉に出さずとも、世界で活躍する息子を、父は誰よりも誇りに思っていたに違いない。