井上貴子“プロレス業界初”オールヌードの過去…撮影中「これだけは無理!」悶絶したポーズを明かす
“元祖アイドルレスラー”として女子プロレス界で活躍してきた井上貴子(LLPW-X)が、デビュー35周年を迎える。井上がプロレスラーを目指したころは、1983年にデビューした長与千種とライオネス飛鳥による「クラッシュ・ギャルズ」が絶大な人気を誇り、女子プロレスが大ブームを巻き起こしていた。
「小さいころから『ビューティ・ペア』のファンだったので女子プロレスはよく見ていたんですが、レスラーには体が大きい人や、身体能力が高い特別な人しかなれないと思っていて、自分には無理だと思っていました。ところがミミ萩原さんや立野記代さんのように、けっして大柄ではないのに結果を残す選手が出てきて、『私にもできるかも!』と思ったんです」
「その年は北斗晶さんが合格し、私は不合格。それから全女の練習生になって茨城県の取手から全女のジムまで、1時間30分かけて、ほぼ毎日通いました。高校では陸上部に入っていたので、朝練をしたら早弁して授業を受けて、またお弁当を食べて(笑)。留年しないように単位を計算して学校を早退して、練習に行っていました。オーディションに受からないので、もう必死でした。私の人生でいちばん頑張ったのは、この3年間じゃないかというぐらいでした(笑)」
「合格したときは、私だけ面接で審査員の人に後ろを向いて質疑応答をしたんです。お尻が格闘技向きだったんですかね(笑)」
「一日中練習をしているから、必死に食べても体重は減る一方。体重測定のときはジャージの中に濡れたタオルを仕込んだりしていました(笑)。それでも全然体重が足りなくて、連れて行ってもらえないことが多かったですね」
「全女とフジテレビが組んで“戦う森高(千里)”のようなアイドルレスラーを作ろうということになり、突然『お前がやることになったから』と、話が進むことになって。写真集とビデオとCDの3点セットで売り出されることになったんですが、まだ全然、プロレスがうまくできないころだったので、ほかの選手たちからは反感を買ってしまったんです。でも、会社の命令には逆らえないから、板挟みのような感じでした。
「マネージャーが『何カットかだけ、ヌードになるよ』って。当時はヌード写真集のブームもあったので、そういう話がきたんだと思います。その後もマネージャーに『やっぱり女子プロレスラーで“初”ということでやらないと。誰かが先にやっての二番煎じでは意味がない。今は女子プロレスが盛り上がっているし、今やらないでいつやるの? 今でしょ!』という感じで説得されて(笑)。『わかりました、やります!』とう感じでしたね。
「当時、『ラスタとんねるず‘94』(フジテレビ系)に、ほぼレギュラーのように出演していて、番組でとんねるずさんが宣伝してくれたこともあり、『ヴェルティージュ』が爆発的に売れたんです。それでちょっと味をしめちゃって(笑)。
『ボディ・オイル』はカメラマンがリウ・ミセキさんで、ウエストはボンテージでぐわっと締め付けられて8センチぐらいくびれてたし、『こういう構図で撮影するから、眉毛も半分剃って』と言われて半分剃りました。顔の角度が1ミリずれたら撮り直すみたいな世界で、おっぱいがちょこっと出てるぐらいの感じ。きれいに撮っていただいた芸術的な作品で、エロさはなかったですね」
「私が提案したのは、倉庫で泥まみれになっての撮影。プロレスラーが出すヘアヌード写真集なら、ほかのタレントさんのものとは違うものにしたいなって。筋肉をきれいに出したいと思って、オイルの上に泥を塗って撮影したんです。すごくいい写真が撮れたんですが、顔も体もすべて泥だらけ。撮影の後はどうやって帰ったんだろうって思います(笑)」
「古い民家で撮影したんですが、マネージャーが『この梁から足だけで吊るしたらどう?』と。私もぶら下がるだけならいいかなっていう甘い気持ちでOKを出したんですが、カメラマンやスタッフのみなさんが『本当にいいの? 本当にやるの?』と、すごい心配するんですよ。
「どれだけ世の殿方に興奮してもらえるか。いろんなことを想像してもらえるかです。女性が買って楽しめる写真集という考えはなかったですね。写真集のおかげか、SMの写真の切り抜きを入れて『僕にこんなプレーをしてください』なんていうファンレターも届くようになりましたけど(笑)。あとは、すべてが記入されていて、あとは私が書くだけという婚姻届もよく届きました。自分の経歴を書いた何枚もある自己紹介もありましたね。これは今も届くんですが、どうしたいんだろう(笑)」
「写真集も『売れなきゃだめ』という強い信念のもとでやってきました。写真集が売れて人気が出れば、まわりの人は認めざるを得ない。そうやって努力をして自分の道を切り開いてきましたが、何をするにも勇気がいりました。プロレスなら、新人時代、リングに上がるのが怖かったときに振り絞った勇気、先輩に立ち向かっていくときの勇気。写真集なら脱ぐときも勇気がいったし、吊るされたときも勇気がいった(笑)。小さいことから大きなことまで、いろいろな勇気を積み重ねてきた35年だと思っています。
いのうえたかこ
1969年11月7日生まれ 茨城県出身 LLPW-X所属。全日本女子プロレスのオーディションに合格し、1988年後楽園ホールでデビュー。1992年に写真集を発売、その後、バラエティ番組などでも活躍。今も現役を続け、10月に35周年を迎える